「はっちゃん、これ、どうしたんだい?」
 遺跡へ出ていける時間までと遊びにきた取手は、机の上を視線で示してそう言った。そこには正方形の折り紙とそれを折り上げた小さな作品たちが広げられている。いずれも、それまでの葉佩の部屋にはなかったものなので、取手が疑問に思うのも無理はなかった。
「ああ、それ? 大天香祭の準備で余ったやつ。うまくすれば探索に役立つ何かが作れないかなーと思って、クラスの奴から貰ってきたの」
 拾ったものを組み合わせて別のものを作り上げるのは葉佩の十八番で、そうして作ったものが遺跡の仕掛けを解く鍵になることもままある。そのため、何に対してもとりあえず取っておいて活用する道を考える癖がついていた。
「何かって、たとえば?」
「ん? んーと……手裏剣の代わりとか?」
「さすがに紙では無理じゃないかな……」
「いやー、やろうと思えば輪ゴムでも消しゴムでも戦えるからいけると思ったんだけど、やっぱサイズ的に無理があったね。で、それをカバーできるほど俺の発想は豊かじゃなかったから断念して遊んでた」
 取手の目が再び机に向いた。学園祭の飾りつけにお呼びがかからなかった色の折り紙を活用したゾウやゴリラ、パンダなどが悠然と佇んでいる。
「……器用なのは知っていたけど、はっちゃんって折り紙にも詳しいんだね」
「あー、まあね。一応アニキとしてって感じ?」
 言葉の意味が相手には掴めなかったらしい。首を傾げて先を促す。
「俺のいた孤児院って高いゲームとか無くてさ、小さい子たちの遊び道具ってこういうのだったのね。それに付き合ってたら、色々作れるようになってたってわけ」
 年月が経って顔ぶれが変わっても、子どもたちに人気なのはいつでも動物の折り紙だった。幼い子には難しく感じられるものも多かったようで、作ってくれとよくせがまれた。制度の上では高校を卒業するまでいられるが、協会所属のハンターとして活動を始めたからにはもう帰ることの出来ない《家》の記憶だった。
 聞いた取手は瞠った目をすぐに伏せた。物心ついたときから孤児院にいた、とは前に話したことがあったが、その頃の思い出を語ったのは初めてだった。
「……ごめん」
「あはは、別に気にしてないよ。家庭の事情は人それぞれで、たまたま俺の《家》はこうだったってだけ」
 本心だった。親がいないのも帰る《家》を失くすのも、そういうものだと思っている。他人は不幸というかもしれないが、葉佩自身はそう思ったことがない。平凡とは言いがたいこれまでの人生で得たものがあまりにも大きいからだ。それは血のつながらない家族たちとの優しい記憶であったり、秘宝を探す過程のスリルや達成感であったり、任務がなければ出会うことのなかった多くの他者との関係であったりした。
 二度目の任務に就いて早々に出会った取手のことも、紛れもなくそのひとつだと思っている。その彼の性格を考えると、この話題は長引かせない方が良さそうだった。
「それよりさ、鎌治もなんか折る?」
「えっ?」
 手付かずの折り紙をぺらぺらと検分してみる。級友たちは赤や黄色といった派手な色にしか用がなかったのか、余りと呼ぶには多くの枚数がまだ残っていた。
「僕、鶴くらいしかできないよ……?」
 理由を訊かないのが取手らしかった。あるいは葉佩の言動にいちいち突っ込んでいたらきりがないと思っているのかもしれない。実際ただの勘や思いつきだけのことも多いので、対応としては間違っていない。
「いいじゃん鶴。基本は大事だよ。俺もしばらく折ってないけど」
 孤児院の子どもたちは誰かが熱を出したときによく折っていた。さすがに千羽とはいかなかったが、一羽だけでも病気の快癒や健康への祈願になるのだと職員は言い聞かせた。鶴を折る手順はさほど難しくもないので覚えも早く、最後に手本を求められたのは随分昔の話だ。
「せっかくだし、どっちが上手くできるか勝負しようよ」
 他にこれといってやることもないのだからと、選び取った一枚を差し出した。級友たちが青色を使わなかった幸運に感謝しながら。


 葉佩の部屋には折り畳み式のローテーブルが仕舞われており、人が来ると引っ張り出されて食卓やら荷物置き場やら果ては観賞用の台座まで様々な役目を任される。今は作業台となったそれを挟んで座る。
 頭の中で鶴の折り方を思い返す。まずは対角線を作るように折り目をつけて、次に辺の中央から紙を半分にするイメージで十字に折る。そこから折り目に沿ってたたみ、小さな正方形を作る。長らく間が空いた割に、記憶は案外するすると引き出せた。
 そうしながら自分のためにと適当に引き抜いた一枚はクリーム色だった。なんとも中途半端な色だ。取手の方に目を向けると、彼は後ろのベッドにもたれることもせず、いつも通りの猫背で折り紙と向かい合っていた。
 紙の端と端をきっちりと合わせ、丸く折り曲げられた逆側を一撫でする。ことさら力を入れた風でもないのに、それだけで圧着されたようにぴしりとした折り目がついた。たたんで作った正方形にさらに折り目をつけ、ひし形に近い形となるよう縦にひらく。上部があとあと鶴の羽根になる箇所だ。その先端を綺麗に尖る形で合わせるのは難しいと葉佩は覚えていたが、取手はそれを難なくこなした。裏面の白もほとんど見えない。
 全ての動作が丁寧でありながら手早く、迷いがなかった。葉佩のように手順を思い出す様子もない。体に染みついているといわんばかりの自然さで、機械が折っているように精密で美しいものを作り上げていく。それは彼が日ごろ奏でるピアノに通じるようにも思えたが、何かが決定的に違うような気もしていた。いちいち思い返さなくても手が動くという意味では、葉佩が動物たちを作れることに似ているといえなくもないが、と考えて気付く。孤児院の子どもたちが作っていた折り鶴。一羽だけでも病気の快癒や健康への祈願になるという。
 そうか、願ったのか。何度も何度も繰り返し、体に染みつくほどに。
 何羽折ったところで治るわけはないとわかっていても、願わずにはいられなかったのか。
 取手がそうするであろう相手を、葉佩はひとりしか知らない。命を落とす原因となった病に対してか、もっと幼い頃の他愛もない風邪に対してかはわからないが、世界でただひとりの相手のための祈り。積み上げられたその切実な想いが、目の前にある精密で隙のない美しさを作り上げているのかもしれない。葉佩はそれを羨ましいと思った。そこまでの感情を向けられる相手がいたことを。己を投げ打つほどひたむきに誰かを想えることを。それは葉佩にはないもので、取手と関わる中で彼のうちに見出した代えがたく美しいものだった。
 なにか眩しいものを見る気持ちで目を細め、取手の手元に視線を落とす。紙の青色に、細い指の白さがより際立っている。幾度も折られた紙は取手の手にはあまりに小さく見えた。だが当人は意にも介さず、さらに細かい鶴の首と尾になる部分を形作った。
 そうして鶴が両翼を広げ、ローテーブルの上に降り立った。どこにもズレや歪みのない造形物。もしかすると先ほどの想像はただの勘違いで、これを作り上げたのは彼の生まれ持った器用さと几帳面さだけなのかもしれない。仮にそうだとしても、葉佩の目に見えているものは変わらない。それがすべてだ。
「うわ、すっごい綺麗。勝てる気しない」
「はっちゃん、まだ何もしていないじゃないか」
 そう言って、折り筋ひとつない正方形を見て困ったように微笑んだ。その表情は、宵闇の中でほのかに光を放つ石のように儚くやわらかい。いつか優しい記憶のひとつになるだろう、何にも代えがたく美しいもの。それがすべてで、それだけで何の問題もないように思えた。




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