「お前はもう少し頭で考えてから喋れ」って皆守クンに言われたのはいつだったっけ?
たしか葉佩クンが転校してくるずっと前。なんだか暑い日で、早く夏服にならないかなァって思ってた。つまり3ヶ月は経ってることになるけど、そう言われたからってあたしは特に変わらなかったみたい。そんなだから、マミーズに行く途中で縦長の後ろ姿を見つけて、それが誰だかわかった次の瞬間には大声で呼んでいた。
振り返った取手クンは、なんだかとても驚いているように見えた。こんな風に呼び止められることが今までなかったのかもしれない。だとしたら、すごく寂しい。頭の片隅に白岐サンの姿が浮かんだ。
「取手クンも、これからお昼だよね? ひとりなら、一緒に食べない?」
近くまで来ると、やっぱり取手クンはすごく背が高い。あたしを見下ろす目が何度か瞬きをして、戸惑ったように口を開いた。
「僕と?」
「うん。あれ以来ゆっくり話す機会なかったからさ。最近どうとか、色々聞きたくて。あ、もちろん、取手クンが嫌じゃなければだけど……」
前に皆守クンが「俺はメシはひとりで食いたい派なんだ」って言ってたのを思い出して付け加える。そうは言っても皆守クンはなんだかんだで付き合ってくれるけど、もし取手クンが本気で嫌がるタイプだったら無理強いはしたくない。
そんな心配をよそに、取手クンは首を小さく横に振って「構わないよ」と言った。頭の上から降ってくるような声は静かで、驚きも戸惑いもだいぶ治まっているみたいだった。そうなると今度は感情がわかりづらくて、あたしの誘いを歓迎してくれてるのか仕方なく受けてくれたのかもわからなかった。それでも断られなかったことが嬉しかった。皆守クンが仲間と認めるだけあって、やっぱり良い人だ。
「何名様ですか〜?」
「ふたりで!」
人数を伝えた途端、奈々子サンはいかにも興味津々って顔になった。後ろの取手クンをちらりと見て、でも何も言わずに「は〜い、2名様ご案内しま〜す」と先に立って歩き始めた。お昼のマミーズは混んでいて、奈々子サンもおしゃべりする暇がないほど忙しい。ってことは、後で色々訊かれるかも。遺跡のことは内緒にするとして、どうやって説明しよう。夜ご飯までに考えとかなきゃ。
席について注文をしてから、取手クンの体調のことや教室での葉佩クンと皆守クンのこと、来月の大天香祭のことまで色々な話をした。といっても、ほとんどあたしが一方的に喋って、取手クンはぽつぽつと相槌を打つくらい。控えめな喋り方は《黒い砂》の影響かと思ってたけど、元からそういう人だったみたい。……保健室仲間の会話ってどうなってるんだろう?
「取手クンと皆守クンって、普段どんな話してるの?」
疑問に思ったらすぐに訊く。皆守クンは呆れるだろうけど、これって大事なことじゃないかなあ? 本日のオススメらしいパスタをフォークに巻きつけながら首を傾げる。
「どんな……?」
「皆守クンって、あんまり自分から話題出すタイプじゃないでしょ? 話盛り上げたりできるのかなーって」
日替わりランチのお皿は8割がた空になっていた。取手クンは意外と食べるのが早かった。葉佩クンもだったけど、男の子ってみんなそうなのかな。あたしも特別遅いってわけじゃないと思うんだけど。あ、喋ってるから?
「どうだろう……。保健室にいるとき、僕はたいてい頭が痛かったし、皆守君は『眠い』か『ダルい』のどちらかだったから……」
「皆守クンは教室にいてもそれだからな〜。あとは葉佩クンとカレーの話するぐらい」
「それは保健室でも見かけるね」
穏やかな声。《黒い砂》が無くなってから初めてちゃんと話す取手クンは、なんとなく変わったように見えた。頭痛がしなくなったって本人も言ってたけど、それだけじゃない。全体的な雰囲気がやわらかく、優しくなったような、そんな気がする。食堂の前で声をかけた時には気付かなかったけど。
座って向かい合っていると、立っているときほど身長差を感じない。「ああ、でも」と呟いた声も、降ってくるようには聞こえなかった。
「たまに、クラスでの話をすることもあったよ。名前は出さなかったけれど、いま思えば八千穂さんのことだろうなって話もあった」
「えっ、ホント!? なになに? なんて言ってた?」
勢い込んで訊ねると、取手クンは視線を斜め上にそらして、少し考えている風だった。口に運んだアラビアータはちょうどいい辛さで美味しい。
「よく話しかけてくれて、一緒にいると楽しい、って」
うわ、絶対嘘だ。
黙ってじーっと見上げていると、取手クンは困ったような目をして視線を下げた。そうなるともう笑いをこらえてはいられなかった。
「あははっ」
そうだ、目。雰囲気が変わったことに最初のうち気付かなかったのは、立ってるうちは正面から目を見られなかったから。取手クンは大げさに表情が変わる人じゃないけど、何よりも目に感情が出るんだ。でも、それを知ってる人は多分ほとんどいない。背の高い取手クンは、普通にしてると人と目が合うことがほとんどないから。もったいないなぁ、と思う。取手クンも、周りのみんなも。ちゃんと見れば、何も言わなくてもこんなに伝わるのに。
「ありがと。優しいね、取手クン」
また視線が上がる。何か言いたそうだった。否定される前に続ける。
「皆守クン、絶対そんなこと言わないもん。言ってるとしたら『お節介で鬱陶しい女だ。寄ってこられるとうるさくて仕方ない』とかだよ」
「それは……」
最後まで言わずに目を伏せた。当たりらしい。ちょっと、自分から予想しといてなんだけどその言い草は酷くない? そこは嘘でもいいから否定してほしかったな。
「皆守クンってさ、普段は他人に興味なさそうにしてるけど、本当は人のことよく見てるし、優しいんだよ? でも素直じゃないから、ツンツンしたこと言っちゃって誤解されやすいの」
「……うん」
「けど、取手クンは皆守クンが言いたいことをちゃんとわかって、あたしに伝わるように言ってくれたでしょ。だから、優しいなって思ったんだ。……えへへッ」
デザートのオレンジゼリーをスプーンですくう。日替わりランチのお皿はもうとっくに空だ。
「あたしね、皆守クンの良いところをわかってくれる人がいたらいいな〜ってずっと思ってた。だから、取手クンとか葉佩クンみたいな人が皆守クンの友達でいてくれるの、ホントに嬉しいんだよ」
アラビアータを食べた舌にオレンジの甘さと酸味が染み渡る。ごはんが美味しいって幸せだなぁ、と噛みしめていると、取手クンが不思議そうな目をしてるのに気がついた。やっぱり目、だ。相変わらず表情だけだとわかりづらい。
「君は……」
「ん?」
「まるで、自分はそうじゃないような言い方をするんだね」
どういうこと? と首を傾げた。ゼリーがつるりと喉を滑り落ちる。
「皆守君の良いところをわかっている友達。その条件に当てはまるのは、八千穂さんもだと思うけれど」
「えっ」
あまりにも当然のことみたいに言われてびっくりする。友達、って言っていいのかな? 正直、葉佩クンがいなかったら遺跡にもついてきてくれなかった気がする。クラスで皆守クンに一番声かけてるのがあたしだって自覚はある。でも、皆守クンの方がどう思ってるのかは全然わからなかった。
「君はあの遺跡で、僕に言ったことを覚えているかい? 僕が苦しんでいることと、失ったもののこと。僕自身でさえ忘れていたことが、君には見えていた。それと同じように、皆守君が何を言っても、君には彼の本質が見えているんじゃないのかな」
「う〜ん、そこまで深く考えてるわけじゃないけど……。ただ、一人でいる皆守クンが、時々すごく寂しそうに見えて、なんだか放っておけなくなっちゃってさ」
葉佩クンが来てから、やっと少しマシになった気がするんだけど。残り少ないゼリーをつつく。取手クンはちょっとの間なにか考えて、探るように「その、」と口を開いた。
「君と葉佩君は、似ていると思うよ。隠されたものの気配に気付いて、そのためにどこへでも――危険を冒して遺跡の奥にだって向かっていく。その優しさと強さが、僕にはとても羨ましくて……光のように見える。きっと皆守君も、そうなんだと思う。そういうものの感じ方が、僕と皆守君はなんとなく似ている気がするんだ。だから……わかるよ」
その目に、あの日の校庭であたしが見た苦痛はもう無かった。ひとりきりで暗闇の中にうずくまって、何かを探してもがいていた取手クンはもういない。今あたしの前にいるのは、人の想いを細やかに感じ取れて、相手を気遣って丁寧に選んだ言葉をくれる、優しい男の子だった。
「そっか。……えへへッ、そっかぁ」
ピアノの授業で取手クンが弾いてくれた曲を思い出す。お姉さんが取手クンを想って作った曲。穏やかなのにどこか切なくて、それでも優しくてあたたかい。
「ありがと、取手クン。なんかすっごく元気出たッ。午後の授業も頑張れそう!」
最後の一口を放り込む。ずいぶん長い時間マミーズにいた気がする。校舎に戻ってもピアノ弾く時間あるのかな。つらつらと考えていると、取手クンは穏やかな目をしたまま言った。
「君は、素直な人だね」
「……それって、皆守クンを基準にして?」
「ふふ、違うよ」
取手クンが笑うのを初めて見た。驚いたのがバレたらそれもすぐに引っ込めちゃいそうな気がして、あたしも思いっきり笑ってみせた。