※本編クリア後の時間軸
※スパイクタウンの天候を著しく捏造しています


 それに気付いたのはネズの方が先だった。錆びた鎖を引きずるような、鈍く重い音。滅多に聞かない、だが覚えのあるものだった。遠くかすかなそれを鼓膜が捉えた直後、地面が小さく揺れる。そうなればさすがにキバナも気が付き、廊下を進もうとする足を止めた。
「なんだ?」
 答えるより早く、前方のドアからマリィが出てきた。驚いた様子で立ち止まったあと、キバナとその後ろにいるネズを見て、またキバナに視線を戻して言った。
「キバナさん今日は帰れんよ」
「は?」
「シャッターが閉まりましたか」
「うん。呼ばれたけん行ってくる」
「手が足りないならおれのポケモンも連れていきなさい」
「大丈夫。ジムのみんなもおるけんね」
 兄妹は了解しきった言葉を交わす。だが、挟まれたキバナが事態を呑み込んでいないことを察したのか、マリィはぽつぽつと補足する。
「外で大雨が降ってる。ちょっと先も見えないくらいのすごいやつ。町に流れ込むと困るから、入口のシャッターを閉めたの」
「この町は水はけが良くないですからね」
 スパイクタウンは全体がコンクリートに囲まれた袋小路になっている上に、空も屋根に覆われている。良くない、どころではなくはっきり悪いのだが、ネズのプライドはその表現を避けた。
「雨ねえ」
 キバナが首をめぐらせて廊下の窓を見た。明り取り程度の小さなものだが、摺りガラスではないので外を見るのに支障はなく、ドアの上枠と同じくらいの高さも、長身のキバナにとってはむしろ丁度いいくらいだろう。まだ日が沈むには早い時間にもかかわらず、窓の向こうはいつにもまして薄暗い。雨粒は見えなかったが、情報としてはそれだけで十分だった。
「やばそうだな」
「どうしてもっていうなら脇道から出られるけど、あんまりオススメはしない」
 キバナにつられるようにして窓を見上げていたマリィは、兄に似たトーンでそう言うと再びこちらに向き直った。
「だからキバナさん、今日は泊まってって。アニキも、マリィに気とか遣わんでよかよ」
 今まで伝えたことのないふたりの関係に気付いているのかとネズは一瞬肝を冷やしたが、逆に知らないからこそこう言えるのだろうと思い直す。気を遣うな、とは要するにキバナが朝まで家に居てもマリィは構わないということだ。兄が気にすることを、妹はよくわかっている。
 言うべきことは言ったという様子で、マリィは急ぎ足で階段を下りていった。玄関のドアが開いてまた閉まるまでの数秒、こもった足音か拍手に似た音が響いた。いや、ひときわ大きくなったというだけで、それは先程からドアや天井や壁に阻まれながらもネズの耳に届いている。町を覆う屋根に打ちつける雨の音だった。
「マリィはなんで出てったんだ?」
「町の屋根はところどころ破れてるでしょう。そこの雨漏り対策です」
「補修でもするのか?」
「そんな予算ないですよ。穴の下に、雨を受ける器を置くんです。バケツとか、空いた水槽とか」
「原始的だな!」
 キバナは吹き出したが、これがこの町の現状なのだ。人の減りつつある町の財政は逼迫している。
「しかも破れてるところって結構あるだろ。……ああ、だから『手が足りないなら』か」
「ジムリーダーの仕事のひとつですから。何がどれだけ必要か、おれには大体わかります」
「へえ。で、そのジムリーダーは泊まってけって言ってたが、家主としてはどうよ?」
「別にいいですよ。夕食の支度を手伝ってくれれば」
「もちろん。でもまだ早いだろ?」
 戻ろうぜ、と出てきたばかりのドアを指す。ネズの部屋はそう広くないがソファもベッドも本棚もある。廊下で話し続けるよりは疲れないし時間を潰すのにも都合が良かった。
 厚い膜を通したように不明瞭な雨の音は、未だ弱まりもせずに続いている。ドアを押し開けると、窓が大きくなっただけ音の存在感も増したように思えた。続いて部屋に入ってきたキバナも、ネズより一歩奥に進んだところで窓に目をやった。このあたりの屋根はまだ無事なので、見える景色は普段と変わらない。それだけに、ひっきりなしに聞こえる音がより異質だった。
「こういう雨って、よくあることなのか?」
「さあ……一年に一回ぐらいですかね。ワイルドエリアとキルクスタウンの気流がぶつかるとかなんとか」
「なーんだ」
 運が悪かったですね、と言いかけてやめた。背中から腰に回って引き寄せる腕。キバナの小さく笑う声が耳に直接触れる。反対の耳には心臓の音が聞こえて、雨がわずかに遠ざかる。
「オマエがオレさまに帰ってほしくないからかと思った」
「なに言ってるんです?」
 思わず笑うと、キバナは若干不服そうにネズを見た。それがまたなんともいえず愉快で、口元をほころばせながら半端に開いたままのドアのノブを後ろ手に掴む。
「天気を変えるのはおまえの十八番でしょう」
 そう言って静かにドアを閉めた。雨の音はたえず続いている。スパイクタウンを閉じ込めるような豪雨は朝まで止まないだろう。
 帰したくないから降ったのか、帰りたくないから降ったのか、あるいはただの偶然か。
 本当のところは、誰も知らない。




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