※バトルシーズンCD第一弾の発売後、第二弾の発売前に書きました


***


 顔色の悪い男だった。それでいて顔にはだらだらと大量の汗をかいているものだから、ひどく不自然で目についた。もしや違法な薬でもやっているのかと呼び止めてみれば、営業の職に就いたばかりで客先へ出向くたびに汗が止まらなくなるのだという。それはそれで問題だと思ったが犯罪ではないので赤の他人が口を出すことでもない。その場は何事もなく別れた。
 その後も、ヨコハマの街を歩く彼を定期的に見かけた。いつ見ても滴るほどの汗を流していたからそのたびに呼び止めた。何度会っても営業には向かない性格だと思った。常に鬱屈したものを抱えていて、ふとしたきっかけでそれが一気に溢れ出すような話し方をしていた。銃兎が知っているのは、そういう男だった。そして、今。
「……お久しぶりです」
 交番勤務を離れてから会うことのなくなった男が目の前に立っている。あの頃よりスーツの質が良くなった。目の下に青黒い隈が出来ていた。あの仕事をまだ続けているのだと、それだけでわかった。
「汗をかいていないから、一瞬誰だかわかりませんでしたよ」
「う……あ、あの頃はまだ未熟で不手際も多く、お恥ずかしい限りです……。……ああ、そういえば昔は取引先でやらかすと帰りに必ず職質食らってたな……俺の顔が陰気だからドクターが機嫌を悪くしたり警察に怪しく見られたり乗った電車が故障したりするんだ……俺はずっとそうだ、何かすると必ず事態が悪化するし何もしなくても悪いことしか起こさない……全部、全部全部俺のせい……」
「そ、そういうことではなく、随分変わったなと思っただけですよ」
 すぐに自分の世界に閉じこもって独り言を垂れ流すところは一向に変わっていないが。本音を隠して声をかけると、彼はぴたりと口をつぐんだ。彼のかつて語った上司によれば「覇気のない目」がじとりとした視線を投げかける。続いた声も、それに劣らず湿っぽかった。
「……そちらも、お変わりになりましたね」
 当然だった。最後に会ってから何年経つだろうか。銃兎はもう制服の警官ではない。そしてここもヨコハマの街ではなく中王区へ続く門の前で、互いにディビジョンを背負うチームのメンバーとして戦うために立っている。あの頃の自分たちは、こんな未来など想像もしていなかった。
 彼の目がわずかに逸れ、また戻る。開きかけた口から出た言葉を聞くより先に、後ろから低い声が飛んできた。
「銃兎」
 理鶯だ。首を巡らせると、左馬刻がいつの間にか飴村乱数にまとわりつかれているのが見えた。振り払おうとしているが離れる気配がない。ヒプノシスマイクを持ち出すほどではないにせよ、彼が苛ついているのは明白だ。それに気付くのと同時に、理鶯の言わんとすることも読み取れた。中王区への門の前で揉め事は避けたい。
「失礼。私たちはリーダーを抑えなければいけませんので、これで」
「はい。……バトルで当たることがありましたら、お手柔らかにお願いいたします」
 そう言って彼は深々と頭を下げた。向いていない仕事であろうと、続けていれば仕草は馴染む。何かの手本のように整った姿勢は、銃兎が背を向けて立ち去るまで崩れないだろうと思った。


「良かったのか、銃兎」
「何がです?」
 左馬刻は結局揉め事を起こした。飴村乱数の相手は神宮寺寂雷が引き受けたものの、山田一郎との小競り合いはマイクを使ったバトルにまで発展したのだ。おかげで警視総監――彼女の肩書きは色々あるが、銃兎にとって一番重要なのはこれだ――から直々にお叱りを受け、苦い気持ちのまま中央区の街路を歩いていた。
 バトルを邪魔された怒りがおさまらないのか、左馬刻はずかずかと先へ進む。用意されたホテルは遠くからでも目立つ大きさのため、迷う心配がないことだけはありがたい。隣を歩く理鶯が声をかけてきたのは、そう考えていたときだった。
「麻天狼のメンバーとの話が途中だっただろう」
「続けられる状況ではありませんでしたからね」
 中断させたのはあなたでしょう、とは言わなかった。立場が逆だったとしたら、銃兎も間違いなく理鶯を呼んだ。左馬刻を止めるのに二人分の力が必要だという彼の判断は正しい。
「それに、あれ以上話すこともありませんよ。昔話なんて、ここじゃ何の意味もない」
「向こうは何か言いたそうに見えたがな」
「理鶯」
 強くなった声音は、もう踏み込むなという威嚇射撃だ。それを察せないほど彼も人の機微に疎くはない。
「すまない。立ち入ったことを聞いた」
「いえ。……昔の話です。バトルに不都合はないので、その点はご心配なく」
「そうか」
 あの時、門の前で銃兎から視線を外した彼が見ていたものはすぐにわかった。銃兎からすれば後方だったので何をしているかは見えなかったが、そこに左馬刻がいることは知っていた。
 碧棺左馬刻。その名は他のディビジョンにも轟いている。元The Dirty Dawgのメンバーの中で最も気性が荒く、最も社会道徳から逸脱した男。チームが解散した今は裏社会に根を下ろして生きている男だと。
 銃兎が職務質問をかけていた場所からしてヨコハマのチームに属していることは彼もすぐに悟ったのだろう。そのリーダーが誰なのかも。だから「変わった」と言ったのだ。
 昔のあなたなら、ヤクザとチームなんて組まなかったのに。昔のあなたなら、テリトリーバトルになんて出なかったのに。昔の、理想の正義を追いかけていた、あなたなら。
「……っ」
 銃兎は歯噛みした。わかっている。あの男はこちらのことなど何も知らない。彼の目を通して語りかけるのは銃兎自身だ。とっくに振り捨て、汚泥に沈めたはずのものが不意に現れて己を責める。どこで道を踏み外したのか、生き方を間違えているのではないかと。
「理鶯」
「どうした」
「もし麻天狼が勝ち上がってきたら、彼の相手は私に任せてもらえますか? 昔のよしみで、徹底的に叩き潰して差し上げたいんですよ」
 お手柔らかに、という言葉に従う気は毛頭ない。自分と同じように、彼とて思ってもいない営業用の文句を汗ひとつかかずに言えるほど変わってしまったのだから。
 あれはもうかつての顔見知りではなく過去の亡霊だ。姿を見せるなら祓い、土の下から伸びてくる手を焼き尽くさなければならない。自分の歩んできた道が間違っていないと、後悔などしていないと証明するために。
「既知の仲だからこそ全力で戦う、ということか。それもまたソルジャーの生き方だな。承知した」
「おい遅えぞテメェら! 何チンタラしてやがる!」
 ほぼ八つ当たりだろう左馬刻の怒声が響く。テリトリーバトルが終わったら、もう一度ブタ箱にぶち込んで近所迷惑という言葉を教えてやった方がいいかもしれない。銃兎は小さく溜め息をつくと、その間に数歩先を行っていた理鶯を追って足を速めた。




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