昼食を作りながらチラリとリビングを見やれば、仁王君はぼんやりとテレビを見ていました。流れているのはバラエティー番組の再放送。二人の女性タレントが、都内のカフェや洋菓子店を紹介しています。

たぶんなんとなく流し見ているだけなのでしょう。時折アクビをする様が仁王君らしい。

しかし。

今の彼は仁王君であって仁王君ではないのです。記憶を取り戻すまでは、私の知る“仁王君”は帰って来ないのです。できるだけ早く記憶を取り戻してもらいたいのが本音ですが──……


「お待たせしました、仁王君」

「おん」


2人分のパスタを並べて、テレビを消します。これは仁王君を私に集中させるため。私と話す事で、同じ時を共有する事で、私との時間を思い出してもらうためです。

仁王君は別の場所で一人暮らしをしているのですが、私の部屋で寝泊まりする事も多かったのです。それを再現すれば少しは記憶が刺激されるのでは……と考えました。

この方法には幸村君も賛成してくださいました。なるべく普段通りの生活をさせるのが一番なのだそうです。


「のう、柳生先生」


その呼び方には違和感があります。仕方のない事とはいえ、苦笑するしかありません。


「呼び捨てで構いませんよ、仁王君」

「なんで?」

「君はそう呼んでいましたから……手を合わせてからですよ、仁王君」


フォークを渡すとそのまま食べ始めた仁王君。面倒くさいヤツじゃ、と呟いて素直に手を合わせました。

これはいつものやり取り。しかしこうもいつも通り振る舞われると記憶を無くしているというのは実はウソで、ペテンをかけられているだけではないかと勘違いしそうになります。


「で、何ですか仁王君」

「ん? あぁ……なんで俺の事引き取ったん?」

「決まり事の多い施設の方が良かったですか?」

「いや、そういうわけじゃないけど……」


口ごもった仁王君は、誤魔化すようにパスタを口にしました。

ケガ自体はある程度治っていた仁王君ですが、記憶が無いのに元のように一人で暮らすのは懸念されていました。幸村君の配慮で可能な限り入院していましたが、それにも限界があります。

そんなわけで入院期限を迎えて施設送りになるはずだった仁王君を、私が引き取ったというわけです。とはいえ私も先日まで記憶を失っていたわけで、そのままだった場合は幸村君か柳君辺りが引き取っていたと思いますが。


「あ……」


パスタを食べていた仁王君の手が、突然止まりました。


「どうしました?」

「これ、美味い」


そう言う仁王君の笑顔は、いつもと変わらない笑み。

私はクリームソースが好きなのですが、今日は仁王君の好きなナポリタンにしてみました。そんな風に笑ってくれるのなら、作った甲斐があったというものです。


「料理上手じゃな、柳生先生」

「……ありがとうございます。よろしければスープもどうぞ」

「おん」


美味い、と仁王君はどんどん食べてくれます。けれどやはりそこに違和感を覚えずにいられません。

分かっていました。仕方のない事だと何度も自分に言い聞かせてきました。

それでもいつもの笑顔で他人行儀にされると、寂しく思います。

いつになったら本当の仁王君に戻ってくれますか?

どうすれば私の元に帰って来てくれますか?





どれくらい待てば、また“好きだ”と言ってくれますか?





ごめんなさい、幸村君。仁王君の事を任せてほしいと言ったのは私ですが、もしかしたら私は……耐えられないかもしれません。









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