あの日、当直で詰めていた俺は、ふと目を覚ました。妙な胸騒ぎがしたからだ。

時刻は午前二時。真夜中で静まり返っている病棟の窓の外──ちょうど東病棟の辺りが、なんだか騒がしかった。


「ごめん、ちょっと見てくる」


白衣を羽織った俺はナースステーションに声をかけると、看護師達の返事も聞かず東病棟へと急いでいた。









救急車の音、呻く声、血の匂い──凄惨な光景が場を支配していた。全てが異常。同僚の医師や看護師の切羽詰まった声が響き、一瞬躊躇してしまう。


「すみません、開けてください!!」


ストレッチャーに乗せられた患者が処置室に運ばれて行く。簡単な応急処置はしてあるものの出血が酷い。周りを見渡せば、そんな患者ばかりだった。

誰が重傷で誰が軽傷かは患者に貼られたシールで分かる。軽傷なら俺でも応急処置くらいはできるけど──……


「柳生先生──!!」


突然の金切り声。


「柳生先生……っ、柳生先生!!」


その声に振り向いてみれば、白衣を着た柳生がそこに倒れていた。柳生が診ようとしていたのだろう。ストレッチャーには患者が乗せられているようだ。

そばに座り込んだ看護師が、動揺したように柳生の身体を揺すっている。

それと、もう一人。


「赤也……?」


看護師の後ろに、よく知るクルクル頭──切原赤也がいた。

どうして赤也がここにいるのだろうか。それはよく分からないけど、赤也が動揺しているのは分かった。半ばパニックに陥っているのだろう。赤也にいつもの元気は無く、その顔は青ざめている。


「赤也、何故ここに……」


駆け寄り際にチラリと見たストレッチャー。そこに横たわる患者を目にして息を飲んだのは俺自身だった。


「仁王……!!」

「幸村さん……よく、分からないんです。俺が見つけた時にはもうこんな状態で、仁王さん、呼んでも返事してくれなくて……!!」


何故仁王がここにいるのか、何故こんな事になっているのか、すぐには見当がつかなかった。止まりがちな思考を無理やり働かせて、状況を把握する。

出血が酷い。
紫の斑点は内出血のためか。
腕は──たぶん、折れている。



何より、意識が無い。



「柳生の事は俺に任せて、君は早く患者を!!」

「はい……!!」

「赤也、仁王と一緒に行け!!」


仁王の状態は、ザッと見た限りでは良くない。俺が診るより専門の奴に任せるべきだろう。そもそも身内と言っても過言ではないほど良く知る人間が相手だ。多少なり動揺している今、より冷静に対処する自信は無い。

ただ、これ以上冷静さを失うつもりも無い。仁王の様は柳生にとって俺以上に辛かったはず。受け入れきれない現実を、柳生は反射的に拒否してしまったのだろうから。

ストレッチャーを見送って、俺は柳生を肩に背負う。さすがに重いけどこのままというわけにはいかない。目を覚ましたら何か奢らせよう。とりあえずはそれでチャラだ。


「けどこの状況、こっちを放置するわけにもいかないよね……」


現場の様子は相変わらず。ひとまず柳生はどこかで休ませるとしても、俺は応援に戻るべきだろう。かと言って気を失っている柳生を1人にしておくのも不安が残る。

左腕の時計を確認すると、もう少しで午前二時半を回るところ。

仕方ない。こんな時間だけど蓮二を呼ぼう。事情を話せば、きっと分かってくれる。ついでに真田も。赤也1人じゃ荷が重いだろうから。


「しっかりしろよ、柳生……」


柳生を背負い直して呟いた言葉は、当の本人の耳には届かない。

とりあえず……と考えて当直室に柳生を寝かせて蓮二と真田を呼び出すと、彼等はすぐに来てくれた。こういう時に頼りになるのは、やはり古くからの友人だ。

蓮二に柳生を任せて、真田には赤也と仁王の元に行かせて、俺は現場の応援に戻った。

そうして全てが終わって柳生が目を覚ました時には、既に柳生の記憶は失われていたんだ。










「……じゃあ比呂士に全て話したのか」

「話したよ。あの日の事は全部ね」

「そうか……。それで、比呂士は?」

「ひとまずは納得したみたい。ただ──」

「──また忘れてしまうかもしれない……か?」


蓮二は察しが良くて助かる。

実はあの日の事を柳生に話したのは、これまでに何度かあった。

それだけじゃない。俺と蓮二、真田、赤也、丸井、ジャッカル、そして仁王と柳生、俺達が中学以来の知り合いである事、それぞれの今も、柳生には話している。その度に柳生は忘れ、全く別の記憶を作り上げてきた。


「記憶の再編集、か。自分の都合の良いように作り上げてしまう……全く厄介だな」

「ただの健忘じゃないけど結局治療は同じだ。根気良く構えないと。それに……」

「それに?」

「今回は大丈夫かな、とも思ってる」

「……何故?」

「なんとなく、ね」


全てを思い出した柳生にこれまでの事を話している時の様子を思い出す。ぼんやりと聞いているだけだった今までとは違う。

俺が知る全てを聞いて苦笑した柳生は、僅かに俯いて何かを考えた後に言ったんだ。





──仁王君の事は、私に任せてくださいませんか?





思い出しては忘れて新たな記憶を作り上げてきた今までとは、明らかに違う様子だった。




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