次々に運び込まれる患者。

慌ただしく駆け回る医師や看護師達。

泣き叫ぶ声。



──包帯の白と血の朱の、異常な光景。



「    ……!!」



私の中に流れ込んできたのは、あまりにもリアルで凄惨な“記憶”でした。











「俺の手持ちの資料はそれだけだ。もっと欲しいなら医事課に聞いてみるかネットで調べるか……あぁ、真田を使っても良いよ。アイツはなんたって警察だからね」


幸村君が出してくれた、いくつかのファイルとCD-R。その一番上にあったファイルを開いて、何故か漠然とした不安に襲われました。

そこにあったのは、多数の犠牲者を出した事故の新聞記事。数ヶ月程前の日付の物です。


「いえ、結構です。しかし良ければもう一つ、見せて頂きたいのですが……」

「何?」

「──私自身のカルテを」


一瞬の沈黙。

それから僅かに考える素振りを見せて、幸村君はパソコンを操作しました。沈黙があったとはいえ、表情一つ変えないのはさすがと言うべきでしょうか。


「はい、柳生。これで良いかな?」


パソコンのディスプレイに示されたのは、私自身のカルテ。氏名や生年月日は、紛れもなく私自身のもの。そしてこれまでの所見記録、病名に一通り目を通した時、私の口からは無意識に溜め息が零れていました。


「どうして私は……」


メガネを外して少し目を休めます。頭痛がしてきた気がするのは気のせいでしょうか?


「どうして私はあの事故の事を忘れていたのでしょうか?」

「仕方ないよ、柳生。あれはあまりに悲惨だった。ショックを受けてしまうのも仕方ない。疲労も溜まってたからね、柳生の場合」

「あの日、私も治療に参加していたんですよね?」

「いたね、柳生も。重症者は主に外科と内科で、軽傷者や患者家族の対応は俺みたいな他科が担当していたんだ」

「幸村君もいらっしゃったのですか?」

「うん。覚えてないだろうね……俺が柳生と会ったのは柳生が倒れた後だったし」

「倒れた……」

「疲労からだよ。何度も言うけど連日の多忙と、凄惨な光景のショックから」

「医者なのに?」

「医者だって人間だ。根本的な事を忘れてるんじゃないかな、柳生」


幸村君は私の髪を撫でながら続けます。


「とにかく……ちゃんと休みなよ、柳生。お人好しもほどほどに」


幸村君の笑顔が優しくて、それが堪らなく嬉しい。記憶を無くしている間、私は幸村君に守られていたのでしょう。柳君にも。

けれど。

例えば疲労や凄惨な光景が原因で倒れたとして、何故記憶まで無くしていたのでしょうか。本当にそれだけが原因なのでしょうか?

試しに死傷者リストに目を通してみても、特に目に留まるような名前はありませんでした。身内の危機に直面して記憶が曖昧になっているのかと思いましたが、そうではないようです。

それから気になる事がもう一つ。

忘れていた記憶が何故仁王君と会った瞬間に思い出したのか。

これに関してはどういうわけか、考えようとすると頭痛がするのです。まるで本能がそれを拒否しているかのようで、私は考える事を諦めざるを得ません。

私の中で何かが引っかかっているのでしょう。しかしそれが一体何なのか、私には分からないのです。













「アイツ、本当に医者なんか?」


精市と比呂士が出て行った後、雅治が呟いた。


「医者だ。間違いなく」

「患者を見て倒れるヤツが?」


「倒れてはいない。倒れかけただけだ」

「同じじゃろ」


雅治はしばらくは精市と話していた。体調の事や天気の事、何気ない世間話。最初こそ比呂士に関心を寄せていたがそれっきり。後は俺達の事はまるで無いような扱いで、精市しか見ていなかった。

その間、比呂士は雅治を凝視していた。何かを考えるような素振り──おそらくは目の前にいる人物が、自分が真夜中に会っている人物と同じかどうかを考えていたのだろう。比呂士が当直の夜に雅治らしき幽霊と会っている事は精市に聞いた。ちなみに俺はそういう類の物は信じないから、ただの情報として聞いただけだ。

あるいは、己の矛盾に気付いたか。


「他人の顔見て苦しそうにして……同情か? 失礼じゃろ」

「そうだな、それは俺から注意しておこう。しかし比呂士はお前の事を全く知らない。つまり同情ではないんだ。許してやってくれないか?」

「柳先生がお口でサービスしてくれるなら許しちゃる」

「調子に乗るな、仁王!! たるんどる!!」

「たるんどるのはお前の頭じゃろ。病院で叫びなさんな、オッサン」

「誰がオッサンだ!! 俺はお前と同い年だ!!」

「同い年!? 冗談じゃろ!!? どうみても40代のオッサンじゃ!!」

「残念ながら同い年だ。しかし可哀想だからそれ以上言わないでやってくれ」

「柳、お前まで……!!」

「お前は少し落ち着け、弦一郎。とりあえず叫ぶな。本気で出入り禁止にするぞ」

「……っ!!」


俺の表情を見て本気だと分かったのだろう。息を飲んだ弦一郎は、それ以上何も言わなかった。とはいえ弦一郎は警察官。出入り禁止にしてもその気になれば捜査や事情聴取の名目で簡単に入る事ができるのだが。


「オッサン、前も言ったけど俺、何も覚えてないぜよ」

「あれから何も変わらないのか?」

「変わらん。強い光と大きな音くらいしか覚えとらん」

「そうか……すまなかったな」

「弦一郎、そろそろ……」

「あぁ。ではまた来るぞ。何か思い出したら教えてくれ」


そう言って病室を去る弦一郎の背中に、もう来るな、と雅治は吐き捨てる。

別に本当にそう思っているわけではないだろう。弦一郎が仕事で来ている事くらい、分かっているはず。記憶が無いとはいえ、雅治は“被害者”なのだから。あれは雅治の挨拶みたいなものだ。

その辺りは弦一郎も分かっているから、懲りずにまた来る──いや、来ないわけにはいかない。正義感の強い弦一郎は。


「そう焦るな、弦一郎」

「しかし……目撃者が出ない今、頼りになるのは仁王だけだ。仁王ならば、何かしら見ているはずなのだ」

「記憶喪失は一時的な事で多くの場合は戻る」

「だがそれが遅ければ遅いほど犯人の特定は難しくなる」

「……この事件はお前の担当ではないはずだが?」

「分かっている。分かっているが……」


旧友の境遇をどうにかしたいという気持ちと、警察としての守るべき立場、一向に動かない捜査状況に、苛立ちが隠せないのだろう。

それっきり、弦一郎が口を開く事は無かった。





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