人間というのは不思議なもので、疲れている時、精神的に参っている時にはそのバランスを保とうとして、楽しい夢、幸せな夢を見るのだそうです。

私が見たのは仁王君の夢。夢というには少しリアルな、ありきたりな日常を切り出したような夢。ただ最後に仁王君がキスをしてくれた──それだけで満たされたその夢は、私にとってはとても幸せな夢でした。

それはつまり、私が疲れているという事でもあるのですが。










ボンヤリとした意識の中で見えたのは、白い天井でした。消毒液の独特の匂いが、ここが病院である事を思い出させます。


「おはよう、柳生。気分はどう?」


ベッドサイドのパイプ椅子に腰掛けていたのは、幸村君。その上にある時計を見れば、既に15時を回っていました。


「疲れてたんだね。よく眠ってたよ」

「すみません、幸村君。診察のご迷惑だったでしょう?」

「別に迷惑じゃないよ。一応衝立は立てといたけど。そういえばついさっきまで蓮二が来てたんだよ」

「柳君が?」

「蓮二も心配してたよ。柳生、ちゃんと休んでる? 夜はちゃんと眠れてる?」

「大丈夫ですよ。きちんと眠れてます」



──当直の夜以外は。



なにせ当直の夜は仁王君と毎回毎回……なんて、口が裂けても言えません。


「どうしても眠れない時は眠剤を使っていますし……本当に大丈夫ですよ。ご心配おかけしました」

「ところで柳生、どんな夢を見ていたんだい?」

「え?」

「幸せそうに眠ってたから」


幸せ、そうに……?

瞬時に顔が熱くなりました。耳まで赤く染まっている事が、見らずとも分かります。

それはおそらく仁王君の夢を見ていたからであって、あまつさえキスをして頂くという、抱きしめて頂くという、そんな夢だからであって──……


「良い夢が見れたみたいだね、柳生?」


顔赤いよ?──幸村君に言われて慌て顔を隠しましたが既に遅く、幸村君はニコニコと楽しげに私を見ています。

そんな私の様子がおかしかったのでしょう。幸村君は声をあげて笑い始め、ひとしきり笑い終えてから冷たいお茶を出してくれました。


「けど柳生がそんなになるくらい幸せな夢って何だろうね……もしかして仁王の夢?」


からかうような口調は、いつもの事。しかし的を射抜いたその言葉に、飲んでいたお茶を思わず吹き出してしまいました。

我ながら動揺しすぎです。

それが更に面白かったのか、幸村君は遠慮無く笑っていました。


「ごめん、笑うつもりはなかったんだけど……柳生って意外と分かり易いなぁ。はい、タオル」

「……どういう意味ですか、それ」

「いつも冷静でポーカーフェイスに見えるけどさ、実はそうじゃないよね、柳生って」


まぁそれは俺や蓮二達の前でだけなんだろうけど、と幸村君は続けました。


「で、柳生。今から時間ある?」

「えぇ、私は大丈夫ですが……」

「俺も次の診療は17時からだからさ、ちょっと行こうか」

「行くって……一体どちらへ?」


私が首を傾げると同時に、幸村君はニッと笑いました。何かイタズラを思い付いた子供のような、そんな笑み。

皆目見当もつかない私を前に、変わらぬ笑みを浮かべたままで幸村君が言いました。


「──仁王に会いに」










「蓮二!!」


ナースステーションの辺りで柳君は誰かと話をしていました。背の高い男性です……とはいえ、柳君の方が少しばかり高いのですが。


「柳生も起きたし、タイミングも良いみたいだから会いに行こうと思うんだけど」

「会いに? まさか精市……」

「もちろん、仁王に」

「仁王の元に行くのか? ならば幸村、俺も一緒に──」

「あれ? 真田まだいたの? 警察に用は無いからさっさと帰りなよ」


柳君と話していた男性──“真田”と呼ばれたその人を一瞥した幸村君は、そのままそっぽを向いてしまいました。顔見知りのようですが、仲が悪いのでしょうか?


「幸村!! 俺は一刻も早く──」

「──解決したいのなら尚更首突っ込まないでよ、刑事さん。まだ治療は終わってない。“ただの真田”ならまだしも、“警察の真田”の出番は無いんだよ。変化があればこっちから連絡するって何回言えば分かる? お前バカ? 日本語理解できないの?」

「しかし幸村……」

「じゃあお前も来れば? 現状を見れば分かるだろ。でも余計な真似はしないでよね、真田。お前は絶対喋るんじゃないよ」

「幸村……っ」

「精市の言うとおりだ、弦一郎。たった一言が患者にとっては重い事もある。焦る気持ちも分かるが、ここは専門家に従ってみないか?」


専門家とは、言うまでもなく幸村君の事でしょう。

“真田”と呼ばれた彼はしばらく考えた後に私を一瞥して、分かった、と一言だけ言いました。


「本当に、絶対余計な事言うなよ?」


念を推すように言って、幸村君は私の手を引いて歩き始めます。その後ろから柳君が、隣には“真田”と呼ばれた彼。


「あの、幸村君。彼はどなたですか?」

「真田の事? 警察だよ。自分の担当でもないのにある事件の事を調べてるみたい。そんなんだから警察のお偉いさんに疎まれるんだよねぇ」

「幸村、だから俺は……!!」

「黙れよ、真田。だいたいお前さ、自分の立場ってのを考えたら? 昔から曲がった事が嫌いでそれが悪いとは言わないけど、分をわきまえなよ。管轄外の事に深入りしすぎて首が飛んだらどうするのさ?」

「構わん。それで解決するのなら俺は──」

「本っ当に馬鹿だよね、真田って。お前が良くても当人が気にするだろう? それにいざって時には便利なんだよ、警察の立場とか権力って」

「話がずれているぞ、精市」

「そうだね……悪いね、蓮二。真田と話すといつもこうだ。真田は頭が硬いから」

「幸村……!!」

「あぁ……着いたよ、柳生」


苛立った口調でまくし立てた幸村君が、急に足を止めました。

そこは病棟の一室──病棟の出入り口から一番近い病室でした。ここに入るのは、確か症状の軽い患者です。

プライバシー保護のため、病室に患者のネームプレートはありませんが──……


「入るよ、仁王」


開け放たれたままのドア。そこをノックした幸村君は、私の手を引いて中へと足を踏み入れます。


「気分はどう?」

「どうって……いつもと変わらんぜよ」


目を引く銀髪と、日に焼けていない白い肌。気怠そうな眼差し──やはりと言うべきか、私の知っている仁王君がそこにいました。

刹那。


「──っ!!」


突然私を襲ったのは、眩暈。

同時に流れ込んできた、誰かの記憶──その断片。

幸村君がとっさに支えてくれたので倒れるまではなかったものの、支え無しでは立つ事もままなりません。


「大丈夫かい、柳生?」

「精市、やはりまだ──」

「──大丈夫です」

「比呂士……」

「大丈夫ですから」


無理に笑顔を作ってみせて、改めて仁王君に向き直ります。

戸惑うような素振りは私の気のせいでしょうか。私の知る──そう、真夜中に会う仁王君とはどこか雰囲気が違うのです。


「……誰じゃ? 幸村の知り合い?」


その仁王君は、私の事を全く知らない様子でした。





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