「あー……そっか。今日って……」 何か忘れている――そう思ったのはつい数分前。思い出せない事が気持ち悪く、唸りながら思いだそうと努力した結果、幸村はようやく思い出すことができた。 それにしても何故忘れていたのだろう。自分の誕生日には、あんなに頑張ってくれた相手の誕生日だというのに。 何をしてくれたっけ?、と思い出す。 旅行に連れて行ってくれた。仕事ばかりで疲れているだろうから気分転換に、と。自分だって仕事で疲れているはずなのに。 思えば自分達はいつだってそうだった気がする。自分も彼も、医師と警察官という仕事柄、休みが合うことはなかなか無い。そして互いに依存しているわけでもなく、相手がいないからと駄々をこねたりはしない。良くも悪くも、空気のような存在。 たまに休みが合ってもお互い疲れているだろうからと無意識に気を遣い、どちらかの部屋で一日中寝ていたり。恋人らしい事をしたのはあの日が久しぶりだった。 倦怠期とは思わないが――そうか、もう2ヶ月半も離れているのか。今更ながら、気付いてしまった。 「せっかく真田の誕生日なのになぁ……」 真田は今、何をしているんだろう――気付いたら気になってしまうのは人間の性か。幸村はぼんやりと真田の事を思った。 タイミング良く、幸村から連絡があった。今日は自分の誕生日であるし、と真田なりに少し楽しみにしていた反面、幸村は仕事で忙しいからと遠慮していたのも事実。 前に会ったのは、幸村の誕生日。疲れも手伝って、幸村不足が深刻になっていたところだった。 良かった、と心底思う。これならばアレも無駄にはならないだろう。 ※ ※ ※ 「誕生日おめでとう、真田ー」 「幸村!?」 「ん?何ー?」 デートらしいとはいえないながらも軽い食事をして、真田の部屋につく。玄関の扉を閉めた途端に、幸村は後ろから真田に抱きついた。 突然の事に困惑する真田をよそに、鼻先をその背中にくっつける。 「真田の匂いー」 「いきなり何だ、幸村」 「良いだろう? 久しぶりなんだし。それとも何? 真田は嫌なの?」 「そうではないが……」 「じゃあ問題無いだろ? 真田の匂いー」 「幸村……っ」 「ん? どうした?」 どうした?――と言いながら、真田のシャツの裾に手を滑り込ませる。隆々とした腹筋が、その指先に触れた。 「待て、幸村!」 「えー? 良いじゃん、久しぶりだし……真田の誕生日だしさ、気持ち良くしてやるよ?」 「……っ!」 耳元で囁けば、真田が息を飲むのがわかった。本当は真田だってしたいくせに、欲に素直で無いのは昔から変わらない。 ところが直後に、その手を引かれる。そのまま部屋に連れ込まれたと思えば、今度は正面から強く抱き締められた。 「少し待て」 「なんで? 嫌じゃ無いんだろ? 俺、真田に抱いてほしいな」 「率直に言うな」 俺だって我慢しているのだ――言って、耳の裏側を真田の舌が這う。その感覚が幸村を一層昂らせている事を、真田は知っていてやっているのだろうか。 真田の腕の中でぼんやりと考えていると、幸村、という低い声音が聴こえた。 「お前に渡したいものがある」 「渡したいもの?」 真田の誕生日なのに?という疑問が拭えない。幸村自身は夕方出掛けた先で見つけた物をプレゼントした。 「えー? 何?」 誕生日を迎えた本人からのプレゼントとは、一体何だろう。ワクワクしながら真田を見やれば僅かに微笑して、唇を奪われた。 触れるだけの、優しいキス。 その暖かさが、幸村を包み込む。 キッチンに向かった真田が、冷蔵庫を開けているのが分かる。何かを取り出すと幸村が待つリビングに戻り、それをテーブルの上に置いた。 目の前に差し出されて、思わず呆然とする。 「真田……コレ、どうしたの?」 「いや、まぁ、その……」 気恥ずかしいのだろうか。真田は口ごもり、それ以上答えようとはしない。 けれどおそらくは自分が考えている事が正解なのだろう。もう一度それに目を向けて、幸村は確信した。 「ねぇ、真田」 「……なんだ?」 「コレ、お前の趣味? 可愛すぎるよ」 「……ま、丸井に、頼んだら……そうなった」 「丸井に?」 「あぁ、ケーキを作ってくれ、と……俺達の、その……」 「ウェディングケーキ?」 やはり気恥ずかしいのだろう。頷く事こそ無かったが、目を伏せる様子でわかった。 それは小さなケーキだった。 丸いケーキの縁を彩る花が、鮮やか。いくつかの花に飴細工の蝶が舞い、華やかさが増している。どれもこれも、丸井の手作り。そしてこれも、丸井の手作りだろう。中央に置かれたチョコレートのプレートには『Happy wedding』という文字と、真田と幸村の名前。 「頑張ってくれたんだね、丸井。感謝しないと」 「あぁ」 「ところで真田」 「なんだ?」 「なんで今日?」 僅かに躊躇うような素振りを見せた真田は、一瞬間を空けて呟いた。 「入籍できるなら、俺の誕生日が良いと思った」 それくらい構わないだろう?――真田は言って、目を背ける。 出会った当初から変わらない仏頂面が、この時ばかりは可愛く思えた。 クスクスと笑えば、笑うな!、と真田が恥ずかしそうに叫ぶ。 「ねぇ、真田」 「なんだ。……もう良いだろう」 「良くないよ」 この話は終わりだと言わんばかりの真田に、幸村は待ったをかける。 まだ、終わってはいない。 「俺に言うことがあるんじゃない?」 じゃなきゃ俺は真田のものにはならないよ?――そう言うと間髪入れず、真田が抱き締めてくる。力強いこの腕のぬくもりが、幸村は好きだ。 そうして耳元で囁かれるのは永久の愛。不意に左手を取られたかと思えば、いつの間に用意したのだろうか。左の薬指に何かを嵌められた。 何か――なんて、わかっている。 嬉しくて真田を抱き締めると、真田は改めて愛の言葉とキスをくれた。 さて、せっかく用意してくれたケーキだ。こんな時間だけど、お茶の準備をしよう。何が良いかな?―――幸村は目を閉じて、真田に身を委ねながら考える。 そうだキャンディーが良い。渋味の少ない、けれど濃くのあるキャンディーが。 |