さて、ここはどこだろうか──考えても分からない。新幹線とバスを乗り継いで着いた先は、見知らぬ土地。移動が多すぎて、自分が今どこにいるか全くわからない。 「こっちじゃ」 前を行く仁王に連れられるがままに歩く。誕生日は空けておけと言った仁王は、一体どこに連れて行こうとしているのだろうか。 しばらく歩いて着いたのは、海にかかる大きな橋の前。テレビか何かで見たことがある気がする。 「この橋渡って俺、本州に行くつもりやったんじゃ。小さい頃の話じゃけどな」 「じゃあここは……」 「俺が育った街じゃ」 風が髪を弄びます。私はもう一度、目の前にある橋に目を向けました。 ここが、仁王君の育った街。 「仁王君にも小さい頃があったんですね」 「どういう意味じゃ」 「生まれてから死ぬまで仁王君は仁王君のイメージがあったので」 勿論そんなはずはありません。現に、中学生の仁王君と今の仁王君は、面影こそありますが全く違います。 この街で仁王君は何を見て育ち、何を思ったのでしょうか。 「……本州に行って何をするつもりだったんですか?」 「内緒」 「そもそもいつの頃の話ですか?」 「何歳じゃろな……10歳くらい?」 「10歳!? 本当に何をするつもりだったんですか?」 「教えんぜよ。さ、次行くぜよ」 10歳といえばある程度は物がわかってきて、できる事、できない事の分別くらいは分かるはず。本当に仁王君は何をしようとしていたのか気になりますが、きっと彼は教えてくれないでしょう。 踵を返した仁王君は、さっさと歩き始めます。もう少しここにいたい気持ちもありましたが、置いていかれては困ります。 さて、この先何が待っているのやら…… ※ ※ ※ 「仁王君、こんな格好で一体どこに行く気ですか?」 「んー……どこじゃろな」 前を歩きながら振り返った仁王君の口元は、笑みを形作っていました。 橋を後にして仁王君に連れて行かれたのは、私好みのカフェ。そこでお茶をした後は、滅多にお目にかかれない書物が揃っている古本屋、厳選された紅茶を扱っている専門店、見るからに高級そうな物ばかり並んでいる紳士服の店。ウィンドウショッピングというには、少々敷居が高い場所のような気がします。 「お前さんが高級志向じゃないのは知っとるが、たまには良いじゃろ?」 「悪くないですね」 「素直に良かったち言いんしゃい。時間掛けて品定めして高い紅茶を買ったのは誰だったかのう」 「これは幸村君、柳君とお茶をするためです。二人の舌は誤魔化せませんから、きちんとした物を選ばなくては」 「使い道なんぞ誰も聞いとらんて」 言いながら笑う仁王君があまりに楽しそうなので、まぁいいか、となってしまうのは、惚れた弱味というものでしょうか。仁王君が楽しそうならそれで良いと思ってる自分がいます。 とはいえ、この服は一体何でしょう。次に行く場所はドレスコードでもあるのでしょうか。 先程立ち寄った紳士服店で見繕って貰ったのは、ジャケットとパンツ。スマートカジュアルとでもいうのでしょうか。揃って着込めばそれなりにきちんとした装いに見えるのですが、使い方次第では普段も着れそうです。 仁王君もいつもとは違う服に着替えていて雰囲気も違いますし、何というか…… 「カッコイイじゃろ?」 「何の話ですか」 「惚れ直した?」 「自意識過剰も良いところですね」 ククっと笑った仁王君が右手の腕時計を見て、頷いたように見えました。 「そろそろ行くか」 「どこへ?」 「予約した場所」 やはり次の場所はそれなりのお店で、ドレスコードでもあるのでしょう。辺りはもう暗くなっていますし、時間的にも次はディナーといったところでしょうか。普段行かないくせにと思う反面、私のために……というその心は、なんだか嬉しくもあります。 ところが仁王君について歩いていると、街中からどんどん離れて行きます。片隅にでもあるのかと思えば今度は裏道に入り込み、気がつけば木々が生い茂った中を二人で歩いていました。 小さな街灯が所々あるだけの、暗い小道。元々そういうところが苦手な私は、不意に仁王君の手を取っていました。 「もう少しじゃ」 そんな仁王君の声に安心している自分が嫌になります。 「そういえば仁王君、いなくなっていた間どこにいたんですか?」 以前聞いた時は、私の誕生日まで内緒だと言われました。今日はその誕生日。もう教えてくれても良いはずです。 「あぁ、海外に行っとった」 「海外?」 「おん。フランス、イギリス、ドイツにカナダ……ジャッカルのつてを使ってブラジルにも行ったな」 「ジャッカル君は知ってたんですか!?」 「おん。誰にも言わんよう口止めしとったから、許してやってな」 楽しかったぜよ──そう笑う仁王君の横顔が本当に楽しそうで、良い経験ができたのだとわかります。 「私をほっぽってまで行って、さぞ楽しかったでしょうね」 「拗ねとるんか?」 ニヤニヤと笑う仁王君から顔を背ければ、途端に手を引かれました。その腕に囲われて、仁王君の匂いが私を包み込みます。 「……拗ねても良いですよね、私」 どれくらい待ったと思ってるんですか──と続ければ、そうじゃな、と仁王君。抱き締める腕の力が少し強くなりました。 「海外な、良いところいっぱいあったぜよ。どこも風情があるというか、柳生っぽいというか……」 でもな、と仁王君は続けました。 「やっぱり一番最初に見た場所が良かったんじゃ。小さい頃の記憶とか思いは消せんもんじゃな」 仁王君が私から離れて、それを見上げました。どこか尊い物を見るようなその瞳は、同時に遠い日を映しているのでしょうか。 いつの間にか目的地に着いていたのでしょう。そこには二つの塔が連なるレンガ造りの教会がありました。 月明かりに照らされたそれは、神聖そのもの。いつか何かで読んだその作りは、おそらくロマネスク風様式と呼ばれるもの。古めかしい雰囲気が、歴史を感じさせます。 「小さい時にたまたま見つけた教会じゃ。こんな辺鄙なところにあるもんじゃな。あの時は妙にかっこ良く見えた」 「素晴らしいですね」 「中のステンドグラスも凄いぜよ。けど、俺が惹かれたのはこっち」 仁王君が再び私の手を引いて、ほんの少し歩きました。向かった先は、教会の片隅。木に隠れるようにある、石造りの小さな祠。その一番奥にひっそりと佇む、聖母マリア像。 「こんなところに…」 「理由は知らんけどこれが子どもながら印象的でな、誰かと結婚するならここが良いち思っとった」 「え?」 さらりと口にした仁王君は、行くぜよ、と笑って私の手を引きます。 「え、結婚!? 結婚って言いました仁王君!? え、待ってください。私、知りません。誰と結婚なさるんですか!? 私がいながら、誰と!?」 「おー、動揺しとるのう。普段なら言わんような事、口走っとるぜよ」 「この際ハッキリ言います。気分屋で何考えているのかわからない宇宙人のような仁王君とマトモに付き合えるのなんて、古今東西、未来永劫、私以外に存在しませんよ!?」 「そうじゃな」 「答えてください、仁王君!」 「わかっとるくせに……聞きたいなら言うてやるぜよ」 ちょうど教会の扉の前で立ち止まった仁王君は、私を抱きしめました。仁王君の息遣いを耳元に感じて、不覚にも胸が高まります。 「結婚しよ、柳生」 「仁王君……」 「だからここに来た。どこで誓うか、ずっと探しよった」 「……って、君は無宗教でしょう、仁王君。信じてもない神様に誓うつもりですか?」 「まさか。柳生の事じゃし、相手は俺じゃ。誓うならアイツ等に、じゃろ」 「アイツ等?」 仁王君が教会の扉を開きました。少し抑えられた灯りの中に、誰かがいます。 「プロポーズは上手く行ったかい、仁王?」 「予定より時間がかかったな。苦戦したか、雅治」 「だって比呂士だろい。仕方ねえな」 「で、上手く行ったんすよね仁王先輩」 「こんなところ借りてまでしたのに失敗したら恥ずかしいぜ?」 「まさか振られたのか?」 そこにいたのは、見慣れた顔。学生時代の、テニス部のメンバー。 幸村君、柳君、丸井君、切原君、ジャッカル君、真田君──その全員が、それなりにきちんとした服装で笑っています。そう、まるで挙式の参列者のような格好です。 「フラれるわけないじゃろ、縁起でもない。でもまだ答えは聞いてないのう」 「んじゃここで言いましょうよ、柳生先輩」 「え……?」 「そうだな。お前達には随分心配させられた。俺達の前で返事をしろ。罰ゲームだ」 「柳君!」 「フラれたら失恋パーティーでもしようか」 「幸村。俺、お前さんに何か恨まれるような事したかの?」 「柳生、遠慮する事はない。お前にはもっとふさわしい奴がいるかもしれんぞ」 「そうだぜ、比呂士。良く考えろ。コイツはお前を、一時的にでも一人にしたんだぜ?」 「それに関しては何も言い返せんナリ」 「あ、オレは知ってたんだけどよ……ごめんな、柳生」 仁王君に口止めされていただけなのに申し訳なさそうなところが、ジャッカル君らしいです。 思わず笑っていると、皆さんが私を見ていました。私の言葉を待っているようです。 さて、こういう時は何と言えば良かったでしょうか。少しだけ考えていると、柳君が優しく微笑んで助け船を出してくれました。 「As freely as God has given me life,I join my life with yours. Wherever you go,for better or for worse,for richer or for poorer,in sickness and in health...」 |