「珍しいね。1人かい? 柳生はどうした?」 気配を消して背後から近付いた俺の存在を、幸村はあっさりと見抜いた。 いつもの事じゃが、つまらん。俺はコイツの背後を取った事が無い。 「丸井に預けてきた」 「何ソレ。保育園みたい」 「似たようなもんじゃろ。頭は良い割にいつまでも言うこと聞かんし……子どもと同じじゃ」 「じゃあお前は子どもに手を出してるってわけだ、保護者さん?」 クスクスと笑う幸村はタチが悪いが、事実だから言い返せない。長引かせるのも面倒くさくて、周りに誰もいないのを見計らって俺はさっさと本題に入る事にした。 「……で、アイツをどうする気じゃ?」 「アイツ?」 パソコンの前に座って何やら作業をしていた幸村が、モニターから目を放さずに返す。 分かっているくせに聞きたがるのは、単に確認のためだろうか。 「真田の事じゃ」 「あぁ、あの仏頂面ね」 「柳の幼なじみじゃて?」 「そう言ってたね、蓮二が」 「本当か?」 「うん、それは本当だと思うよ。もっとも……」 幸村は一度、作業の手を止めた。キーボードに触れた指先はそのままに、目を閉じて柔らかな笑みを浮かべる。 その姿は、儚げでありながら妙な威圧感がある。 「記憶喪失ってのは怪しいけどね」 外部と呼ばれる一般的な世界と第参区は全く違う。平和な日常の裏にある、人身売買や薬物をはじめとした住民同士の争い。こちらから見れば生きて行く術にすぎないそれも、あちらから見れば利己主義を具現化したような非現実的な世界──それが第参区。法律など通用しない。 そんな無法地帯に、一般人が足を踏み入れればどうなるか──なんて、考えずとも分かる。殺されるか売られるかの、ほぼ二択。 柳の場合は侵入直後に赤也に出会っているから例外ではあるが……普通はまずマトモな状態ではいられない。にもかかわらず、真田はケガ一つ負わず第参区の中心部で保護された。 真田には何かあるとしか言いようが無い。 「目的は?」 「分かってるくせに聞くのかい?」 「チップ、か……」 「それ以外に何かある?」 「柳の幼なじみじゃろ?」 「疑っておくに越したことは無いよ。蓮二絡みなら特にね」 もちろん、信じたいならそれも構わない。けどお前はそういうタイプじゃないだろ?──幸村はそう言って、再びキーボードを叩き始めた。 もちろん真田の正体が何であるか、なんて俺には関係の無い事。むしろ関係してくるのは──…… 「で、どうするつもりじゃ?」 本題に戻る。 「どうもしないよ。何も無ければそれで良し」 「真田が動いたら?」 「動き方次第だね。場合によっては──……」 幸村がにっこりと笑う。見る者を魅了する微笑み。その裏にある、本質を隠す仮面。 「仕事をしてもらう事になるかも。悪いね、仁王」 「いつもの事じゃろ」 「でも他人の心配してる暇なんてあるのかい?」 「何じゃ」 「柳生の事さ」 幸村は何も全てを知っているわけではない。が、まるで全てを知っているかのような口振りで話を進める。現に、今も。 答えない俺には気にもかけず、そういえば、と幸村は言った。 「シヅエさんが腰が痛いって言ってたよ。マッサージしてあげたら?」 ※ ※ ※ ※ ※ 「うわぁ……これでよく平気じゃったな、婆さん。凝りすぎじゃろ」 「痛くて堪らんからお前さんを呼んだのよ。相変わらず上手だねぇ」 市場の近くに住む婆さん──シヅエさんは、腰が悪い。時折腰が痛いと言って俺を呼び出しては、マッサージをさせる。曰わく、“一番上手”らしい。 「骨盤歪んどるぜよー……首も」 「アタシももう歳だからねぇ」 「これ肩も痛いじゃろ。頭痛も。婆さんのくせに、一体何したらこれだけ悪くなるんじゃ」 「さぁねぇ……草取りをしたからかねぇ」 笑いながら、婆さん。 骨の歪み方がいつもより酷い。いや、酷いなんて物では無い。確かに歳が歳だから腰痛はともかく、草取り程度でここまではならないはず。 「ネズミが紛れ込んでるみたいでねぇ」 唐突に婆さんが口を開く。その口振りは、いつもと変わらない。 「あんまり煩いもんだから追い回してたのよ。行儀の良いネズミなら構わないけど、そうじゃないみたいだからねぇ」 「……で、追い出したんか?」 「逃げられたよ。お前さんも悪いネズミは追い出しておくんだね、煩くて適わん。それに大切な物を持って行っちまう」 「……」 「守りたければ追い出してしまう事だねぇ……あぁ、もう良いよ。ありがとうね」 「気にしなさんな。また呼びんしゃい」 「……白髪」 “白髪”とは、俺の事。文字通り白髪の婆さんにそう言われるのは癪だけど、何度言っても“白髪”と呼んで聞かない。訂正するのを諦めたのは、ずいぶん前の話。 「本当に、ありがとうね」 背中でそれを耳にしながら俺は、また呼びんしゃい、と手を上げてその場を後にした。 婆さん──情報屋のシヅエの死体が発見されたのは、翌日の事。病死や老衰ではなく、明らかな他殺だった。 |