元はどこかの誰かが処刑された日であるバレンタインが今では恋人達のイベントである事は衆知の事実で、無論それは仁王も知っているが、それにしても納得できない。恋人達のためのイベントであるなら何故自分は柳生と一緒にいないのだろうか。

苛立つ理由に思い当たって、溜め息しか出ない気持ちが半分、舌打ちしたい気持ちが半分。

一つは自分のせい。正月から続く罰のため、未だ柳生に触らせて貰えない。もう一つはといえば仁王が原因ではなく、これこそがバレンタインを一緒に過ごせなかった理由なのだ。


「……ったく、誰じゃ。こんな日に結婚式なんぞしよった奴は」

「友人ですよ、中学時代の」


唐突に声がしたかと思えば、そこに柳生がいた。たった今帰ってきたばかりなのだろう。引き出物らしき荷物を片手に、ネクタイを緩めていた。


「友人? 誰じゃ。幸村? まさか真田?」

「違います。そもそも私は新婦側の友人として列席したのですから。ほら、彼女ですよ。中学の頃、仁王君に好意を抱いていた……」

「あぁ、アイツか。結婚できたんじゃな」


言われて思い出す。中学の頃、自分につきまとっていた美人──少し高飛車な、けれど律儀な一面もあった彼女。

元より美人である事を考えたら、少し遅いかもしれない。失礼ではあるが尻軽そうだし、もっと早く結婚して早々に離婚しているイメージが仁王にはあった。

仁王が言わんとする事を察したのだろう。柳生は苦笑した。


「根は素直な良い方ですよ。あの性格ですから勘違いされそうですが……私もそうでしたし」

「けど意外じゃな。柳生がアイツと付き合いがあったなんてのう」

「仁王君が行方不明の間、ずっと話を聞いていてくれたのは柳君以外では彼女くらいですからね」


仁王は、ぐっ、と言葉に詰まる。それを出されると、何も言えない。

クスッと笑って、柳生は続けた。


「私が仁王君と付き合っている事も知っていますよ、彼女は。知った上で心配してくれていました」

「……ウソじゃろ?」

「本当です。いつでしたか……彼女と飲む機会があって、その時に中学の頃仁王君に好意を抱いていた理由は単に“イケメンの彼女”というステータスが欲しかっただけだと白状してくれました。あの頃は馬鹿だったと、御自分で仰ってましたよ。その時にお酒の勢いのまま、カムアウトしてしまいました。そしたら彼女、何て言ったと思います?」

「何じゃ?」

「なんとなくそんな気がしてた、と。たいして驚かなかったんですよ、彼女。そう思い始めたのは大学に入ってかららしいですけど。誰を紹介しても私にその気が無かったというのも理由の1つだそうです」


そういうのを受け入れられる、広い心を持つ方ですよ──そう柳生は付け足した。


「何にせよ仁王君がいない間、彼女も私を支えてくれていました。そんな彼女の晴れの日です。お祝いしたいじゃないですか」

「……そうじゃな。あと感謝せなんのう」


部屋着に着替えた柳生が、ソファーに座る仁王の隣に腰掛ける。間を置かず、柳生は横になって仁王の膝を枕にした。

突然の事に、仁王は戸惑った。なにしろ罰を受けている身なのだ。触れば別れる、と宣言されている。

そんな仁王を知ってか知らずか、柳生は手にしていたカメラを仁王に渡した。


「綺麗でしたよ、ドレス姿。元より綺麗な方ですから、似合わないはずないのですが」


カメラの中には、純白のドレスに身を包んだ彼女がいた。あの頃の面影を残しながら、より綺麗になった彼女は柳生と並んで微笑んでいる。

そして、もう一人。


「柳もいたんか」

「仁王君への愚痴を一緒に聞いてくれていましたからねぇ……仁王君がいない間に開かれた同窓会以来、仲が良いんですよ私達」

「……」

「仁王君が帰ってきた事、彼女も喜んでくれました。良かったね、と仰ってくださったんです」

「俺がおらん間の事はアイツのが知っとるようじゃな」

「そんな顔しないでください、仁王君」


不意に柳生の手が、仁王に伸ばされる。頬に触れた指先が、優しく温かい。


「本当に……帰ってきてくれてありがとうございます、仁王君」

「おん」

「好きですよ、仁王君」

「柳生……」

「触れて良いんですよ。罰ゲームは終わりです」


おずおずと手を伸ばしても、拒否される事は無い。それを確認すると仁王はいてもたってもいられず、すぐに柳生の唇に触れた。久しぶりの感触は、甘く柔らかい。


「良いですね、結婚」

「所詮紙切れの問題じゃろ。ただの契約じゃ」

「それでも……良いと思います」

「俺なんぞに引っかかるからじゃ」

「そうですね。だけど後悔はしてません」


やっぱり私は仁王君が好きですから──……なんて珍しい事を柳生が口にするものだから、少し調子が狂ってしまう。

仁王が様子を窺っていると、今度は柳生からキスをしてくれた。


「そういえば仁王君……これ、彼女がくれたんです」


そう言って柳生が取り出したのは、二枚の紙切れ。通常より薄い、しかしほんの少し重みのある紙切れ。





──婚姻届。





「仁王君がもう逃げないようにしっかり捕まえておきなさい、と」

「何じゃそれ」

「事実、仁王君はふらふらして危なっかしいじゃないですか。不安にもなりますよ」


柳生が本音を漏らすのも、珍しい。二次会で入ったらしいアルコールが効いているのだろうか。だとしても、その責任は自分にある。

仁王は婚姻届と共に差し出されたペンを取ると、迷う事無く書き込んだ。


「……私が妻なんですか?」

「当たり前じゃろ。不満か?」

「いえ、まぁ……」

「だって夜は柳生が……痛っ!」

「黙りたまえ」


文句を言いながらも、柳生は空いた欄に自分の名前を書き入れる。互いに二枚共書き込むと、柳生は嬉しそうに笑みを浮かべた。


「ただの紙切れですが……証人は彼女と柳君に頼みましょうか」

「構わんが……それ、書いてどうする?」

「持っておきます、御守り代わりに。1枚は仁王君が持っててください」


契約です──柳生はいたずらっぽく言ったが、その瞳は真剣そのもの。やはりアルコールが入っているせいで本音が露呈しているが、だからこそ柳生の想いの強さが伝わってくる。

仁王は改めて柳生を抱きしめた。


「ところで今日バレンタインじゃろ? 俺まだ貰っとらんナリ」

「私自身では……いけませんか?」


いけない、なんてそんな事あるわけがない。

小悪魔のような笑みを浮かべる柳生の耳元で、久しぶりじゃから余裕無いかものう、と囁くと、その首筋にキスをしながら仁王はもう一度強く抱きしめた。










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