部屋は君が出て行った日そのままの状態にしていますから、どうぞご自由に──そう言って柳生は自身の部屋に引っ込んだ。以前ならば食事の一つも作ってくれていたのだが、それも無し。本当にもう休むつもりなのだろう。明日も仕事なのかもしれない。

それより気になったのは、柳生の表情。

怒っているとか、そんなものではない。むしろ一見して穏やかに微笑んでいるようにも見えたが、それが心からの笑みで無い事に仁王は気付いてしまった。主に他人に見せる、愛想笑いのようなもの。長い付き合いの結果が、仁王の心に深い傷跡を残した。

仕方ない。これも自分が悪いのだ──何度も言い聞かせて、仁王は数年前に自分が使っていた部屋のドアを開ける。柳生の言う通り、扱った形跡はまるで無かった。洗濯のためにベッドのシーツが取り替えられていたくらいだ。

食事は勝手にしろと言われたが、今はそんな気分ではない。仁王は久しぶりに、自分のベッドに横になった。

そうして気が付いた。

洗い立てのはずのシーツは洗剤とは違う匂いがし、その匂いは仁王にとっては酷く懐かしいもの。


「柳生……」


もう一度大きく息を吸い込んで、確信する。間違いない。柳生の匂いだ。

何故──なんて、そんな事考えずとも分かる。憶測の域を出ないが、おそらくは……


「ごめんな、柳生」


改めて自分がした事の重大さに気付かされた。自分がいない間、きっと柳生は寂しかったのだろう。泣いていたのかもしれない。泣いて泣いて泣き続けた結果──柳生は気持ちを殺してしまったのだ。自らの心を守るために。

ようやく心の整理がついた頃に、その張本人がひょっこりと帰ってきたら?

悪びれもなく、さも当然の如く部屋にいたら?


「……殴られただけで済んで良かったのう、俺」


柳の蔑むような笑みが脳裏に浮かぶ。当然だと、仁王は思った。



※ ※ ※



「おはようございます、仁王君」


柳生がニコリと微笑む。その笑顔が、仁王には痛い。


「昨日は良く眠れましたか?」

「それなりに……」

「まぁそうですよね。元々君の部屋ですし」


ご飯できてますよ──言いながら、柳生はキッチンから運んできた皿をテーブルに並べる。真っ白なご飯に味噌汁、そして目玉焼き。

仁王の好きな和朝食。

朝は洋食派の柳生が滅多に作らないメニューに、仁王は動揺を隠せないとともに、なんだか泣きたくなってしまう。気を使われているのだ。まるで他人にそうするかのように。

仁王の心を深く抉るには、十分すぎた。


「それで、これからどうするんですか?」

「とりあえず仕事探すかの」

「賢明ですね。しかし大変でしょうから、安定するまでここにいてくださって構いませんよ。鍵は持っているのでしょう?」


つまりそれは仕事が安定したら出ていけ、とそういう事だろうか。柳生の笑顔が怖くて、仁王は聞けなかった。


「さて、では私はこれから仕事ですので。外出の際は戸締まりをお願いします」


じゃあ行ってきます──至極穏やかな笑みを見せて、柳生は出て行く。

玄関が閉まる音を聞いて、仁王はぐったりとうなだれた。

最悪だ。自分が招いてしまった事とはいえ、過去最大の危機ではないだろうか。いや、昨夜既に振られてしまっているのだから、危機と言うのもおかしいかもしれない。

10年前のクリスマスは、柳生と楽しい時間を過ごしていた記憶がある。デートをしたり、プレゼントを交換したり……そういえば柳生からのプレゼントが夜景だという事に驚いたりもした。それに最後までしなかったものの、初めて肌を重ねたのもあの時だ。

柳生をあんなに大切にしていたというのに、自分でも呆れてしまう。救いようの無いバカだ。中学生の頃の自分が、ずいぶん大人に思えてくる。



最悪の、クリスマスだ。



仁王は柳生の焼いてくれた目玉焼きを口にした。


「不味い……」


久しぶりに食べる柳生の手料理は、きちんと味の整った、柳生らしい優しい口当たりの料理。けれどその味が、仁王には苦く感じられて仕方なかった。








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