蒼想録 | ナノ


▽ 雪降る夜


夜の巡察に向かおうと八木邸の門前で支度していると此方に向かってくる影が一つ。深々と降る雪を踏みしめている足取りは軽く、機嫌が良いのが伺える。屯所内では副長が夕刻になっても帰らぬ彼奴をどれだけ心配していたのか露程も知らぬと見た。

「ただいま、はじめ」
「遅い。副長が捜していたぞ」
「やっぱりかー、お説教はやだな」

けらけらと愉快そうに笑う幸也から微かに鉄の臭いがした。黒の袴は暗くて見えにくいが袖口に染みが出来ている様に見える。

「斬り合いにでも巻き込まれたのか」
「大当たり。やんなっちゃうよねえ」
「幸也は怪我してないのか」
「勿論」

隠密を本職とする幸也は隊長格では無いにしても一般の隊士よりは腕が立つ。また局長や副長のように此奴も実戦向きの剣をしている。
無言のまま、幸也の藍鼠色の髪に薄ら積もる雪を払ってやると幸也は嬉しそうに微笑んだ。良く笑う奴だと昔から思う。不意に幸也は笑みを浮かべながら眼光を鋭くした蒼色の瞳で俺を射抜いた。

「で、雪村千鶴の詮議は終わった?」
「っ!?…何故それを」
「やだなあはじめ。知らないとでも思ってるの?」

此奴は諸士調役兼監察方の頭であるため、隊士の素行は筒抜けである事は皆が周知の事実。しかしそれ以上に情報を持ち何より耳が早い。普段飄々と笑っているが仕事は誰よりも出来ると俺は密かに思っている。おそらく、既に雪村の情報も手に入れているのだろう。

「詮議の結果、彼奴は一室を与えられ監視付で保護する事になった」

幸也はさして驚くでもなく予想の範囲内だったのか、ふーん等と相槌を打った。すると屯所内から此方に向かって来る足音が聞こえてくる。

「げ、土方さんだ」

そう言って幸也は逃げようとするが、それを俺が両腕を掴んで阻む。この細い腕でよく刀を振り回せるなと感心してしまう。以前指摘した所、幸也曰く“普段苦無ばっかだから筋肉が付きにくい”との事だ。

「ちょっと!はじめ!」
「離したらあんたは逃げるだろう」
「態々怒られる人間なんてこの世にいると思う?だから離して?」
「断る」

そうこうしている内に副長がお見えになった。大股で此方に近づいて来る様は鬼の副長と呼ばれるのに相応しい出で立ちだと思う。それ程幸也を心配していたのだと此奴は気づいているのだろうか。聡明な此奴なら気づいていない筈もないが、わざとやっている可能性が無きにしも非ずと言えよう。

「幸也!お前なあ!!」
「あーあ。鬼のお出ましだよ」
「でかした斎藤」

嫌がる幸也を引き渡すと副長は幸也の首根っこを掴んで屯所内に戻って行った。俺はそんな彼らを尻目に予定通り他の隊士を集め、夜の巡察に向かうのだった。

「夕方には戻るって言っただろうが!」
「そのつもりだったんだけど斬り合いに巻き込まれちゃってさ、仕方ないじゃん?」
「そう言う問題じゃねェだろうがっ!」
「あー怖い怖い。あー煩い煩い」
「てめェ…言わせておけば…」

喧嘩するほど仲が良いとか彼らのような事をいうのだろう。背後から聞こえる言い合いに自然と口角が上がった。


prev / next

[ back to top ]