廃都ウルク
 バシュン、と軽いのか重いのか判断しかねる音が響いてくる。遠いような、近いような、微妙な距離感だ。私とシドゥリ以外この都市に人はいないはずだから、もしかすると動物が山から下りてきているのかもしれない。外へ行く際は気をつけたほうがよさそうだ。
 考え事をしながら、凝り固まった体をほぐそうと何気なしに体を伸ばす。体を伸ばして捻って、いろんな方向へ筋肉をほぐしていると、上体を戻した瞬間目の前に真っ青な柱が現れた。ゴイン、と重い音が頭蓋骨から鼓膜へ直接響いてくる。思い切り頭をぶつけてしまったせいで見事にバランスを崩し、そのまま尻餅をついてしまった。
 いやゴインじゃねえよ、何が起こったんだ。私が作業していたのは開けた廊下の端、足下には部屋に収まりきれなかった粘土板が並べて置いてあるものの、近くに柱はない。あるのは10歩たたらを踏むと落ちてしまう溜め池くらいのものだ。躓くことはあっても、突然現れた柱に頭をぶつけるのは有り得ない。ていうか突然現れる柱って何。
 飛びかけた意識を必死に繋いでいると呆れたような声が落ちてきた。
「愚鈍な娘ね。シドゥリの祈祷に力が戻ってきたから、市民が戻って人手が増えたのかと思って来てみれば……ウルクの人間じゃないじゃない。これならエビフにいる猪の方が活きも良いし使えそうだけど」
 おい暴言か?愛のないいじりは一般的に許されないんだぞ、とわけがわからないなりにカチンときて見上げると、そこには宙に浮いた美女がいた。文句の一つも言ってやろうかと思っていたのに、美女がいた。いやはや確かにあなたに比べれば猪ですね私。とりあえずキラキラしてたから目は瞑った。
「び、美女が浮いてる……目が、目がァア!!!!」
「あら感性は正常ね。私の姿を拝するだけでも不敬だけれど、私を讃える言葉は好ましいわ、その素直さに免じて今のは許してあげる。でも二度はないわよ、そのまま目を閉じてなさい」
 国民的人気を誇るアニメのキャラが叫ぶようにして叫んでみたのにすっかりスルーされる。いやなんというか言動はさっきから色々と気になるどころではないレベルだがとにかくもうそりゃあすごい美女なのである。かわいいは正義などとよく言うが、これほどの美人であれば大抵の暴挙暴言も許されるものだろう。なので許す。私も全部許す。
 というかまぶしすぎないだろうか。ひと目見ただけではあるが、目の前の美女がとんでもねえ美女だという以外にも、ブロンドの域を超えた金属かってレベルで輝く金髪も、赤いルビーをはめこんだような瞳も、彼女の後ろで浮いてる青に金の装飾を施された何かも、直視できないほどにまぶしい。まるで彼女自身が光を放っているかのようだ。何でそう言うかって?閉じてるはずの瞼越しにもまぶしいからだよ。
「あなたさっきから心の声がだだ漏れよ」
「ハッいけない、つい美人の前では正直になってしまう。美人は嘘発見器」
「……親しみやすさが伝わってくるのは女神として癪ではあるけれど、不思議とあなたの信仰心って気持ちがよくて不快感が和らぐわね……なぜかしら。まあいいわ、気分が良いから見逃すとしましょう。シドゥリはどこ?話があるから連れて行きなさい」
 有無を言わせぬ声に大人しく恭順の意を示すと彼女は満足げに「道案内の間は目を開けても良いわ」と口にした。もちろん開けさせていただきますとも、見えないからね。
 シドゥリに予定外の仕事が発生していない限りはここらへんにいるだろう。今朝シドゥリに聞いた一日の予定を思い出しながらざっくりと予想する。ジグラッドから少しばかり離れた場所にある建造物の、地下に繋がる扉を開いた。中は地表と違いひやりとした冷気に包まれている。
「ギルガメッシュの宝物庫ね。そう、そういうこと。あいつのことだから感知を遮断するようにしているでしょうね。それに地下だし私の管轄からも離れるもの、シドゥリを見つけ出せないわけだわ」
 ギルガメッシュ。ここウルクの王、民に愛想をつかされたがその実力は確かなもので、王になるべくして王になった王だとシドゥリが話していた偉大な人。そんな王様のことを呼び捨てにする彼女は、今までのあんな発言やこんな発言から察するに、もしかしてもしかすると王妃様だったりするのだろうか。めっちゃ美人だし。美人だし!
 それだとやっぱり直接顔を見るのは不敬に値する?処されちゃう?急に冷や汗をかきながら身体の動きを鈍らせていると彼女から不審がる声が投げられた。ウッすみません怪しい者では。
「その、大変恐縮ではございますが、あなた様は王様のお后様でいらっしゃるのでしょうか……」
 私の言葉に彼女は素っ頓狂な声を上げたかと思うと、みるみると声を震わせた。彼女の怒りが空気を伝っているかのようだ。いやこれ実際に地面揺れている気がする。え、揺れてる?
「……まさか、私のウルクで暮らしていて私を知らないとか言わないわよね?シドゥリから真っ先に聞いたでしょう?」
「え?何の話で……ひえ」
「この私が!どれほど尊い身であるか!ここで一晩でも過ごす以上知らないとは言わせないわ!」
 鬼女だ。思わず背後を見てしまった私は烈火のごとく怒る彼女の様相を見て考える。美人が怒ると怖いよおかあさーん!もう半年以上会ってない母親に助けを求めるのもどうかしてるけど!ていうかやっぱり浮いてますよね美女!身体が完全に地面から離れてるよお〜!お后様じゃなくておばけ様だったんですか大変失礼いたしました!お母さんは冗談だからシドゥリ助けて!
 回答によっては串刺しにすると脅されているが、何を答えても串刺しにされる気がした。それくらいの気迫でまくしたてる彼女を見ながら半ば現実逃避のボケを連打する。ただボケを連打したところで彼女にはヒットしないし、宙に浮く彼女の串刺しとやら止められるわけでもないが。
 言葉にならない声を漏らして誤魔化している間に私の願いは見事叶えられ、騒ぎを聞きつけて現れたシドゥリが彼女に説明してくれた。無実が証明されて安堵していると、シドゥリが彼女が激怒した理由を教えてくれる。いわく、彼女はウルクや近隣諸国で知らぬ者はない偉大なる女神、イシュタル様であらせられるらしい。
 ははは女神様か〜じゃあ私は乙[権利上の問題により伏せられています]主様を名乗らせてもらおうかな〜!なんてまたも国民的アニメに出てくる猪の神様を思い出しながら生ぬるい笑みを浮かべていたら、二人に白い目で見られた。えっまさか本気で女神とか言ってるんですか?とは口に出さないでおく。聞くまでもなく二人は真面目に話していたからだ。うそお、頭大丈夫?

 神様ですって言われてもそう簡単に信じられるわけないですって、はい。散々この国の信仰について説法を施された私は、人が宙に浮くという怪現象を説明すべく、イシュタルを名乗る彼女が女神であることを渋々受け入れた。女神イシュタルは遠い目をして私を見下ろす。
「まだ万全じゃないのにここまで疲弊させられるとは……この娘、どうしてここまで頑なに神を否定するのよ」
 人間なんて所詮神なくば生きられない弱い生き物の癖に。
 彼女の何気ない言葉に、私はどこか引っかかるものを覚えた。女神イシュタルの言葉は、人間を卑下する色を含んでいるというよりは、上下を弁えているといった雰囲気だった。
 シドゥリも女神イシュタルの言葉に否定する様子はなく、むしろ日本の文化を不思議がっていた。どういうことだ。
 確かに日本は他国に比べれば神への信仰が薄い。世界最大の宗教の普及率が異様に低い国であるのはもちろん、日本最大の神教はその在り方が独特だ。だが、他国の人間だって突然神を名乗る存在が現れて「あああなた様が神なのですか」とは言わない。
 どこか居心地の悪さを感じていると女神イシュタルはすぐ関心を失ったように息を吐いた。
「とりあえずあなたの滞在は許してあげるわ柊香。私のために奔走してウルクを立て直しなさい」
「ありがたきしあわせ」
 尊大な物言いに上の空で返事をしたが女神様は満足したようだった。いい意味でも悪い意味でもこちらの話を聞かないようだ。便利に使わせてもらおう。ところでイシュタルって名前なんか聞き覚えあるんだけど何だろうね。有名な名前だっけ。
 来たときと同じくバシュン、という音と共にたちまち消え去った女神様を見ると、人外が確かに存在している現実を納得せざるを得ない。私はもしかすると、いわゆる別世界に来てしまったのではないだろうか。そんな恐ろしい考えが脳をよぎってぞっと肌が粟立った。
- 06 -
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -