廃都ウルク
 瞼が重い。身体が痛い。なんか暑い。冬の終わりとはいえまだ肌寒さは残る時期なのに、この暑さはなんだ。半ばキレながら目を擦ると、乾燥した空気に咳が出た。瞼をのっそりと開くと網膜を焼き切られそうなほどの光が差し込んできた。景色を睨みつけると次第に光にも慣れてくる。
 そうして覚醒した意識で認識できたのは、見慣れぬ異国の土地だった。

 起きたらよく知らん土地にいた。何を言っているのかわからないと思うが私にもわからない。そもそも寝る直前の記憶がない。
 ところでやっぱりくそ暑い。タートルネックにニット素材のセーターを重ね着し、細身のレギンスを履いてPコートを羽織っている。追跡可能な最後の記憶は化粧品やその他諸々の生活用品を補充しに買い物へ出かけていたことまでだが、その記憶すら朧げである。
 とにかく、真冬の恰好で真夏も良いところな石造りの建造物内に横たわっていた。暑いのも納得できるというか、キチガイかと言いたくなるような状態だ。もちろんセーターは脱いだ。以上だ。
 ここはどこだとか、知らない土地(仮定)へどうやって来たのだとか、そういったことは全く把握できもしない。わかるのは自身の現状だけである。
「〜〜、〜〜?」
 あと目の前にいる女性が外国語を話してることくらい。
 起きてすぐあれやこれやと考えて混乱できるほど私の頭は処理能力が高くなかった。自分の身に現在進行形で怒っている不思議現象をただ列挙するだけの簡単な作業にかかっていたら、この女性が室内へ入って来たのである。
 手に持っていた水差し(だとは中身を飲ませてもらって知ったわけだが……水差しなんて初めて見た)を寝台の脇にあるテーブルへ置き、私の額やら首やらに手を当てて、先ほどから彼女はぺらぺらと何かを話していた。
 なんとなく自分が彼女に介抱されていたことは察したが、言葉が通じないので事実を確認することもお礼を言うこともできない。起きたときにコートは着ていなかったから恐らく彼女が脱がしておいてくれたのだろう。まあ、タートルネックもセーターも着たままだったせいで脱水症状にはなりかけていたわけだが。どうせならセーターまで脱がせておいてほしかった。
 さてどうするものかと女性の顔を見つめる。もう「ここはどこ、私はだれ」なんてテンプレイベントはスキップしてエンドロールに行きたい。おうち帰りたい。いやでも帰り道わかんない。
 つまり、詰みというやつである。日除けのためか深く被られたフードと、肌触りの良さそうなシルクのベールに隠された彼女の顔を眺めながら思考を放棄した。うん、なかなかにわかりづらいがこの方はかなりの美人さんだぞ、男が放っておかないとみた。
 なお話し続けている女性を完全にスルーして一人頷いていると、視界に映るようにひらひらと手を振られる。聞いていないのを気づかれてしまったようだ、申し訳ないです、でも何言ってるかわかりません。相手の意思を汲もうとするだけ無駄な気もするし、正直暑くて怠い身体を奮い起こしてまでボディランゲージができるほどの余裕もない。というかあまりの暑さにぐらぐらしてきたぞ、この際タートルネックも脱いで下着になっても構わないだろうか。
 おもむろに脱ぎ始めると慌てた様子で彼女は着替えを手伝った。ぱたぱたと布をはためかせ風を送ってくれるのが気持ちよくて、うっとりと目を閉じる。これ脱水症状起こしてるんじゃないですかねやっぱり。どうですかね。困り顔の彼女に表情で訴えてみても彼女には一ミリも伝わらなかった。
 水を再び口に含んで幾分かマシになってくると、彼女は一息吐いて外へ出た。十数分もすると布の塊を抱えて帰って来て、広げられた布が服だと確認できたかと思えば彼女は私の残りの衣服をすさまじい早さで剥ぎ取っていったのだった。追剥ぎかよ。でもすごく涼しいから感謝することにした。



 一晩が明けた。わけがわからないし、体は怠いしでほぼほぼ寝ていた。目を覚ましたのは、私を介抱してくれていたらしい女性が朝食をもって訪れたためだ。
 ことりとやわらかな音を立てて置かれた器にはパンとスープが入っていた。昨晩も食卓に並んでいた風変りなパンは、この国の主食なのだろう。しっとりとしてはいるものの、パンよりご飯派な私にしてみると口の中の水分をみるみる奪っていくこいつには大変苦戦した。そのせいか、今朝のパンは昨晩よりさらにしっとりとした食感にして作ってくれたらしい。食べさせてもらっている身でありながら大変申し訳ない。大分回復したのか、昨晩よりも食欲は進んだ。
 私と共に食事を済ませた彼女は、器をまとめながら私をじっと見つめた。そして、ぽすぽす、と自らの胸を軽く二、三度叩く。どうした胸が苦しいか。黙って彼女の動向を見守っていたら、彼女はとある単語を口にした。いやあ全くわかりませんね!にっこりと笑って首を傾げると、彼女も困ったように笑う。首を傾げる行為には疑問の意図が含まれていると伝わったのは何よりだ。まあ伝わったところで何も起こりはしないのだが。
 彼女は諦めていないのか、今度は私の手を取って先程自分の手で行った動作を再現する。そしてまた何か言葉を繰り返した。いやあ全くわからないのだが、私が介抱したのよ的な自己主張をされているのだろうか。親が子供に物を教える際、対象物に触れさせながら名前を繰り返し口にするように。……おっと?なんか良い思考に至らなかったか、今。
 状況を鑑みても、もしかすると自己紹介を受けているのかもしれない。彼女が繰り返している言葉は、彼女の名前である、とか。名前教えてもらっても何言ってるのかそもそも聞き取れないんだけどね。母音と子音の構成が全くわからないからね。
「〜〜」
「でい?」
「〜〜、」
「しどい」
「〜〜」
「しどぅり」
 彼女の発する言葉をただただ繰り返し、何度目かでようやく彼女はパッと表情を明るくした。シドゥリ、というのが彼女の求めた発音らしい。まずもって日本語ではない。英語でもないな。一体何語なんだ、英語で話してくれればいいのに、英語もわからないけど。
 これが彼女の名前なのか、それとも彼女の民族名なのか、そういった情報も一切合切不明なままだが、あれほど自分を指して言い続けたのだから彼女を呼ぶときはシドゥリと呼んで構わないのだろう。
 一仕事終えたような達成感を顔に浮かべるシドゥリは、私の体調を再度確かめるとまた部屋からいなくなった。特に閉められてもいない部屋の入口を眺める。一瞬「私は誘拐されたのでは」と考えたが、馬鹿馬鹿しいことを考えたものだとすぐさま掻き消した。足枷を着けられているわけでも、鎖に繋がれているわけでもなかった。そもそも開け放たれた出入口を見れば事実は明らかなのだが。
 だが暇は人をくだらない思考に導くのが得意なようで、静寂が深くなるほど私は無意味に思考を広げていた。たとえば、私の体が突然変異を起こして隔離されているだとか。実は新薬の被験中でトリップ状態なのだとか。本当にくだらないな……。
 体調不良のなか混乱を極めていた昨日はともかく、あまりに暇を持て余しているためか部屋を出て歩き回りたい気もするが、何となく気乗りしなかった。暑いし、空気は乾いてるし、まだまだ本調子ではない……と理由はいくらでも挙げられるが、よくよく考えてみれば私は怠惰な日々を過ごすのが何より好きだったからな気もし始めた。とにかく気乗りしないので気ままにここでごろごろすることにした!
 ところでシドゥリ慌ただしく出ていくけど何してるんだろうね。
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