彼岸に並ぶ

 準備してくれるかい、なまえ。そう祖父に言われるまま喪服に身を包んで訪れたのは、真っ青になるほど長い弔問客の列と、それらを次々と飲み込んでいく広大な日本家屋だった。自宅葬、と呼ばれるものだ。祖父母の家から歩いて数分ほどの場所にこれほど大きな邸宅が立っていたことにも驚いたが、それ以上に初めての自宅葬にお邪魔して、それがこうも規格外の葬儀に参加するとなると、頭を真っ白にするほかなかった。
 長い長い列の最後尾まで行き、言葉もなく順番が来るのを待つ。お盆の時期に亡くなるなんて。ぼんやりと考える。列の先では受付が分岐されているようで、私が御香典を渡すまでに然程時間は要さなかった。受付をしていた女性に深く腰を折ると、あちらも同じように返した。記帳を済ませ、待っていた祖父母に声をかける。
「これはみょうじさん、ありがとうございます。旦那様も大変お喜びになられます。そちらは……」
「孫のなまえですよ、昔はお世話になりました」
「ああ!なまえさん、お久しぶりです。立派になって……私を覚えていますか」
 にこやかに話す初老の男性に、いや、はは、あの、と会話になっていない返事をする。なまえさんが来てくれて、坊ちゃんも懐かしく思われるでしょう。感慨深く彼は口にした。
 告別式が執り行われる場所までは多少歩くらしい。中に入ってみると改めて邸宅の広さを実感する。相当な家柄らしいことは外観だけでもわかっていたが、中から見た印象ではさらにその予想を超えてくる。私も小さいころにお世話になったような話だったが、まったく覚えていないのが不思議なほどだった。
 これほど立派な日本家屋なら、式場ももちろん座敷だろう。そうなればイスではなく座布団か。収容人数は増えるだろうが、人が多いことには変わりない。早めに座っておこうか、と祖父母が言うので頷いた。
 急に眩暈がした。視界に見たことのない景色がちらつくような、意識が遠のいているときの空白が続くような、不思議な眩暈だった。随分と人が多い、人酔いでもしたのかもしれない。風に当たってから向かうから先に行っててほしいと伝えれば、体調を案じながら祖父母は頷いた。

 頭をかき回されるような、不快感の伴う眩暈ではなかったのだが、目がまともに機能せず歩きづらい。そんな眩暈だ。式中に倒れでもしたら迷惑をかけるよなあ、と軽く頭を抱える。溢れるような人の波と、言葉の騒がしさから離れれば多少楽になった気はしてきたが。まさか、これが衝撃の連続による眩暈だったとしたのなら、救いようがない。
 だが、いい加減式場に向かったほうが良いだろう。腕時計に視線を投げて考える。開始時間は何時と言っていたか。人の話し声も、気づけば遠く小さくなっていた。開始間際ということだ。脱力する脚に力を入れる。
「大丈夫ですか」
 落ち着いた声が落ちたかと思えば、誰かが立ち上がろうとした私の腕を取って上へ引き上げた。体勢を整えなければならないほど強い力ではなく、私の補助をするように腕を取られ、驚くほど楽に立ち上がることができた。
 お礼を言うと、手伝ってくれた男性がやわらかく微笑んだ。
「不調のなかお越しくださりありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうございます……あの」
「気にしないでください。俺も今から向かうところなので、良ければ支えますよ」
 そんな、と反射で返事をするが、彼は私の腕に添えた手を放すことはしなかった。
 ゆったりとした動作で砂利道を歩く。先程の眩暈が嘘のように引いたいま、周囲を見ると素晴らしい庭園の中を歩いているのだと知った。来るときは視界が回っていて目にも留めなかったが、圧巻の景色だ。
「綺麗でしょう。俺も気に入っていて良く来ます。学生時代は、ここから通学していました」
「ここから?」
「実家は東京にあるんです。弔問客が多いだろうからと、葬儀はこの邸に」
「な、なるほど」
 目が飛び出るような話を聞きながら歩く。彼は式場に着くまで、気分が優れない私を気遣ったのか、この家にまつわることをぽつぽつと話した。
「秋は紅葉が美しいんですよ。あそこまでずっと並んでいるでしょう。毎年鮮やかに色づくんです。桜よりは紅葉派で。紅葉の青さは夏も涼やかですから」
「池に団子を落としてしまったことがあって。池の鯉が飲み込んだときは大騒ぎになりました。父に相当叱られて、今でもあのときの父の顔は忘れられません」
「よく母とピクニックをしたんです。母は体が弱い人だったので、もちろん家からは出られませんでしたが。この広さですから、毎日違う場所で。同じ物が並んでいるだけでも、場所によって見える景色が違うんです。あの日々は、かけがえのないものでした」
 親族なのは明らかだった。彼の続柄など伺っていないが、やけにこの邸について詳しい。入口で案内をしていた初老の男性とは纏う哀愁も異なる。ここに家人として住んでいたのだ。
 故人と知り合いではないが、彼の懐かしむ話し振りに、私もいつのまにか未見の故人を偲んでいた。提灯の明かりが増えてゆく。重い扉を開くように、彼は最後の一滴を傾ける。
「父には秘密にしていたことがあるんです。喜ぶ母が見たくて、近所で遊んでいた少女を一人、招き入れました。彼女と庭で遊ぶ俺の姿を見た母が、まるで娘ができたようだと……本当に幸せそうで。秘密にしていました、父には。きっと、あの子は忘れている。母が帰らぬ人となってからは、俺一人で抱えていた思い出でした。……残酷なことをしました。だけどあのとき、あの瞬間だけは、俺たちは本物の家族でした」
 式場の扉にたどり着いたが、彼はその直前で立ち止まる。苦痛に満ちた表情をしていた。
「ずっと謝りたかったんだ、なまえ」
 彼が静かに扉を開くと、まばゆい金の光が瞳を覆いつくした。

「なまえ、なまえ。こっちへおいで」
 祖父母が手招きする。目が慣れると、あれほどまばゆいと感じた金はどこにもなく、ただ広い式場を満遍なく照らすためだけの照明があるのみだった。
 告別式はもう始まっていたが、然程遅れはしなかったらしい。お焼香は親族の方に倣えばいいから、と祖父母が手で前方を示す。最初に立ち上がった男性に目線を向けた。よく顔は見えないが、喪主だろう。いまだ故人を知らないまま弔問へ来ている私は、申し訳ない気持ちになりながら彼の一挙一動を頭に叩き込んだ。
 ふたたび長い列に並び、すすり泣く声を聞く。改めて見回してみると若い人も相当数いた。中でもとりわけ異彩を放っていたのは、私とそう変わらないくらいの青年たちが、まるで同級生の死を悼むように皆して泣いていたことだった。
 これほど弔問客が多く、さらに若い人が多い、ということは……。さらに胸が重くなる気分を味わいながら前へ前へと進んで行く。あと五人もすれば私の番だ。
 ……え?
 飾られた遺影を見て呼吸を忘れた。故人が、穏やかな顔で笑む遺影だ。知り合いじゃない、そう思っていたはずの故人を、私は知っている。上手く動かせない指で抹香をつかみとる。
 彼の謝罪が、いまさら耳に響きだした。もう、彼は悔いなく眠れるのだろうか。

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