月と寒露

 鍾離さんが「もうすぐお前の誕生日だが、まだ予定がなければ食事でもどうだろうか」と声をかけてくれたのが二週間前のこと。私の誕生日が話題に上ったのはたった一度、それも何気ない会話だったのに覚えてくれていたのかと驚いたものだ。
付き合っていない男女で誕生日のお祝いか〜と一瞬躊躇したが生真面目で交友関係を大事にする人だと知っていたから、他意はないだろうしせっかく誘ってくれているのに断るのは失礼だと思って承諾した。
 もちろん鍾離さんと食事をするのが不快だったわけじゃない。今までにも食事をしたことは何度もあるし、物知りな鍾離さんと話をするのは面白い。ただなんとなく誕生日のお祝いを食事で飾るなんてどこか特別感があって気後れした、そんなとこだ。
「待たせたか?」
「早めに来たから……十分くらい?」
「そうか、すまなかった」
「いやいや鍾離さんこそ約束の時間より早かったじゃない」
 決して浮かれていたわけではないけど待ち合わせ場所に早く到着しすぎてしまい、優雅に歩いてきた鍾離さんは私を見るなり早足になったのだった。申し訳なさそうにするので慌てて否定する。
「脚が長すぎて瞬間移動された気分だったよ」
「独特の表現だな……相変わらずお前は変わっている」
 鍾離さんは奇妙な顔をした。いくら下手なフォローだったとしても、頼んでもいないのに実に不快そうな顔をしながらイソギンチャクについて専門家並みの解説を二時間続けた人に言われたくはない。
 いつもよりおしゃれをしていることに鍾離さんはちゃんと気づいてくれた。他愛のない話をしながら鍾離さんについて行く。雰囲気の良い店を予約してくれていたようで到着したお店は内装がすごく好みだった。店内に流れる曲に耳を澄ませる。
「素敵なお店……」
「お前が好みそうだったと思った。味も気に入るだろう」
 鍾離さんは食通だから、私好みの味というのも美味しいことが前提の評価だろう。鍾離さんが連れて行ってくれるお店はどこも味がいいから好きだけど、私の好みにまで配慮してくれたのならすごく期待してしまう。
 話をしながら待っていると料理が運ばれてきた。見た目も美しく、香りだけでも食欲をそそられる。マナーにうるさい鍾離さんがいなければ写真を撮っていたかもしれない。
 美味しそう、と感動していると給仕が空のグラスとワインを持って来る。おしゃれだけどさほど敷居が高いお店という印象は持たなかったせいで驚いてしまい、給仕の手元を凝視してしまった。慣れた様子でラベルを見せられる。
「えっと……?」
「お前が生まれた年に造られたワインだ。まろやかで飲みやすく、フィレ肉に合う」
「……えっ」
 私が生まれた年に造られたワイン。
 鍾離さんの口から飛び出してきた言葉に思考を止める。何かとんでもないことを聞いた気がして耳を疑った。私の動揺など鍾離さんはお構いなしに準備が整うのを待っているけど私は現実を理解しようと頭の中で言葉を何度も反芻するので精一杯だ。私が生まれた年に造られたワイン、生まれ年のワイン? やっぱりわからん。
 わざわざ仕入れたのかとか、高いんじゃないかとか、そういうことはどうでもよかった。誕生日だからといって生まれ年のワインをプレゼントされるのは少々……いやかなり重い。たとえ恋人同士でもこうして誕生日を祝うのはごく一部だろう。ていうかロマンス小説じゃないんだぞ。
 人付き合いを大事にするにしてもやりすぎじゃないだろうか。おおらかだが大雑把ではないのは彼のいいところだ。ただ情に厚いことがいくら美徳だろうと程度が過ぎればかえって困らせてしまうこともあるというもの。
 鍾離さんならそれくらいわかってるはずなんだけどなあ、と顔を覗き見ればにこりと微笑まれる。鍾離さんが色んな人に色んな意味で勘違いさせるような言動を取っていないか心配になった。


「今日は本当にありがとう、すごく美味しかった。でもこんなに色々してもらっていいのかなあ」
 なんだかんだと言っても食事する空間はとても楽しく、心地いいものだった。店を出て鍾離さんと歩きながらそう零せば何を言っているんだと笑われた。
「誕生日を共に過ごしているんだ、これくらいしなければ釣り合わないだろう」
「一人でここまでする人も珍しいと思うけど……もしかして知り合いみんなにこうやってお祝いしてるの?」
「祝いはするが、食事するのは親しい友だけだ。お前と会ってしばらく経つが昨年は祝っていないだろう」
「言われてみれば……。なんかそれはそれで寂しいかも、聞かなきゃよかった」
 鍾離さんと交流が増えたのはそれこそここ一年の話で、昨年は祝われなかったことに気分を悪くしたたわけではない。良くも悪くも物事を額面通りに受け取る鍾離さんのはっきりした物言いに憎まれ口を叩くのはいつものことだ。
 鍾離さんは愉快そうな声を上げるとこれからは毎年祝おうと言ってくれる。気持ちはありがたいけどこの規模のお祝いを毎年されるとちょっと胃もたれしそうだ。
「昼間にスイーツ食べに行くくらいでいいよ」
「ではアシェットデセールで有名な店を探しておこう」
「いやいや全然規模が変わってない、どうして大ごとにするの?」
「お前が生まれたことを一番喜んでいるのが俺だからだ」
 不思議なことを言い出した鍾離さんの顔を見る。どういうこと? そう尋ねてみるけど、夜景のきらめきを吸い込んだ鍾離さんの瞳がきらりと輝くだけだ。
「じゃあ鍾離さんの誕生日も私にお祝いさせてね」
 生まれたことを喜ぶ、なんて大層なことを言われるのは面映ゆかったが同じ気持ちを返したい。私の言葉に鍾離さんはゆるりと眦を下げる。
「いいぞ。俺の生まれた日に、ともに過ごす権利をお前にやろう」
「……毎年?」
「ああ、こうして二人で。今生が終わるまで頼む」
「あはは! プロポーズされてるみたい」
 軽口を言うが返事がない。すべったかなと隣を見上げれば鍾離さんが含みのある笑みを浮かべてこちらを見ていた。鍾離さんのそんな表情を見るのは初めてで動揺してしまう。
「ねえ、それどういう表情?」
「どう見える?」
「わ……わかんないから聞いてるんだけど」
「プロポーズが成功して喜んでいる顔かもしれないな」
「ええ〜今の流れでプロポーズ成功とは言えないでしょ……って、え?!」
 プロポーズだったのかと問い詰めても「さてどうだろうか」とはぐらかされてしまう。私に合わせてゆっくりと歩いてくれていたのに急に歩調を強めると鍾離さんはぐんぐんと進んでいった。待ってと声をかけて呼び止めても手を差し出されるだけだ。
 躊躇したものの手を掴むと鍾離さんは速度を落とす。心地の良い風がお酒の入った頬を冷ましてくれていたけれど、またぽかぽかとあたたかくなってきた。握り込まれた掌が鍾離さんの答えであることを祈ってしまった。

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