『ラピスオンザウェイ』

「いつまで預かればいいの?」
 木箱を受け取った胡桃が尋ねる。鍾離は何かを考え込む素振りを見せながらも、たいして間を置かずに「さて、いつまでだろうな」と答えた。
「ええーなにそれ。厄介ごと……ではなさそうだけど、鍾離さんはたまにとんでもないものを持ち込むからなあ」
「胡堂主に言われるとは心外だな。だが往生堂を危険に晒すものではないことは保証しよう。ふむ……往生堂の伝統を継承してほしい人物がいると言えばいいだろうか、これはそのときのために必要なものだ」
「うちの伝統を?」
 胡桃は首を傾げる。二つの世界を視界に収めることができる子どもらしくない達観した瞳は成長した胡桃の魅力に一役買った。だが往生堂の堂主に相応しい姿となっても性格が大きく変化したわけではなく、今もふとした瞬間に現れる無垢な精神が幼さを演出する。子どものように頭を捻った胡桃に向かって鍾離は慎重に言葉を選ぶ。
「俺の葬儀は内々に済ませたいんだ」
 璃月で最も古い歴史を持つ葬儀屋の堂主に向かって言うべき言葉ではないとは重々承知していた。だが鍾離は胡桃が薄々自分の正体に気づいていることを知っていた。
 鍾離は古くから往生堂との縁がある。それは往生堂の初代堂主まで遡るほどの古い縁だ。鍾離が客卿として胡桃と顔を合わせたとき、胡桃はまだ堂主にもなっていなかった。そして胡桃が成長するまでの間に鍾離は少しも老いていない。
 正体を隠す方法は様々あるが鍾離はあえてその手段を取らなかった。生と死の世界を見渡す瞳は凡人より広い視野を持つ。だから鍾離が人ではないことまでは容易く検討がついてしまうのだ。胡桃の祖父もそうだった。
 それに鍾離は十数年前の送仙儀式を介して往生堂で仙人にまつわる講義を行っている。胡桃に正体を明かしたことはないが鍾離と岩王帝君を結び付けることは難しくなかっただろう。やはり胡桃は「ふーん」と反応しながら木箱を棚に仕舞うだけで、気分を害した様子ではなかった。
「家族葬がいいけど伝統はしっかり守った葬儀にしたい、そういうことでしょ」
「話が早いな」
「もー無茶苦茶だよ鍾離さんってば。もちろん依頼なら請け負うけど……。ところで鍾離さんって結婚してたんだっけ?」
 胡桃の問いに鍾離は笑みを深める。
「いいや。だが俺もただの人だからな、いつか伴侶にしたいと思う相手を見つけて生涯を誓うだろう」
 すっかり凡人気取りになっている鍾離の返答に胡桃は物言いたげな顔をした。
 気長な展望に往生堂がどれくらいの期間付き合わされるのかは不明だが、次代にこの『契約』を受け継ぐ準備も必要になってくるかもしれない。ただ、不測の事態に備えて葬儀を手配することを良しとする胡桃でさえ、鍾離の死を見積もって早くに行動することには疑問を覚える。それこそ胡桃の髪が真っ白になっても鍾離は若々しい姿で璃月を歩き回っていそうだ。
 胡桃は考えるのが馬鹿馬鹿しくなり帽子の手入れを始めた。梅の枝を外し、帽子の生地を傷めないようにブラシでやさしく梳く。鍾離は慣れた様子で茶を淹れた。
「その帽子につけた梅は堂主が自ら育てたものだと話していただろう。庭木の世話はやはり大変だろうか?」
「木は根付いて花をつけるまでに時間がかかるから、鉢花を育てるよりは根気がいるかも。でも鍾離さんなら向いてるんじゃない? 物知りだから枯らすこともないだろうし、昔は鳥も飼ってたから生き物の世話は得意でしょ」
 胡桃に他意はなかったが国を育んできたとも言える自身の経歴を考えると鍾離はおかしくなった。教え、導くことは古来より鍾離の性に合っている。現在まで璃月に多くの古書が残るのも、単に民が岩王帝君の偉業を誇りに感じていたからではない。
 岩王帝君に知恵を授かり、民は文化を築く。その歴史がたとえ長い年月をかけて真実から遠ざかろうとも、真贋を交えて継承されることすらも人と国、そして岩王帝君の歴史だ。それこそまさに鍾離にとっての人の盛衰を見守ることだった。
 花木を育てるのも大差ない。璃月と植物とを同等に語れば学者達は腰を抜かすだろうが旧い友は笑って同意するだろう。ほのかに香る紅梅を見て「お前を見ているといつでも早春の訪れを感じられる」と鍾離は笑った。
 午睡に向いた穏やかな日、鍾離は旅の終着に至る一歩を踏み出したのだった。


 支度を終えた胡桃は往生堂を発った。太陽はまだ天に昇り切っておらず、往生堂が営業を始めるにはまだ早い。だが今日は仕事のために外出したわけではなかった。
 まさか鍾離が本当に木を植えたとは思わなかったが、丁寧に育てられた梅の木はなぜか異常な速さで大木に育ちつつある。愉快に思いつつも、あれほど見事に咲く木も今後手入れされないままではすぐさま枯れてしまうと、必死に世話をしている彼女のために胡桃は定期的に手伝いをしてやることに決めたのだ。
 目的地までの道程は年々入り組んでいく。石は転がり、植物が繁茂し、新たにできた小川に塞がれた。まるでゆくゆくは秘境となることを目指しているような山々の変化は胡桃を愉快な気分にさせる。
 鍾離は自身を想起させる品を何一つとして世に遺さなかった。鍾離の肉体だった岩石を遺品と呼ぶのはあまりにも空虚な気持ちにさせる。もちろん、ただの璃月人ならば岩王帝君の曰く付きの岩石を喜んで受け取っただろう。だが思慮深い鍾離であればもっと配慮できたはずだ。
 ただ胡桃は、それこそが鍾離が伏せた本心だったのではないかとも考えていた。
 あの家には鍾離が大事にしてきたすべてが残されている。たとえば璃月の貴重な歴史書。胡桃をあらわすかのような梅の木。縁を大事に仕舞われていると気づいたとき胡桃はなんとも面映ゆい気持ちにさせられたものだ。鍾離が好んだ料理も毎日の食事で彼女に用意される。それを話すと彼女は花が綻ぶように笑っていた。
 道を抜けると家が見えてくる。庭先で胡桃を待っている彼女の髪が風にたなびいていた。鍾離の愛した景色は彼女によって完成したのだ。
 璃月はどこまでも美しく、彼と共に在る国である。





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Rex Lapis is on the way to say goodbye.
彼はさよならを言おうとしている
(web翻訳より)

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