霄壌を舞うこころ

 今年の海灯祭は賑やかだ。毎年賑やかではあるのだが、今年は例年よりも大きな浮生の石が準備されたことや、冒険者協会が新たに海灯祭での出し物を総務司へ申請したり、機関棋譚という盤上の遊戯が無料で提供されるなど、多岐にわたる変化が海灯祭に活気を与えていた。
 隣国のモンド、そしてこの璃月でも偉業を成した異邦人の英雄が海灯祭の目玉である霄灯に関心を示し、多忙で霄灯の準備が間に合わない璃月人たちへ霄灯を作って渡しているのも一つの理由かもしれない。
 古きを送り、新しきを迎える──その精神を璃月人は当然のように持っている。だけど三千年以上もの長い時を璃月と共に在った岩王帝君が天に上ったことをそう簡単に忘れられるわけではない。この賑やかさの裏にはもしかすると、帝君がいない璃月も盤石だと示す強い意志と寂しさとが滲み出ているのかもしれない。
 入口の戸が開いて鍾離先生が現れた。古物を扱う父の仕事を通して私は往生堂との縁もそれなりに深かった。往生堂をきっかけに知り合った鍾離先生は璃月の造詣がだれよりも深い。個人的にそういった話を聞くのが好きな私と、そういった話をするのが好きな鍾離先生の交流は必然的に多かった。
「ありましたか?」
「ああ、あったぞ」
 鍾離先生が手に持っていた材料を床に広げる。浮生の石片や繊維、灯芯に使う素材など一般的な霄灯の材料が並べられた。一見どれも普通の材料に見えるが、鍾離先生が自ら材料を集めてくると言って出かけて行ったものだから少しの間それらを凝視した。
「材料自体は普通の霄灯とそう変わらないぞ。強いて言えば……浮生の石片は不純物が少ないものを選んだくらいか」
「不純物が少ないもの……ですか?」
「そうだ。浮生の石片を加工して削り出した浮力を持つ核で霄灯を浮かせるのは常識だが、その浮き方は浮力につながる素材がどれほど多く石に含まれているのかに左右される。浮生の石片が大きければ大きいほど良いとされるのはこの浮力を生み出す素材がより多く含まれているからだな。不純物が少ない浮生の石片とそうでない石片を加工して同じ大きさにした場合、不純物が少ない方は質量が軽く、遠く高くまで飛ばすことができる」
「……つまり、純度が高ければ必ずしも大きな浮生の石片を用意する必要はない、ということですね?」
「そうなるな」
 鍾離先生と話しているとこうして継承されなくなった知識などが度々出てくる。今日、鍾離先生に霄灯の作り方を教えてもらうことになったのもそれがきっかけだ。霄灯は璃月で最も盛大に催される祭りの一つで、最も神経を使って伝統を継承されているものの一つだとも言えるが、それでも失われたものはあるのか。緊張しながら尋ねた私に、鍾離先生は「あるぞ」とたいしたことないように返したのだ。
 失われているのは編み方だけではなかったらしい。しかも浮生の石片についての情報は結構重要だ。
「総務司に教えたらどうですか? 貴重な歴史的資料でしょう」
「いや、石の純度を調べるのは簡単なことではない……この基準を設けてしまうと寄付や璃月の民たちの協力で成り立っている海灯祭の負担になるだろう」
「そうですか……残念です」
 心の底から思ったことを口にすれば鍾離先生の笑みが深まった。
 茶と茶請けを出して早速霄灯の作り方を教わる。霄灯の編み方は現在までにいくつか種類が残されているが、今回はそのいずれにも該当しない古い編み方を教わることになっていた。
「──次は上に渡し、二つ飛ばして下を潜らせ──」
「──ここだけ上の段の目を拾う。そうすることで複雑な模様になり──」
「──あとは今の手順を繰り返せばいい」
 鍾離先生の説明に苦戦しながら編んでいたが、一通り聞いたあとは何となく全体像が把握できた。これを繰り返せばいいなら何とかなりそうだ、と意気込んで二巡目に突入する。
 黙々と編み続ける私の隣で鍾離先生も静かに紙の繊維を編んでいた。大量に用意されていた繊維の嵩がかなり減った頃には、大きな霄灯の外側が完成していた。
 見たことのない編目の霄灯はとても美しい模様をした仕上がりとなった。たくさんの霄灯が浮かぶ璃月の空にあってもすぐに見分けがつきそうだ。作ったことのない編み目の霄灯を苦労して作った達成感からか、これを浮かべてしまうのは少々惜しい気がする。
 会心の出来となった霄灯を鍾離先生に差し出すと感心したように明るい声が上がった。
「初めて見る模様にもかかわらず教えた通り忠実に再現されている。よくここまで綺麗に編んだな」
「こういう作業、結構好きなんですよね。鍾離先生はどんな感じになっ……て、……」
 最後まで言い終える前に鍾離先生の手の中にある霄灯を見て言葉を失ってしまった。編み目の大きさは不揃いで、途中がぼこぼこと浮き上がったり逆に締め付けすぎたりといった状態が繰り返されて、全体的に歪な仕上がりとなっている。作業を進めるほどに収拾がつかなくなってきたと言わんばかりの惨状にどう反応すればいいのか分からず固まった。
 鍾離先生は苦々しい顔をしていた。私の反応で少し傷つけてしまったようである。
「知っているだけで実際に編んだことはないんだ。こういうのは職人に教えて作らせるだけだったからな」
「だ、大丈夫ですよ! ちゃんと飛べばいいんですから!」
 私も初めて編んだのに仕上がりに差が生まれたのがいけなかったのかもしれない。だけど私は霄灯を作ること自体は初めてじゃないし、作らずにだれかが準備した霄灯を分けてもらう人だっているから、鍾離先生が上手く作れなくても問題はない。
 必死に声をかければ鍾離先生は気を持ち直して次の作業に取り掛かろうと提案した。
「それでは浮生の石片を加工するが、破片が目に入るといけないから目をつぶっていてくれ」
「……離れて見てはいけないんですか?」
「万が一、ということもある。それに削り出すのは難しいから見ていても再現はできないだろう。もし来年同じ霄灯を作りたい場合は、石片だけ職人から買い付ければいい」
 鍾離先生の言葉に大人しく頷いて目を閉じる。瞼を透かず室内灯の光を感じながら、パキン、パリン、と石が削れる音を聞いた。
 鍾離先生が浮生の石片を削り出すのを見られたくない理由には大方察しがついていた。おそらく鍾離先生は今、仙力を使っているのだろう。仙人だと自己紹介されたわけではないのだが、鍾離先生の持つ知識や伝統へのこだわり、顔の広さなどこれまで接してきたなかで自然とそうなのではないかと考えていた。
 私が鍾離先生に話をねだるのは彼が仙人だからではなく、璃月の話を聞くのが好きだからだ。鍾離先生の秘密を暴いてこの貴重な時間を失いたくはない。
 もう目を開けていいと言われて浮生の石片を見ると、美しい翠緑色の石が綺麗に削りだされていた。
「これを霄灯に取り付ければ……完成だな」
「わあ……綺麗ですね!」
「どうだった、伝統的な霄灯の作り方はお前を満足させたか?」
「はい、とても有意義な時間でした。ありがとうございます」
「それならいい。俺もお前には教え甲斐がある……願い事を書く紙は準備してくれたか?」
「はい、どうぞ」
 二枚のうち片方を鍾離先生へ渡す。願い事を書くついでに、教わった編み方を忘れないうちに控えておこうと出来上がったばかりの霄灯を見ながら編み方を写していく私を見て、勉強熱心だなと鍾離先生は笑った。
「何を書いたんですか?」
「秘密だ」
 鍾離先生は願い事を書くというよりも、詩だとか風流な形で霄灯を飛ばしていそうだなあと思ったのだが、確かめることはできないようだった。
 連日連夜、霄灯は璃月の空を明るく照らす。多い日もあれば少ない日もある。ただ海灯祭が開催される間は霄灯が夜空から消えることはない。すでにいくつもの霄灯が上っていく夜空に向かって、私たちも部屋の窓から霄灯を送り出した。手から離れていく霄灯は、鍾離先生が説明したようにどの霄灯よりも軽く、何にも邪魔されずにふわふわと上っていく。
「いつも思うんですけど、鍾離先生はご自分の知識を璃月のみんなによく知ってもらおうとは思わないんですか?」
「どうしてだ?」
「だって……忘れられてしまったとか、今ではだれも知らないがとか、残念そうに仰るじゃないですか。もっと多くの人に受け継いでほしいんじゃないかっていつも考えるんですよ」
 霄灯を見送りながら尋ねる私の隣から「ふむ……」と考える声がする。考えもしなかった、そんな響きを感じさせる反応に苦笑した。
 鍾離先生は伝統を重んじる。岩王帝君を迎えた最後の迎仙儀式のあとも、送仙が大事にされなかったことに憤っていた。だから今の璃月に今までの伝統が伝わっていかないことは彼にとって歯がゆく許しがたいことなのではないかと思っていた。だからこそ今みたいな予想外の反応をされるのは意外だ。
「俺は事実を言っただけなんだが、そんな風に捉えていたのか」
 得心がいったような鍾離先生の言葉の続きを待つ。
「これまでお前に教えたことはたしかに昔璃月に存在していた物事だ。だがこれらが失われたのにはそれなりの理由がある。気候や地理の変化、生活様式、外交など様々な理由で継承が困難になったものもあれば、逆によりよい形に変わっていったものもある」
「はい」
「それまで継承されてきたものが失われることには寂しさを感じるが、形を変えて本来の意図が残るのならば俺はそれで構わないと思っている。璃月は岩王帝君の作った国だが、璃月の民は人間だ。人間は帝君と同じようには生きられないからな。帝君の示す物事を人間の暮らしに合わせて再編していっていいんだ、あの霄灯が編み方を変えていったように」
「霄灯に込められた意味は、今日教えてもらった編み方をしていた時代と変わらないから、ですか?」
「そうだ」
 そっか。それでいいんだ。
 鍾離先生がこうして私に失われた伝統の話をしてくれるのは、過去の伝統の正しさを示したいからではなく、今まで続く伝統に込められた意味を正しく理解してほしかったからなのだ。私が伝えるべきは手段ではなく思いなのだな、と本質が理解できていなかったことに申し訳なさを感じる。
「継承には二つの役割がある。伝える者と、伝えられる者だ」
 霄灯の浮かぶ夜空を眺めていると私の頭に手が置かれた。まるで幼子を褒めるかのように慈しみに満ちた撫で方をされて、何か褒められることでもしただろうかと鍾離先生を見上げる。鍾離先生は「時に不足があっても伝えることが大切だ、あとは伝えられた者に託せばいい。お前の行動は十分俺の望みを助けている」と続ける。
 この古い仙人の言葉を大事にして生きていこう。その意思を込めて返事をすれば私の頭を鍾離先生はまたひと撫でした。

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