かれはさみしがり

 ひどい話だ。
 鍾離さんはそっぽを向いたまま棘のある物言いをする。もう何度同じ小言を繰り返されたのか数えてないが、彼はこの不貞腐れた態度を小一時間ほど続けていた。彼のために出した特別な茶をまるでただの水のように飲み干す姿を見るに、相当頭にきているらしい。
 たとえ腹が立っていても隙のない足さばきで私の仕事場に現れ、美しい所作でもてなしを受けるのだからこちらとしてはほうっと感嘆の溜息をつきたくなる。だがこうささくれ立った状態が続けば追々面倒なことになる気がして恋人の機嫌をとることにした。
「ねえ、そろそろへそを曲げるのは終わりにして……」
「恋人が他の男と密会していたんだぞ」
「だ、だからそれは夢なんでしょ……? 私は覚えてないし……」
 怜悧な視線が私を射抜く。涼やかな目元はいつにも増して温度が低く、足先が凍ってしまったかのようにその場を動けなくなった。自分に非があると思っているわけではないのに、彼に責められると自分が間違っているかのように感じる。何千年もこの国に君臨してきた神に迫力負けしてしまった私は喉奥からカエルが潰れたような声を出すことしかできなくなった。
 事の発端は昨晩の食事だ。私の手料理を振舞って、彼が知人の伝手で手に入れた隣国の蒲公英酒とやらで遅くまで晩酌をした。先に眠ってしまった私を寝台まで運んで彼は家路についたらしい。翌朝から往生堂の依頼をこなす予定が入っていたから泊まらなかったのだ。
 ただ彼もそれなりに酔っていたようで、寂しい夜に耐え切れず夢で私に会いに来たのだという。別れ際、私がそれは気持ちよさそうに眠っていたからきっといい夢を見ているに違いないと。だが私が見ているその夢とやらが大変お気に召さない内容だったのだ。
「オセルって人、本当に知らないんだけど」
「オセルは人間ではなく魔神だ」
「その魔神……が夢に出てくるのは、私をここへ連れて来た縁があるから……なんでしょ?」
「さあ、どうだろうな」
 とうとう説明する気もなくなるほど怒りが頂点に達してしまったようだ。壁を睨みつけて茶器に口をつけ、茶を啜っても口を離さない。話はこれで終わりだとでも言いたいらしい。
 縁があるから仕方ない、私の意思じゃないんだから仕方ない、そう言って納得させようとしたのにこうなるともはやお手上げ状態だった。
 彼が乗り込んで来たときにまくし立てていた情報をまとめると、青くてぷにぷにのウーパールーパーみたいな魔神オセルを私がかわいいとしきりに繰り返しながら愛でていて、魔神オセルもまるで私を自分の所有物だと言うかのように──これは彼の主観に満ちている──彼に見せつけていたらしい。彼は夢の中で、呆然とオセルが私の体に巻き付きじゃれる光景を眺めていたのだ。
 夢、また夢。その一言に尽きた。
 私はこの世界の人間ではない。彼が六千年かけて夢の中で私に逢い続けた結果、それが縁となり力を生んで、それを利用した魔神オセルによってこちらの世界へと引き込まれた。
 ただここに存在を留めておくだけの力が私自身にはなかった。夢を介して元の世界へ戻ろうとしていた私を彼が力を使って留めたのだ。
 夢についてはほとんどが私の記憶に残っていない。私個人としては睡眠の質が悪い日が続いて体調不良だった、くらいの認識だが、この夢とやらがかかわると必ず大事になる。はあ、とため息をつくが彼はこちらを見向きもしない。
 夢の中でどれだけ魔神オセルを愛でていようが所詮相手は海洋生物だろう。実際の図体はでかいし頭は五つあるらしいが、長細いウーパールーパーなんて可愛い以外の何物でもない、愛でるのも当然である。私は海のいきものが好きなのだ。
 魔神オセルがどのような意図で私をこちらへ連れて来たのかを彼は語らない。彼が語ったのは過去の事実、璃月が刻んできた伝統、私への愛情、そして長い時を生きるものの執着についてだ。とくにその執着とやらについては耳が痛くなるほど聞かされたし、こだわりの強い彼が私と接するときの態度でも重々承知していた。
 魔神オセルに私が心を奪われるかもしれない、なんて月並みな懸念を抱いているとは思えないが、彼が少なからずこの件で頭を悩ませているのは私と彼が違う生物だという事実が変わらず存在するからなのだろう。
 元の世界へ戻ろうとした私を相応の代価を払って留めて見せた彼が、私から払われる報酬に満足しないのは当然なのかもしれない。ただ彼に言われて恋人になったわけではないことを一度きちんと伝える必要があるのだろう。
「鍾離さん」
「弁解なら無意味だぞ……むぐ」
 仕方なさそうに私を見上げた彼の頬を両手で包む。むにむにと頬を押したり戻したりすると意表を突かれた彼の目が丸くなった。すぐ眉間に皺が寄っていき「……おい」と低い声を漏らして、俺は怒っているんだぞと主張される。
 どっちにしろ怒っているなら何をしたってかまわないと彼を無視して手を動かしていれば、私の行動が奇妙に映ったのか次第と狼狽え始めた。
 ははあ、と内心独り言ちる。彼がどうして拗ねているのか分かった気がした。魔神オセルとの触れ合いも気に入らなかったのだろうが、たぶん彼は夢の中で私に構われなかったことが一番嫌だったのだ。
 元より夢の中で会話できないことにもどかしさを覚えていて、最近になってそれが叶ったものだから、また振り向いてもらえなかったことに耐え切れなかったのかもしれない。
 なんて可愛い人だろうか。頬が緩むのを止められずにくすくすと笑うと今度は彼がぐっと言葉に詰まる。表情を引き締めて怒りと威厳を保とうとしているようだが、守りに綻びが生じた砦を攻めるのは容易い。
「オセルにかまってほしくないなら、これからはオセルより先に私の夢に出てくればいいじゃない」
「……お前が眠るタイミングを見計らうのは難しいんだが」
「毎日隣で眠るとか」
「……放っておかれたのを許すわけじゃないぞ」
「じゃあ夢を見ていないときに倍かまってあげる」
 私の提案にとうとう固く引き結んだ口を解いた彼が背中に腕を回してくる。引き寄せられるまま彼の膝に座れば「お前は本当に璃月が似合っている」と溜息をついた彼に言われた。
 璃月で商売をそれなりに繁盛させていること、暗に口先が上手いと言われて私は首を振って否定する。美しいかんばせが不思議そうに私を見ている。この国にはそういう言葉がないのか、それとも彼がまだ凡人になりきれていないのかはわからない。だから「これは私の国で使われる言い回しなんだけど、」と前置きをする。
「こういうのはね、惚れたら負けなの」
 参ったと言うように笑って彼は私を抱きしめた。

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