朔日の幻影

 爆竹が閃光とともに音を立てる。銃声に似た衝撃音は、死者を景気よく見送るように広域に響いていった。生者は、煙が肺をくすぐるほどに充満している中を、死者を載せた船を担いで歩いていた。あと数分もすれば空は海の深いところへ沈み、提灯の橙が辺りを照らすのみとなる。この空気は、訪れた人々にしかわからない。
 船とは、死者の魂が地獄へ帰る際に苦労しないようにと茄子や胡瓜を馬に見立てて準備する盆の風習が、この地方で独自に変化したものである。爆竹を鳴らしているのは、人を亡くしてから初めての盆を迎える家人達だった。人が亡くなった年だけはどの家も大きな船を造る。木板を組み帆が張られ、まさに船と呼べる形をしているそれは、十数人の大人で運ばなければならないほどのものも存在する。提灯はこの大船に備え付けられたものだ。船首には家名が書かれた板を立て掛け、中には生前に撮影した写真を掲げている船もあった。
 だが、初めての盆以外はどの家も小さな船を作るものだった。菰(こも)と呼ばれる藁編みの敷物で餅やその家の手料理を土産に包み、一度端を縛ってから上に鬼灯を載せてまた縛る、そんな船だ。数年前に亡くなった祖母の船を、すでに積み上げられていた船の群れに合流させる。船は子供でも楽に抱えられるほど小さい。
 船は川へと放流され、川下へ向かって少し流れた後で回収され、燃やされる。それを切ないと言う人もいるが、私はそうは思わなかった。あれが魂を地獄まで運ぶ船だと言うのなら、魂と同様に実態を持たない状態でしかそこへは行けないだろう。形を変えるために、燃やすのだ。故人の遺体と同じように。
 線香の先を蝋燭の火に近づける。赤く焼けた先に手を触れないよう、気をつけて灰の中に立てた。小銭を賽銭箱の中へ投げ入れて、静かに手を合わせる。
「今年は亡くなった人が多いね」
 年の離れた従姉がそう口にした。人の多い地域ではないため、毎年大船は並んでも10隻というところだ。今年はその倍はあるだろうか。手前からずらりと列を成し、提灯の明かりによって薄く、しかし確かに船の輪郭が浮かび上がっている景色は、まるでこの世にはないもののように感じさせるものがある。故人の思い出話をする人々、線香の煙に身を浸す子供。鼓膜を震わせる経の音と、合わせた手のひらに滲む汗。それらが五感以外の感覚を鋭くしているような気分にさせた。
 先に帰っていてと従姉が言った。帰省していた高校時代の友人を見つけたらしい。私が仲良くしていた友人は今年は帰らないと言っていたので、誰と会う予定もないだろう。来た道を戻れば盆は終わりだ。明日には実家を離れて仕事に戻らなければならない。そう思えば、足は自然とゆっくりになった。
 子供の頃はこの時期が少し苦手だったと思い出す。慌ただしいのに加え、祖母が体の弱い人で、その割りに世話を焼きたがるものだから、祖父母の家へ行けば母は気を揉んでばかりだった。幼いながらに母の手数を増やしてはならないと考え、始終大人しくしていた。それが窮屈だったのだ。
 とは言え、祖父母のことは結構好きだった。祖父は奔放な人だったので、祖父母の家へ行ったときも、逆に私達の家へ来たときも、気づけばふらりと出かけていた。私もよく連れられた気がするが、どこへ行っただとか詳しいことは覚えていない。ただ、祖父と出かけたときはいつも傍にやわらかな草の香りがあった気がする。実は今も、私達と一緒に外へ出たはずの祖父は、いつの間にか姿を消していた。きっと奥から大船をじっくり見て来ているのだろうが、祖父の姿を探すのは非常に難しいため、私も従姉も最初から探すことをしなかったのだ。まったく、祖父は面白い人だった。慣れあうのは好きじゃないと口にしていた人が、よく家庭を持つ気になったものだと苦笑するしかない。
 口許を押さえていると、視界の端に何かがちらついた。提灯の明かりとは違う、人目を引く色合いに私はそっと視線を上げる。そこには美しい男性がいた。端正な顔立ち、品のある佇まい、和服に身を包んでいる彼は、大船の並ぶ奥にある堤防にゆったりと腰掛けていた。提灯の光に照らされてるとはいえ暗い中、彼の髪は夜空で輝く星のように鮮やかだ。煙管……と言っただろうか、最近では実物を目にする方が少ないものを片手に、楽しむように煙草をふかしていた。左右にある大船の親族だろうか。だとすれば、亡き故人を悼んでいるのかもしれない。じろじろと眺めるのは不躾なのだろうが、不思議と目を離せなかった。次第に彼を知っている気すらしてきた。だが私と彼は間違いなく赤の他人である。
 これ以上はいけないと、自分を律して視線を逸らそうとしたとき、ついに彼がこちらに気づいてしまった。驚いたように目を丸くさせ、煙管が口から離れる。申し訳なくなり、謝ろうか悩んでいると、彼はふっとやわらかく笑って手招きをした。ああ、子供のように、欲しがる瞳をしていたのだろうか。羞恥心に飲まれた私は、すっかり身を縮ませて、大人しく彼の傍まで歩いて行った。
「すみません、失礼なことを」
 恥ずかしさに顔を上げられないでいると、そっと手を取られる。私の手を握る彼の手から、腕、肩、首、と視線を上げていくと、彼は優しい表情で私を見ていた。ゆるりと下げられた目尻が、責める気など更々ないのだと気づかせる。近くで見れば、なお美しい人だと思わせられた。彼の手は、夜風に当たっていたからか冷たい。
 彼がそっと瞳を閉じると、私の手に何かを握らせる。彼が持っていた煙管だった。彼は一言も発しなかったが、私が持っていてもいいのだと感じる。煙管を大切に仕舞うと、いつの間にか提灯の明かりを離れ、川の中流に来ていた。



「それ、後から警察に通報されるやつじゃないですか?」
 職場の後輩が怪訝そうな顔で言った。盆明けの昼、食事をしながら休み中の話をしていたときである。不思議なことがあったと話せばついに出会いか恋かと騒ぎ立て、目を爛々とさせて話を促した末の感想がそれとは一体どういうつもりだ。
「煙管を盗まれた、あれは祖父の形見なんだ、ものすごく高いものなんだ! とか言って」
「普通そんなことする?」
「わかりませんよ、世の中どんな人がいるかわかったもんじゃないですし。顔が良いからって性格も良い人とは限りません」
「でも、高いかどうかも分からないもの」
 浮かれていたわけではないが、どうしてかずっと身に着けておいた方がいいような気がして、使っていなかったロールペンケースに入れて煙管を持ち歩いていた。煙管を取り出して「見てみてよ」と後輩に渡す。へえ、と声を上げて受け取った煙管をしげしげと眺めると、後輩は唸り声を上げた。
「いや、これ、やっぱり高いと思います」
「どうして?」
「雁首って言ったと思うんですけど……この部分ですね、意匠が細かいですし、大量生産されたものには思えないです。それに私、そういうのを集めてる知り合いがいるんですけど。先輩の煙管、その人に見せてもらったやつに雰囲気が似てます」
 後輩は、私と違って物を見る目がある。目利きができる、と言うのだろうか。後輩はそれなりにいいとこ出の子だから、小さいころから色んなものを見ている。そういうのを集めている知り合い、とやらも家繋がりの知り合いだろう。ともかく、後輩がこの煙管は高いと言うのなら、そうなのだろう。
「詐欺じゃないなら何ですかね、告白ですかね」
 けらけらと、茶化すように後輩は笑った。
 その日の夜、夢を見た。細かなことは思い出せないが、誰かと川辺を歩いていた。全く知らない場所だと思ったが、行ったことがある気もした。最近こんなことばかりだ。その人は見覚えのある和服を着ていた。ほのかに草の匂いがした。渡した煙管は、君が持っていてくれ。そう言われて、ようやくその人が盆に会った彼だと気がついた。



 一番近かった連休を利用して祖父を訪ねることにした。あらかじめ連絡を入れておかなければ夕方まで家へ入れない、なんてこともざらにあるため、しっかりと数日前に電話をして。珍しいな、と言いながらも予定を入れずに待っててくれるとのことだった。
「それで? 大好きなおじいちゃんの死に目に会いたくて来たとかじゃねえんだろ」
「ご名答。大好きなおじいちゃんが余命宣告された時点で、退職してこっちで過ごすもの」
 軽口を二、三度投げ合うと、祖父はしみじみと私の成長を嘆いた。可愛げがないところも可愛いからいけない、と文句を垂れる姿に思わず笑う。素直じゃないし自分に関わりのないことは適当だし基本的に何にも興味が薄すぎるがさすがに孫は可愛いらしい、とは父の弁だ。
「あのね、夢を見るの」
「そうか、不思議な夢なんだな」
「可愛い孫の相談でも聞くつもりはないってことでいいのかな」
「悪かった悪かった、ちゃんと聞くから」
 祖父に夢の話をした。盆に会った、彼のことだ。あれから彼は、ふとしたときに夢に出る。それは記憶の整理とは呼べない、願望の表れとも言えない、とても現実味を帯びた夢だった。現実味を帯びているように感じるのは、夢で交わした言葉の一つひとつまで細かく覚えておけるからだ。
 夢は、起きてから詳細を話せるほど物語性のあるものではない。書物を読むように会話の一言一句が印象に残るなんてことは、大抵の人間であればまず不可能だ。例えば仕事でミスをした夢ならば、仕事でミスをした、上司に怒られた、申し訳なかった、それくらいしか残らない。上司、と限定される立場であれば夢に出て来た個人の特定も安易だろうが、それが私生活で普段から関わる人から遠ざかるほど、夢に出たのが誰なのかわからなくなる。
 それが、盆に会った彼だと確信でき、夢で会う回数を重ねるたびに、彼とどんな会話をしたか覚えられるようになっていく。恐怖は感じないが、不思議の一言で済ませられるものではなかった。少なくとも、私はそうだった。
「それで、とりあえず彼を探そうと思って。夢のことは置いておくとしても……煙管、返さなきゃ。友達がすごく高そうなものだって言うの」
「その煙管っての……見てもいいか」
「うん。はい、これ」
 煙管を取り出すと、祖父は小さく息を飲んだ。
「その煙管、」
「知ってるの?」
「赤司の煙管だ」
 赤司の煙管? 私が繰り返すと、途端に神妙な顔をして、祖父は立ち上がった。引き出しを開け、奥の方にある物を取り出そうとしている。出て来たのは便箋だった。一目見て古いものだと察することができたが保存状態は良好だ。つまり、ずっと取り出されていなかったのだ。
「これが赤司だ、赤司征十郎」
 次は私が息を飲む番だった。祖父の取り出した便箋に入っていたのは手紙と、一枚の写真だった。数人の男子が写った集合写真だった。その中心に、盆に会った彼にそっくりな人が笑顔で写っている。本人かと思ってしまうほどに似ていた。
「こいつに会ったのか」
 祖父は何かを探るように私を見た。見つめ返した祖父の瞳は、何かを確かめるような色も含められているようだった。
「う、ん。でも、お孫さんとか……」
「あいつの孫は、確かにあいつの面差しはあるが、生き写しってほどには似てない」
「で、でも……だって、彼、私と変わらないくらいに見えた」
「……そうか」
 祖父は数度瞬きすると、低く唸った。信じてはいなかったし、納得はいかないが、何が起こっているのかは理解したと口にする。間に置かれた沈黙にそこはかとない不安を覚える。祖父はむっすりとした顔になって、実に不愉快そうだった。いつも飄々としている祖父が、感情を思い切り外に出しているのは本当に珍しいことだった。それが私の不安を加速させた。
「あいつは、ある時期からやけに俺に早く結婚しろって言うようになった」
 顔を私から逸らしたまま、祖父はぽつりぽつりと話を始めた。
「家庭を持つのはいいことだとか、そういうことを言いたいのかと思ったら違った。急がなくてもいいから、いつかちゃんと結婚してほしいと、懇願するように言われてた。頭の良いやつだったが、化け物じみたところもあるやつだったから、どこか頭の螺子が外れてるとこがあってもおかしくねえ。それよりお前の方こそ面倒そうな家に生まれてるくせに、人の心配してる暇あんのかよって感じだったか」
「まあ実際に結婚して、子供ができたときは驚くくらい喜んでた。名前は何にするんだとか、しつこいくらい聞いてきて。名前は嫁さんが決めるから知らないって言えば、じゃあ女か男か分かったらすぐ報告しろって。性別がわかって男だと言えば見るからにテンション下がりやがって、ぶっ飛ばしてやろうかと思ったな」
「それで、お前が生まれてつかまり立ちができるようになったときくらいに、ふと思い出して連絡したら飛んで来て。東京からだぞ。連絡したの、その日の朝な。ああ、お前の母さんはお袋さんが早くに亡くなってたから、育児は大変だろうってことでしばらくここで過ごしてたんだよ。……あいつは、お前を見るなり、泣きそうな顔になってな。やっと会えたって、言ったんだ」
「あいつはよくお前に会いに来てたし、お前が楽しそうにするから俺もよくあいつのところに連れて行ったよ。お前がある程度大きくなれば向こうへ戻ったからそう会わなくなったが、自分の孫みてえに可愛がってた。知ってたか、あいつお前の学費出すとか色々言ってたんだぜ……とか言われてもわかんねえか。お前が成長してからは、めっきり会わなくなったからな、あいつと。あいつも忙しくなったみたいだったし」
「……前に一度、変な話はしてたな。大切な人がいるって。そいつが、夢の中でしか会えない女で、でもいつかは会えるとか。それを、お前と一緒に過ごす赤司を見て、何度か思い出した。薄々、赤司があのとき何を指して話してたのか、勘付いてはいた。ただ、あいつは自分の家も大切にしてたし、分別もついてた。だから……。今思えば、あの話をしたときのあいつの顔は、恐ろしかった。唯一を決めたうえで、それ以外を選ぶ覚悟を、していた顔だ。もしかすると、お前が大きくなってから会わなくなったのは、あいつが意図的にそうしてたからかもしれない。そういえば、成人式の写真を見せたらこう言ってたな。『変わらないな、彼女はいつだって、美しかった』」
「なまえ、お前が見てる夢は、赤司が若い頃に見た夢なんだと、俺は思う」
「正直、俺も馬鹿なことを言ってる自覚がある。だがお前は今あいつの夢を見ていた。その夢に出て来たってのは、おそらく大学時代のあいつだ。やけに現実味を帯びた夢だと言ったな。到底夢ではありえない夢だと。それは、実際にあいつに会っているからなんだろうと、思う。夢の中でだが。そう考えれば、昔あいつが話してたことの意味がわかるんだよ。盆に会ったのが夢かどうかまでは、どうだろうな。盆は地獄の釜が開いて死者の魂が戻って来ると言われる日だ。盆に会ったなら、霊かもしれない。あいつはもう、死んでるからな」
 祖父の話は、わからないことだらけだった。今の話を聞いて理解しろというのが無理だろう。今私が見ている彼の夢は、同時に彼が若い頃に見た夢でもあると言うのだから。だが祖父の話しぶりは、到底冗談を言っているようには聞こえない。ただ一つだけ、赤司と呼ばれる彼が、私が生まれるずっと前から私を大切に想っていてくれたことは、理解した。それが愛だったのかどうかまではわからない。祖父はそれを教えてはくれないだろう。その想いの強さをわかってしまったから、痛いほどに、悲しかった。
「もう、八月も終わりだな」



 それから数度の夢を過ごしたある夜、名前を問われた。躊躇したがとても堪え切れず、私は自分の名前を告げる。そうして夢は永遠に終わった。私の名前を知ってしまった彼は、これから私を探して半生ほどを生きるのだろう。ある文豪は『うつし世は夢、夜の夢こそまこと』という言葉を残した。私達はまさしくそうだったのかもしれない。
 私は、誰よりも私を愛してくれた人を、この夜亡くしたのだった。

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