本物の愛を知ってるか

 彼と会ったのは迎仙儀式の数日前だ。
 大陸で最も栄えていると言っても過言ではない璃月港では他国からの貿易人の姿も多く見られる。かくいう私も商いの関係で稲妻からここへやって来た人間の一人だ。ひょんなことから璃月の案内を頼まれた私は彼の名を聞く。見るからにスネージナヤからやって来た洋装の男はタルタリヤと名乗った。

「やあ、お仕事中かな?」
 手を掲げて声をかけてきたタルタリヤに私はまただと笑顔の下で考える。彼はどうしてか暇を見つけてはここへやってくる。話の途中で急用ができたと言って背を見せることはこれまでも何度かあったし随分と忙しそうにしているようなのに、私に会いに来る回数を減らすどころか日に日に増えている気さえするのだ。
 何か気に入られることをしただろうかと首を捻るが思い当たる節はない。ただ少し親切にしただけなのに懐かれてしまったようだ。
「ちょうど書類仕事も終わったところですし大丈夫ですよ」
「それなら良かった。まあ雇い主に君を借りる許可は取ってあるんだけどね」
「……貴方って一体何者なんですか? 色んなところに顔が利きますよね」
「しがない銀行行員だよ、立場は少しだけ上の方だけど」
 にっこり。柔和な印象を与える顔が完璧なまでの笑顔を作り出す。そう言えば彼に対してファデュイらしき人たちが頭を下げている姿を見たことがある。私とたいして年が離れていないからと思っていたけど、彼はもしかすると外交的な特権を持っている人なのだろうかと初めて思い至った。
 一応雇い主に一言ことわりを入れて外へ出る。貴方こそ仕事は大丈夫なんですかと聞けば要事の手配は終わったとだけ返ってきた。どうやら仕事の話にはあまり触れてほしくないらしい。
 道すがら他愛ないことを話した。私も彼も、直接互いの故郷へ足を運んだことはない。だから私は稲妻の話を、彼もスネージナヤの話をした。話を聞くだけではスネージナヤの景色はわからない。だけど一面が真っ白な雪に覆われた景色とは稲妻の寒い地方と似たようなものなのだろうかと頭の中に景色を思い浮かべた。
 寒い所だけれどいつか来てみて欲しい。そう話す彼にそうですね、いつかと曖昧に返す。
 璃月港はどこを歩いていても帝君が天に昇った話で持ち切りだ。出身が異なる人間がさらに別の国で過ごしているとなれば共通の話題に限度もあって、話題は自然と耳から入ってくる岩王帝君の話に変わった。
 岩王帝君の話をする彼の横顔はどこか苦々しい。璃月で商いをする人間ならば少なからず岩王帝君をありがたがる人が多いのに珍しい人だなと思って眺めていれば、彼は気まずそうな顔をしてつぶやいた。
「君のそういうところには助けられてるのかな、俺は」
 言葉の真意を聞く前に、彼が思い出したように懐から何かを取り出す。高そうな桐箱だ。蓋を開くと中には美しい簪が質のいい絹織物に包まれて鎮座していた。
「璃月の伝統的な意匠があしらってありますけど他国の方にも使いやすそうな品ですね」
「さすが商人、目利きができるね。これは璃月の文化を取り入れてスネージナヤの細工師が作ったものらしい。璃月に店を出すという話がうちに入っていたから見に行ったら見つけたんだ」
「へえ、スネージナヤの方が璃月の文化を取り入れて作った簪……興味深いです。贈り物ですか?」
「これは君への贈り物だよ。稲妻出身の君でも使いやすいデザインなんじゃないかな」
「これを……私に? いくら斬新すぎるデザインとは言え使われた石、加工にいたるまで一級品に相当する物ですよ。とてもいただけません!」
「まあまあそう言わずに。君がもらってくれなきゃ捨てるしかないんだけど?」
 これを捨てる? 価格はもちろん、職人が丹精込めて作ったであろうものを?
 言葉の綾だとはわかっていても顔から血の気が引いた。私を見て彼もまた失敗したと言わんばかりの顔をしたが、本当に私以外へ渡すつもりがなかったのか言葉を引き下げるつもりはないらしい。恐るおそる手を差し出せばほっとしたように私の手に桐箱を乗せた。
 女に簪を贈るだなんて一体どういう意図があるのだろうか。気前がいい人だということは知っている、だから他意はないのかもしれない。そう思うのと同時に、異性へ装飾品を贈る意味がわからない人でもないように思えた。
 もしかすると私は彼以上にこの簪を持て余してしまいのではないだろうか。俯いたままそんなことを考える。
「さっきの話……スネージナヤに一度来てみるといいって話だけど、本気で考えてみない? 君の雇い主には俺が話をつけるよ。たとえば、そう……君たちの事業をうちの国でも展開してみるのはどうかって提案をしよう。もちろん、資金援助は北国銀行に任せてくれ」
「スネージナヤで店を?」
「支店長は君で。どうかな」
 璃月には劣るがスネージナヤは商い以外でも他国への影響力がある国だ。悪い噂を聞くこともあるが、他国での資金援助ならまだしも自国で他国の商品を扱う事業を始めるというのは彼らにとっても博打要素が大きい。少なからず遊び半分で話を持ち掛けているわけではないと感じた。雇い主も、破格の対応とまたとない機会を逃しはしないと考えることだろう。
 私個人としても承諾すべき案件だと感じた。自分の店を持ちたいと思ったことはなかったが私にも支える家族というものがある。実家への仕送りが多いに越したことはない。
「ありがたい申し出に感謝します。……ですが、支店の責任者にはどうぞ私以外を推薦してください」
「理由を聞いてもいいかな?」
「……私は、旦那様の下で秘書をやっているだけですから。そんな大層な役が務まる自信がなくて……」
 小さくなっていく言葉を聞いた彼が私を過剰に持ち上げることなどはなく、その気になったら言ってくれとだけ返して励ますように私の背を叩いた。
 翌日、いつも髪をまとめているわけではなかったが、せっかく簪をもらったのだからと髪をまとめて挿してみた。他国の意匠があしらわれたものだがたしかに私でも使えるデザインで、他の従業員にも素敵な簪だと褒められた。贈ったのは間違いだったと思わせずに済みそうだと考えながら仕事をしていたが、その日に彼が来訪することはなかった。



 あれから彼とまた毎日のように会って話をした。簪がよく似合っていると言ってくれた。
 彼から何かしらの贈り物をされることが増えて、断れるものもあれば断れないものもあり少しだけ気を揉む日々が続く。しまいには、もらえるものはもらっておけばいいのに、あまり商人に向かないねと言われて腹が立った。他の男から渡されたものなら躊躇なく受け取ってモラに換えている。言い返そうとして、どうして私が彼からの贈り物を素直に受け取れないのか、その理由が少しずつ変わっていることにようやく気が付いたのだ。
 自覚してしまえば、すっかり彼の言動に振り回されてしまって彼の真意を手繰ることが以前よりもっとずっとできなくなってしまっていた。
「タルタリヤさん、ファデュイの執行官をご存知ですか?」
「──執行官? もちろん知っているけど……」
 今朝耳にした噂を思い出す。この前の一件には、やはりファデュイが絡んでいたようだ、と。
 送仙儀式の日、千岩軍から正式に岩王帝君は暗殺されたわけではないという告知がなされた。それまで飛び交っていた璃月七星やファデュイへの疑惑を一掃する内容で、璃月の人々は一時的には納得していた。
 だが岩王帝君が封印したとされる魔神を解放したのはファデュイの執行官、ファトゥスの『公子』という人間だという噂が再び巷を騒がせているのだ。盗み聞きした内容ではあるらしいが、なんでもそう断言していたのが璃月の歴史に最も明るい識者の先生だということで信憑性が高いとも言われているらしい。
 ファデュイにとって北国銀行は自国の金融機関だ。だから彼も『公子』という人を知っているかもしれない、そう思っただけだった。
「その『公子』を俺が知ってたら君はどうするの?」

 ある日、ヒルチャールのせいで雨に降られてしまったから彼がジャケットを貸してくれた。借りっぱなしでは困らせてはいけないと思い、こちらから返しに行くことにした。
 北国銀行での彼の地位はわからない。彼は自分の話もよくしてくれるけれど、仕事に関しては少しも話をしてくれなかった。だれに取次ぎを頼めばいいかもわからずひとまず受付の女性に話を聞くことにする。
「『公子』様は璃月の外れにて職務にあたっておられます。ご用件、たしかに承りました」
 タルタリヤさんにお取次ぎを、と口にした私に女性は『公子』の名を出してジャケットを受け取った。



 商業エリアを結ぶ橋、上には迎仙儀式の会場があるここで璃月港が囲む海を眺める。聞き慣れた声がして視線を送ると、北国銀行の入口から彼が出てきたのが見えた。どんな顔をして彼に会えばいいのかわからなくて橋をあとにする。もし噂通り彼が璃月港を魔人に襲わせたのだとしたら、私は彼になんと言うのが正しいのか未だに答えが出ずにいた。
 戻って仕事に取り掛かっているとまた彼の声が聞こえてきた。雇い主と何か話をしているらしく、雇い主の声が高揚しているのがわかる。前に提案された話でもしているのかもしれない。
 部屋に近づく足音が聞こえて、入口の向こうに彼の姿が現れた。書類を手にしている私の気配を察して「外へ連れ出すのはやめておこうかな」と言われる。ひと目で状況が把握できるのも彼の優秀さの証なんだろう。手が離せそうにないし、以前はどのように接していたかわからない私としては、ここで話を済ませてくれるのはありがたかった。
 お茶くらいは振舞わなければ失礼だろうと茶葉を取り出した。彼は随分と璃月の文化になれたようで、伝統的な手順に従ってお茶を飲む。もしかすると私より上手いかもしれないと思っていれば、私が考えていることを悟ったのか「璃月に詳しい人がいてね」と彼は茶器を置く。
「箸も使えるようになった方がいいと言われて結構厳しく指導されたんだ。君が聞いた『公子』の噂も出元は同じ人だろうね」
 『公子』の単語に肩が跳ねる。彼はそれを見逃さなかったようで力なく笑った。
「やっぱり、俺が『公子』だと知ってしまったようだね。北国銀行に来たならもしかすると……と思っていたんだ」
「では、今日は噂の話をしにきたんですか?」
「そのつもりはなかったけど……答えが知りたいなら教えてあげよう。俺が魔神をけしかけた、噂は事実だ。まったく、悪気はないんだろうけど先生は質問されたことに対して嘘をつけないから困るなあ……俺が悪者だって噂がいつになっても消えない」
 申し訳なさを感じさせない様子で肯定した彼に形容しがたい気持ちに駆られた。あんなに恐ろしいものをどうして解き放ったのか。璃月七星や仙人、千岩軍と璃月に駆けつけていたモンドの英雄が力を合わせなければとても太刀打ちできなかったと言われている恐怖の塊を、どうして。
 彼は私にやさしくしてくれたけど、『公子』の行動はまるで私の存在など歯牙にもかけないと言われているようで私は傷付いていた。
 言葉を見失ったまま書類に目を落とす。だけど書類の内容に目を通しているわけではない。彼もそんなことはきっとわかっていて、痛いほどの沈黙が室内を満たしていた。
「北国銀行は君の雇い主に資金援助をすることになったよ」
 沈黙を破った彼は『公子』の話を終わらせた。
「……そうですか」
「俺は君を推薦しておいた」
「他の者を、とお願いしたはずです」
「そうだね。でも君に来てほしかった、俺はこれからスネージナヤに戻るからさ」
 彼の言葉を聞いて弾かれるように頭を上げた。彼は見たことがない表情をしていた。いつものやわらかな笑顔を歪ませて、私がようやく目を合わせたことに安堵したような表情だった。
「俺は『公子』の件で君を危険に巻き込んだことについては謝罪がしたい。だけど君がスネージナヤに来ないのなら……俺は君に謝らない」
 ファデュイはファデュイのために動く人間には寛容だ、と聞いたことがある。彼が私を誘うのがそんな理由であってほしくはない。だけど彼が私にやさしくしてくれる理由をはっきりと言わないから私はそう解釈するしかない。
 違っていて欲しいと思うのに彼を問い質すこともできずにいると、彼は静かに背を向けた。
「……君が一緒に来なくても、俺はいつか君の故郷を見に行くよ」
 寂しそうな声に迷いは消えた。離れていく彼の背中を追う。彼の腕を掴めば、振り返った彼にまとめ髪が崩れてしまうほど強く抱き竦められていた。駆け引きは得意じゃないんだよと彼は小さく口にした。

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