スタッカートで駆け抜けて

 何年かかるかわからない、その前提で出航した冒険チームはプラチナを手に入れるべく向かった先で石化装置をも手に入れた。石化装置が手に入れば、先の負傷で命を引き取り冷凍保存されている司を生き返らせることも可能かもしれない。出航前に見出したその希望をこんなにも早く実践に移すことができるのは僥倖以外の何物でもない。帰還したペルセウスから下船すると、千空たちは関係者を引き連れて滝の方へ向かった。
 その一行を見ながら、ペルセウスを下船したなまえは一人ただ静かに時が来るのを待っていた。滝の音に掻き消されて聞こえてこなかった司復活の歓声を、その場にいた南から興奮とともに聞かされる。すでに松風との手合わせまで済ませ、司の体調が万全であると知ったなまえは、時は来たれりと千空の元へ向かった。
「司さんは無事目を覚ましたらしいですね」
「あ"ぁゆっくり話つけるなら今のうちだぞ。次の出航までにやること山積みあんだからな」
 千空はとうに次の作業へと取り掛かっていた。なまえの来訪を知ってなお手元から視線を外さない後姿をなまえも気に留めない。
「帰り路、船の上で話したことをお願いしたいんですが」
「……本気だったのかよ」
「もちろんです。無理にとは言いません、せめてグローブ程度は欲しい」
「あーわかったわかった、用意してやっから一週間待て。場所はどうするつもりだ」
「村で御前試合が行われていたんでしょう、その辺りでいいんじゃないですかね。どうせリングもありませんし」
 なまえの返答に、どうせなら場所もちゃんとした方がいいだろうと千空は思案した。御前試合は神へ奉げる演舞に近い性質がある上に原始的な行事だったために、足腰への負担などへは対応されていないのだ。
 リング、作るか。千空は設計図を脳内で練り上げながらなまえに問う。
「霊長類最強様の人気は言うまでもねえ、ギャラリーは大勢押し寄せんぞ。他に何が欲しい」
 負け戦をわざわざ大衆に晒してやるのか。そう悪態じみたことを言わずに、なまえの要望を少しでも通してやろうとしたのは千空なりのエールだった。武人の誇りというものは千空には理解しかねる。だが勝敗が明らかでも譲れないものがあるらしいことは知っていた。だからこそ、本当に後悔しないのかと確認するのは無粋だ。なまえは千空に向かって意気揚々と言い放つ。
「人が築いた面白いものをすべて見せてやる……でしょう? 獅子王司の復活戦──文明が滅んで初めての格闘試合です、熱狂の渦を作り出してあげようじゃありませんか。実況と解説、それを全員に届けるマイクをお願いします」
「クククい〜〜だろ、どでかい鉄骨準備しといてやるよ」



「ムリムリムリ! そりゃあ司さんの試合は全部見たよ? でも詳しいわけじゃないし!」
「解説は羽京さんがしてくれるんですから実況だけで大丈夫ですよ。キャスター時代も練習はしたって言ってたじゃありませんか」
「でもぉ……!」
「ほら、実況で試合が盛り上がれば司さんのテンションも上がるし、マイクを使うんですから声も一番届きます。それに隣に解説者がいれば解説聞き放題です、もし詳しくなれば──」
 泣き言を口にする南をなまえは宥めた。なまえの思わせぶりな言い方に南がはっとした。もし詳しくなれば司と共通の話題が増える、それに実況中に気の利いた一言でも言うことができれば。
 南は俺の理解者だ、うん、俺の女に──。などと赤面して震えながらつぶやいているのを無視してなまえは南を引っ張って行った。
 千空に指示された場所は、御前試合で使っていた場所ではなかった。麦を植えている平野にほど近く、開けた場所にリングが設置されている。リングは4つのコーナーにロープが張り巡らされており、丸太を固定しただけの簡素なものだが観客席もリングを取り囲むように設置してあった。想像もしなかった出来栄えになまえは目を剥く。
 客席にはすでに多くのギャラリーが座っていた。復活者たちは、司相手に無理するなと言いながらも久しぶりに目にした『現代の娯楽』に興奮を隠しきれていなかった。石神村の人間も、格闘技は未知の存在でありながら会場の熱気にあてられていた。
「すごいと思わないかい」
 司がなまえを見つけて尋ねる。なまえは司に同意した。試合を控えた二人に再会の挨拶は不要だ。
「こんなに本格的なリングだとは思いませんでした。ロープもゴムで覆ってあって……ゴム?」
「揃ったな。試合始める前にリングの説明すんぞ」
 なまえがリングを囲むロープを引っ張っていると千空がやって来た。
「ロープの芯にワイヤー使ってんのは日本だけだ、今回は麻紐を使ったぜ。マット部分には厚手のゴムが敷いてあんだが同じ弾性のゴムを作るのはちぃと厳しくてな、底板を倍にしてカーボンで強化してっからぶち抜く心配はいらねえが、テメーらが使ってたリングマットの感触とは確実に違う。そこは各自で対応しろ」
「わかったよ。ゴムは天然から調達して……そんなわけないか。似たものを作ったのかい?」
「石油から作った合成ゴムだ。どうせパッキンにも必要だからな、テメーらで耐久テストさせてもらうことにした」
「それってつまり……」
「色んな比率のゴムが継ぎ接ぎして敷いてある、思いっきり暴れやがれ」
 口にこそ出さなかったものの二人は揃って「うわ……」と言いたげな顔をした。足場が不安定な可能性を察知したからだ。下手をすると硬い地面より扱いづらい。対戦相手に対応するだけでなく、足裏に伝わる感覚の違いにどれだけ早く対応するかが求められている。
 杠からグローブを受け取る。試合で用いられるオープンフィンガーグローブは4オンスから6オンスだが多少軽いとなまえは感じた。グローブを構成する生地や衝撃吸収剤の密度は気になったが保護としては十分だろう。グローブを扱う上での注意点も聞かされたが、あとは使ってみたときの感覚がすべてだった。
 マイクテストを兼ねて、ルールを知らない人間のために最終的な説明をしていた羽京が時間だよと声をかけてくる。二人はロープを潜ってリングに上がった。
 なまえは、司と同じジムに通っていた。格闘家を目指していたわけではないため名を馳せてこそいなかったが、実力はプロでも十分やっていける程度には備えていた。なにせ、あの司と同じジムに通っている以上は司と拳を交わさないわけがないからだ。もちろん、司とは重量も違いすぎるなまえは準備運動程度の相手しか務まらなかったが、なまえにとって司と拳を交える経験こそが値千金だったのである。たゆまぬ努力を続ける姿を司も評価しており、相手を頼まれれば手すきにスパーリングに付き合ってやっていた。
 もし自分が男だったら、獅子王司と公式戦で戦うべく格闘家の道に進んでいただろう。そんなことを考える程度には、なまえは司を尊敬していた。
「へえ〜やるじゃないか、あの司相手にさ!」
「ウェエエイ、なあもしかしたら勝てちまうんじゃねえのこれ!」
 5分を3ラウンド。その1ラウンド目が始まるなりギャラリーは沸いた。なまえの体つきがスポーツをやってきた人間のものであることは明らかだったが、どれくらいの実力を持っているのかは不明だった。相手があの獅子王司であれば開幕直後のKOもありえたが、司に対して防戦一方かと思われたなまえが渡り合えていたからだ。
「ていうかなまえあんだけ強えーならなんで今まで大人しくしてたんだよ!? 帝国のナンバー4入りしてたっしょ……いや、陽君に勝てるかはわかんなかったけど?」
「アンタみたいな権力欲に塗れてなかったってことだよ」
 陽の浅いコメントにニッキーがツッコミを入れる。司帝国に属していた立場として、なまえの隠された実力に盛り上がっている者は多かった。別の場所ではコハクが感心している。
「中々のつわものだな。実力差はそれなりにありそうだが司のクセをよく分析している」
「じゃあ勝ちの目もあるってこと?」
「それはどうだろうな……たしかによく健闘している、対司戦においては私達よりも司に対応できているかもしれない。だがその割になまえからは司に勝とうという意思がまったく感じられないのだ」
 コハクの話に銀狼は首を傾げた。勝つ気がないのにわざわざ試合なんてするわけないよぅ、と疑問を口にする。金狼も銀狼の言葉に内心では同意しながら、ではなまえを突き動かしている気迫のようなものは一体何なのかとリングを注視していた。
 1ラウンド目が終わり、2ラウンド目が始まる。総合格闘では臆病だと判断される姿勢を見せてはならない。もはやそれを判断できるレフェリーもいないが、なまえは果敢に司に向かって拳を打ち込んでいた。拳を打ち込むたびに目の前の男には勝てないのだという実感を強めながら。
 歯が立たないわけではない。クセから先を読み、司の攻撃をかわしながら攻撃を繰り出す。受け止められれば次の手を考える。
 氷月がこの試合を観ていればこう言っただろう。なまえはちゃんとしている、だが不足していると。不足しているのは実力ではなく、勝利への飢えだ。
 石化装置を手に入れて石神村に戻る船の中でなまえは大樹と杠の会話を耳にした。司は停戦を約束した、次に目覚めたときは今度こそ友達になれるだろうと。そこだけ聞けば、対立を収めるために司帝国で長らくスパイとして動いていた二人の和平への希望だと思えただろう。だがなまえは、大樹が続けた言葉を聞き逃さなかった。
『ああ、そうだな。一人も友達がいないなんて悲しいことは二度と司に言わせないぞ』
 信じられない思いがして、なまえはその場で二人を問い詰めた。このストーンワールドで一番最初に石化から自力で復活したのが石神千空だ。大樹と杠、そして司はまだ科学が進歩していない段階で千空によって復活させられた三人であり、掲げる思想の違いで仲違いした。
 それは知っていたが、逆に言えば四人以外の人間はそれだけしか知らない。彼らの間でどのような会話がなされたかをだれも逐一語り聞かせはしないからだ。まさか司が、これまで周囲を取り囲んでいた人々を、司を慕った人間を、取り巻きと言い捨てていたなどとは思わなかったのだ。
 なまえは決して司と友だと思っていたわけではない。司はジムで世話になった先輩であり、女だからと手を抜かないでくれる真摯な格闘家であり、尊敬する人物だった。
 石化が解けて、みずみずしい緑の中に見知った人物が立っていたときの安心感をなまえは覚えている。
『──これから、新たな世界を共に構築していこう』
 そう言ってまだ人口の少なかった帝国に迎え入れられたときの誇りは、形を変えて今も胸に残っていたはずだったのだ。

 レフェリーを務めていたジャスパーに引き剥がされてなまえは意識を取り戻した。ジャスパーは格闘技を知らない石神村の人間の一人ではあったが、御前試合では審判を務めていたほど動体視力と状況判断力に優れている。そこを買われてレフェリーに選抜されていた。
「たしか脊椎への攻撃は反則だ。注意しても攻撃を続けることも反則だったな」
 見ると、司が自らの腰付近でなまえの脚を食い止めていた。なまえが力押しできる相手ではないが、司は重心を崩し無理な体勢でなまえを止め続けていた。そのせいで拮抗状態になっている。はっとしたなまえは大人しく脚を引いた。司が長い息を吐く。さすがに少々消耗したらしい。これまで汗一つかいていなかった司が、鬱陶しそうに長髪を振り払って背中へ流している。
 頭を冷やすべくなまえは司と距離を保つ。するとすぐにラウンド終了の実況が入った。2ラウンド目の大半をなまえはトリップ状態で過ごしていたようだった。
「おいおい大丈夫かよ」
 千空がコーナーで休んでいるなまえに声をかける。千空は、なまえの意識が飛んでいたことを見抜いていた。司に対して怯むことなく繰り出されるなまえの猛攻を観てギャラリーの興奮は最高潮に達していたが、いついかなるときも冷静さを失わない千空だけが異変に気づいたのだ。
「無理しすぎて体壊すんじゃねーぞ、テメーも科学王国の貴重な労働力だ」
「司さんの心配もしてあげてくださいよ」
「野郎同士で仲良しこよし声掛け合うなんざ気持ち悪いっつの」
 千空の言葉になまえが笑う。3ラウンド目が始まった。
 南はもはや自分が何を口走っているのか理解していなかった。慣れない実況、めずらしく戦いづらそうにしている司の姿、会場の熱気に当てられて「司さん負けないでー!」と個人的な声援を送るばかりだ。
 南の代わりに解説の羽京が実況までもこなしている。総合格闘技に明るいとは言えないながらも頭に詰め込んだルールを引っ張り出し、リング上の目まぐるしい攻防を視覚と聴覚とで必死に追いながら口までも動かしている様は器用としか言いようがない。
 野次も酷いものだった。音という音が溢れるなか、司となまえの神経は極限まで高まっている。なまえは気づけばリングに組み伏せられていた。わずかにでも動けば反応して捻り上げてくる司に、それでも負けじと身体を跳ねさせる。だが抵抗は叶わなかった。3700年が経過してなお、獅子王司はリングの上で無敗にして霊長類最強を保持し続けた。

 試合が終わり、久しぶりにまともな格闘技を行ったなまえの身体は、司に痛めつけられたこともあって悲鳴を上げていた。まあよくあることだと特別な処置を必要とするわけでもなく氷水を入れた桶に疲労の溜まった足を浸していたら司がなまえを訪ねて来た。
 後輩を労う先輩らしく、司は試合を振り返ってあれこれとなまえにアドバイスを送る。なまえもそれを素直に受け止めて次に生かすことにした。場所は麦畑を一望できる自然のただ中だったが、二人の周りには鉄筋とコンクリートの壁が見えるかのようだった。
 なまえの様子がおかしいことには司もとうに気がついていた。特にリングの上であんな姿を見せたことはなかったはずだと、試合中に集中力を欠くことの危険性を説くように、嗜めるように理由を問い質す。見つめてくる司に抵抗せずなまえは白状した。
「……──そういうことで、まあ、つまりショックだったんです。私は司さんに憧れてましたけど、司さんにとって私はただの殴り返してくるサンドバックだったんだなって」
「そ……そこまでは思ってなかったよ」
 明け透けに事情を話し、さらにはサンドバッグ呼びで自虐しはじめたなまえに、さすがの司も引いていた。妹のために格闘一本でやってきた司でも、女性に自らをサンドバッグなどと言わせたままでいてはいけないことくらいわかっている。だがなまえが格闘家として認めて欲しかったと主張している限り、上手い撤回の仕方まではわからない。
 司が言葉を探しているのも気にせずなまえは言葉を続けた。
「この世界で仲間に選ばれたから、認めてもらえたんだって舞い上がっていたのもあって悔しくて。でも、仲間意識を持っている……対等になれたと思っているくせに、たかだか取り巻き発言にショックを受けるなんて考えてみれば変ですよね。私は結局、司さんのことを尊敬したままだったんです。なので、ひと暴れすれば気が紛れるかなあと」
「紛れたのかい?」
「はい、尊敬したままでもきっと仲間にはなれるんです。でしょう?」
 なまえの言葉に、司もかつて尊敬から始まった友を思い出して微笑んだ。

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