君のための未来

※獅子王司は出ません

「……今は行くんじゃねえぞ」
 滝が落ちる洞窟から出てきた千空が強張った声で口にした。行かないよ、と千空が出てきた辺りを見つめたまま言えば無言が返ってくる。
 行くわけがない、彼が眠る棺の傍には妹がいる。3700年前に脳死状態で石化し、石化修復時に細胞が繋がる性質の恩恵を受けて現在に意識が回復した奇跡の少女が、自らを超える奇跡を信じて兄の眠りを守っているのだ。他人の私が同席する理由はなかった。
 千空は野暮な人間じゃない。勉学に留まらない賢さで他人の思考を見抜くことにも卓越していた。そんな彼が、司の元へ行く気などはなからない私にあえて指摘した理由は、私が不満げな顔をしていた説明が他に見当たらなかったからなのだろう。
 実際、釘を刺すだけなら言い捨てれば良かったものを、千空は私の隣に腰を下ろして兄妹のいる滝下を眺めた。説明のつかない私の思考に答えを見出してから作業に戻るつもりらしい。ご要望に応えるべく私は千空に疑問を投げる。
「コールドスリープって言ってもさあ、つまるところ司の遺体が腐敗しないよう保存してるだけなんでしょ?」
「あ"ぁ、体は100億%死んでんだからな」
「その状態から本当に蘇生できるの? 脳死状態から回復したんだから……って言ってたけど、あの子が損傷を負ってたのは脳だけじゃない、延命装置に繋いでいたとはいえ他の臓器は生きてた。でも司は違う……ただ冷凍してるだけなのに、石化の恩恵を受けられると思う?」
「可能性はゼロじゃねえ」
 千空は断言する。納得できない……わけではない。私の倍以上に知識があって、たった一人で石化状態から復活してみせた科学の遺児がコンマ数%でも可能性を見出しているのであれば不可能ではないのだろう。ふうん、と私の口から漏れた声は感心していた。千空が奇妙な顔をする。
「蘇生なんてしないで、司のこと死なせたままでいてくれればいいのに」
 千空の顔を見ていなくても、彼が理解しがたいものを見る目で私を見ているのがわかる。
「とんでもねえ発言を聞いちまったなあ、司帝国に、氷月以外にも司様の死を願うやつがいたらしい。科学王国に寝返ったやつも大勢いる、霊長類最強様は意外と人望が薄いってこった」
「そういうのじゃないってば」
 わざとらしくおどける千空がおかしくて笑ってしまった。合理的な人間だから空気を読まない、配慮にも欠ける。そんな悪者を演じているのが場を明るくさせるためかはわからないが、千空が優しい人間であることは十分にわかっていた。
「千空の言葉にはね、説得力がありすぎるの。実際に蘇生できるのかもわからないのに、貴方ができるかもしれないと言えばできるような気がしてくる。方法がなくても方法を見つけるまで諦めないとわかっているから希望が持てる。だけど諦めないということは、解決するということじゃないでしょ。本当に千空が一生を捧げても司は生き返らないかもしれない。だったら今、その死を受け入れたほうがいいに決まってる。千空が諦めない限り、泣くことだって許されない」
「偏屈な女だな。泣けばいいじゃねえか、誰も責めねえよ。んで司が起きたときにまた泣きやがれ」
「む、無茶苦茶だなあ……」
 千空の物言いに苦い顔をしたが、当の本人は至極真面目な顔をしていた。現状では司が死んでいる事実に間違いはなく、その死を嘆き悲しむのは当然だ。蘇生できた日には感動で泣けばいい、そう言いたいのだろう。
「テメーはあの記者と同じだと思ってたんだがな」
「南さんと?」
「司に惚れてんだと」
「ああ、そういう……」
 明け透けな物言いにまた笑う。たしかに南さんは泣いていた。世界がこうなってしまう前から司のファンだったことは知っている。司に情報提供を求められて、喜んで東西南北を駆け回ったのも見ていた。だから南さんと同じく司を好いている私も泣くと思っていた、そう言いたいのだ。
 白状するか否か迷った。相手は千空だ、惚れた腫れたを一蹴する科学少年だ。さきほど死人を死人のままにしていたい建前を述べてしまったのだから、本音を言うのは抵抗がある。いや先ほどの話もあながち嘘ではないのだが、すべてではなかった。だけど迷うのが馬鹿馬鹿しくも思える。千空はきっと、私の思考の端程度はすでに悟っているのかもしれない。
「司の妹、目を覚ましたでしょ」
 千空の目がすっと細まる。
「欠けていたものが埋まったんだよ、司の」
「妹に嫉妬か?」
「さあね。そんな可愛いものだったらいいけど」
「あ"ー幼馴染だったなそういや」
 千空の問いに首を横に振る。感情がない交ぜになってあれほど漏れ出そうだったのに、不思議と今日一番に穏やかな顔を作ることが出来た気がした。
「幼馴染なんて大層なものじゃないよ、同じ病院で会っただけ。あの子は……未来は、私のことなんて知りもしない。未来が脳死になってからの6年、司を一番近くで見てきたのは私。だけど司が知らない未来の6年を一番近くで見てきたのも私だった」
「ククク、司に嫉妬してんだか未来に嫉妬してんだか」
「ほんとにね。だけどさ、こうなって初めて気づいたわけ、私が司と未来のことをどれだけ知っていたって二人にとって私は他人なんだ……って」
 千空は何も言わない。それが多少の慰めのようにも感じる。
 だれかの命を背負うのは生半可なことじゃない。司はずっと目覚めない妹の命を背負い続けた。私がその姿を尊敬していたのは間違いない。だけど、もしこれを恋と呼ぶのなら私達は互いのやわらかい部分を共有しすぎている。だからこそ、私は司の秘密が泡になってしまったことが耐えられずに、司ごと私の秘密を葬ろうとしているのかもしれない。
「それでどうかな? 司の命を諦めてくれたりは、」
「しねえ」
「ですよねえ……さすが千空大先生……」
 がっくりと肩を落とす。だけど断言されたことで私こそ諦めがついたのか幾分か胸が空いた。
「あーあ、こんな気持ちになるくらいなら石化したままの方が良かったかも」
「最終的には俺が復活液ぶっかけるって言ってんだろうが」
「ああそうだった、科学王国万歳」
 適当に迎合し、小さく万歳のポーズをしていると千空がようやく腰を上げる。
「それに、司がテメーを起こしたのにもちゃんと理由があんだろ」
 どういう意味か聞き返そうとしたが、まだまだ作業は残ってるから気が済んだならさっさと戻るぞと言って背中を思い切り叩かれた。千空の珍しい行動に目を瞠る。
 司が私を起こしたのは単に人となりがわかっていたからだ。若者だけの理想郷を作ろうとする司を私は否定しないし、私の能力も把握できている。司はあれでいて人見知りなきらいがあるのだ。石化のときは傍にいたし、場所もわかってただろう。ただ、それだけ。
 私を置いてさっさとみんなの所へ戻ってしまう千空にそれを伝えることはできなかった。去り際に千空が意味深に笑った光景が頭から離れない。私も立ち上がって彼を追いかける。司が生き返ってしまうのなら、それまでに秘密を共有できる人を探せばいい。そうやって気楽に生きることにした。

 その日、夜闇に浮かぶ月を見上げていると来訪があった。
「なまえさん今ええかなあ? ……千空さんにね、なまえさんが兄さんと仲良かったて聞いたんよ。私の見舞いにもよう来てくれてたんやろ? そんでな……もしなまえさんが構へんかったら、私が眠っとる間の兄さんの話を聞きたいなあって……あっ先に言おう思てたことがあるんやった! なまえさん、ずっと兄さんのことひとりぼっちにせんといてくれてありがとう」
 ずっと瞼を硬く閉じていた少女が目の前で笑っている。失ったと思いこんでいたものはここにあったのだなと、手のひらの中で輝くものを見て初めて理解した。

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -