アルデバランの別ち

 若者の定義がどんなものかを本当の意味で知る者はいなかった。二十代までは少なからず若者に分類されるだろう。だがこの国に子どもの姿はなく、多くは自らに割り当てられた役割をこなせる歳の人間が選ばれていた。国を一から作るのだ、人員が必然的に『より成熟した若者』に偏ってしまうのは仕方ない。
 だがいずれは子どもたちも蘇らせることになる。純然たる弱者を受け入れる環境が整って初めて国が完成すると言えた。そのときに子ども達をどう育めばいいのかは大きな課題だった。圧倒的なカリスマを持つ彼ならば道を示すことは容易だっただろう。だが彼自身は、自らを命を育む者だとは捉えていない。だからこそ考えたのだ、育む者が必要だと。
 考え抜いた結果、獅子王司は一人の石像を探し出し、順番を大幅に繰り上げて復活液をかけることにした。
 そうして目覚めたのが私だった。いずれ子ども達の教育者となってほしい、そう言われた私は自分が文明が途絶えた社会で最初の教育者に選ばれたことへの強い感動と責任感を覚えた。だがそう口にした本人は冷たく、どこかほの暗い感情を私へ向けていた。
 現代とはかけ離れた暮らしを送るなかで彼の掲げる理想を聞き、ようやく彼の憎むかのような視線の意味を悟る。私はとうに三十を超し、ストーンワールドでは最も老いた人間だった。幼い顔立ちのため指摘されたことはないが、この国にとっては異物な『大人』なのだと。
 彼は『大人』に対して強い忌避感を抱きながらも、いずれ若者が『大人』になることを理解していた。次代を育てる可能性は若者全員に与えられている。だが復活した若者の多くは、個体としては優れていたがそれでもまだまだ若かった。1足す1を教えるときに「目の前にあるリンゴを数えればいい」という方法を示すのは教育ではない。教育を受ける立場を脱しきれていない若者が十全な教育を次代に施せるとは言えなかった。
 これは何も計算や物書きだけの話に留まらない。他者から奪い、奪われない国の崇高さについて教育を施すことは彼にとって何よりも重要だ。ただ、彼の理想とは違う道を歩む若者が出ることはすでに蝙蝠が証明していた。だから次は間違えないようにした。
 新任教師では経験がなさすぎる。老いすぎず、まだかろうじてやわらかな思考に対応できそうでいて、革命を起こすことが不可能な、無害な教師……私が選ばれた理由はそんなところだろう。
 屈折している、率直にそう感じた。単に大人を排するだけでは根本的な解決には至らないとどこかでは理解しているのだ。それだけの賢さがありながら心は受け入れることができていない。傷を負うには繊細すぎて、傷を治すには聡すぎた。己の矛盾を憎むように、彼は私を憎んでいた。

 時が流れ、科学王国と司帝国が合流を果たしてすぐに本来の職務を得ることとなった。石神村の子ども達と、彼の妹である未来ちゃんの教育を任されたのだ。
 毎日のように生み出される科学、地図から学べる地形の見方、発見された動植物についての知識、未来の話。ときには大人も相手にし、羽京くんの助勢を得ながら教えていく。懐かしい感覚に浸る余裕はなく、私もまた教える以上に学ぶ日々だった。
 船が完成すれば、千空くんも間違いなく出航する。彼がいない間も私は彼らの知識を深めなければならない。その意識から、時間に余裕ができれば一回り以上若い彼に張り付いて学習した。大量のメモを見て「わざわざ出版経験のある学者をたたき起こさなくても本ができるのはおありがてえ。いつか使わせてもらうぜ、本がありゃ科学者を楽して増やせるからな」と笑われながら。
 季節が巡り村は発展を続けて、ペルセウスが帰港した。宝島で石化装置を手に入れたと言う。駆けて行く未来ちゃんの背中を見送るだけで私は持ち場を離れなかった。二つの国が正面衝突した際、彼は未来ちゃんの復活を取引にして停戦を約束したが、決して思想を変えたわけではないのだ。
 彼が息を吹き返せばしばらくは兄妹二人の時間が必要でもあった。私がその場にいれば水を差すことになるのは間違いないだろう。未来ちゃんとはしばらく顔を合わせられないか、と洞窟の方で沸き立つ声を聴きながら考えていた。
 日が落ちて辺りが薄暗くなる。人の文明が途絶えたのだから、ストーンワールドの夜は一歩先を見るのも困難なほどの暗闇に包まれた。だが今日はペルセウスの乗員を労うために外で宴会をしている人間がいて、千空くんが作った電気が煌々と宴会場を照らしていた。久しぶりの再開に積もる話もあることだろう。
 私は寝泊りしている家屋を出て宴会場から離れて行く。たまにこうして暗い景色の中を一人で散策すると落ち着くのだ。
 科学王国と合流してからは石神村にいる大人たちと顔を合わせた。大人として感じていた責任感は多少和らいだが、やはり旧世界を知る大人は私だけだ。その意識から神経質になっていないと言えば嘘になる。
 ただ大人になるとストレスの逃がし方も上手くなるもので、普段とはまったく逆の環境で過ごせばささくれ立った気が収まることをわかっていた。だからこうして、本当はすぐにでも眠りにつきたいところを、何も見えない場所で一人散歩していた。
 ざくざくと土の擦れる音が響く。行く宛てはないが考えなしに歩いているわけではなく、何かあればすぐ村に戻ることのできる辺りをふらふらと歩いた。半刻ほどで飽きもきて村へと戻る。橋の近くまで行くとだれかの影が見えた。
「司、くん?」
 シルエットで大方予想はできていたものの、信じられない思いが勝って怪訝な声を出してしまった。村を出たときはいなかったはずだ。私がここにいることにも驚いていない様子から、私を追いかけた上でここで待っていたのだろう。
 だがどうして、その疑念が消えない。彼は今まで私に干渉してきたことがない。憎しみを感じる視線以外では、一度も気にかけられたことなどなかった。
「……一言、謝罪をさせてほしい。大人だというだけで悪の枠組みに押し込めて、非難のすべてを背負わせてしまったことへの謝罪を」
 松明の炎に照らされた表情に曇りはなく、彼の瞳はひたすらに凪いでいた。思想を変えたわけではないけれど、私個人への認識は変えたらしい。気にしなくていいのよ。彼が謝罪の言葉を口にする前に告げる。納得がいかないのか食い下がる彼に村を指し示した。橋を渡る私の後を彼は黙ってついて来る。
 やって来たのは子どもたちの学び舎だった。未来ちゃんが座っている席を指さしながら授業中の意欲的な姿勢を話せばやさしい顔をする。こういう顔ができる人だったのだと自分自身にも語り聞かせながら話を戻した。
「私は、君の理想が間違っていたとは言わない」
 私の言葉に、彼はひどく驚いたような顔をしていた。
「事情があったことは少しだけ聞いてるの。……子どもはね、大人の鏡なのよ。純粋なものは自ら黒くは染まれない。既得権益を求めて争いが起こる、という見方は大人の私からしても否定できるものじゃなかった。それに……私の目から見ても君は善人だった。君の理想は大人が作ったものだと思っているから、私は君が間違っていたとは言わないよ」
「それでも俺は殺し続けていた。貴方は教師だ、うん、殺人は間違いだと説く立場じゃないのかい」
「それは少し誤解があるかな」
 暗闇の中でもはっきりとわかるほど、彼は戸惑いを隠せない表情を浮かべていた。それがまるで叱られた子どものようで苦笑いを零してしまった。幼い頃の傷は彼が自覚しているよりも深い。彼はずっと大人を枠組みに当てはめながら生きてきた。教師のことは、子どもに制限をかける仕事だという印象があるのだろう。
「そうね、じゃあ……生徒二人が言い争っていました。教師が見守っていると、片方の生徒が片方に手を上げました。叩かれた子は泣いています。教師は手を上げた子にどんな言葉をかけると思う?」
「……手を上げてはいけない、かな」
「どうして手を上げてしまったのか、よ」
 彼は目を瞬く。私の真意が分からずにいるようだったので言葉を続けた。
「子どもは自分の気持ちを的確に捉える方法も、それを的確に伝える手段も知らないの。だから言葉以外で訴えようとする。そういうときは、子ども達がどんなことを感じていて、本当はどうしたかったのか、どうして欲しかったのかを明らかにする手伝いをするのよ。そうすればその子はよほど理不尽な感情に振り回されない限り手を上げたりはしなくなる。言葉で伝える術を知ったから」
 もちろん学習させる役割も負っているが、教師の仕事の本質は、技能を学ばせることではなく学校という小さな社会を通して子ども達を人間的に成長させることにある。社会規範や善悪の定義は、正しい情操教育を施した後でなければ育まれないのだ。
 殺人は間違っている、と一方的に糾弾するのは簡単だ。だけど当人がそれを理解できなければ意味がない。大人を許せなくとも殺すという選択以外に道はあった、それを彼は千空くんたちとの戦いの中で学び、理解した。私への冷遇は、彼が命についての考えを改めたことで補って余りある。私はそれで十分だった。
 私が謝罪を不要だと言った理由や、彼の理想を否定しなかった理由、そして何より私が彼に何を求めているかを理解した彼は俯いて考えている。静寂の中、炎が木を燃やす音と、風が葉を揺らす音だけが響く。
「初めから、憎しみだけがあるわけじゃなかった。妹を助けてくれる人も、俺を助けてくれる人もいなかった……うん、俺は苦しかったんだ……」
 ずっと隠れていた本心に気づき、彼の顔がくしゃりと歪む。気づけてよかった、そう言って彼の小さな肩に触れた。彼の唇は感謝を形どっていた。

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