YU-GI-OH
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 あの海馬瀬人が何年ぶりかに私の前に現れたのは霧雨の日だった。

 私の家の前に止まっていた、車なんか興味ない私にも高級とわかる真っ黒い車の中に奴はいた。無視しようかとも思ったけれど、家の扉を遮る車体にどうしようもなく足を止めた私。外から覗けないようになっている黒い窓に少しだけ濡れた自分が写っていた。
「誰?」
 誰に聞くでもなく呟くと答えるみたいに後部座席の窓が動く。とりあえずそっちに寄ってみると傘を差していなかった私に、わざわざ窓を開け終えてから眉を顰める瀬人。高級車の内部、柔らかそうなシートに奴は尊大に足を組んで座っていた。育ちがいいんだろうなってくらいの印象しかなかった姿は随分と頭身…というか足が長くなって理想の体型の彫刻みたいになっていた。
「みょうじなまえ」
「はあ」
 昔の面影ある端整な顔に随分と変わった低めの声。雰囲気も変わったせいで見知らぬ他人と対峙している気分になる。
「乗れ」
「…私が?車に?」
 声による返答はなかったけれど視線が「お前馬鹿か」と言っていたので素直に従う。
濡れていてすいません。一応言った言葉が運転手さんの耳に届いたかはわからない。それでも当然ながら隣に座っていた瀬人にはしっかり届いたようで無駄に高そうな布を頭に投げられた。
「まさか雨の中、傘も差さずに歩いてるとはな」
 だって降るっていうほど雨なんて降ってないもの。霧雨は私にとって雨よりも霧よりだ。
「瀬人だったらこれくらいでも傘差すの?」
 素朴な疑問を投げかけると唇の端が吊り上げる。瀬人は笑い方も変わった。
「当然だろう」
「マメだね」
 捻りのない感想を述べると瀬人はふんと鼻で応えた。何気なく私とは反対の方に足を組んでるジェントルさにちょっぴり感嘆しながら高級感のあるふわふわのタオルで頭を拭く。震動を感じない車内から流れて行く景色を眺める。まだ霧雨は止みそうにない。
「ねぇ瀬人、どこ行くの?」
「着けばわかる」
 それはそうだけど。久しぶりすぎて交わしたくなるような話題も思い浮かばない瀬人といる車内は沈黙をめいっぱい詰めたものになっている。昔の瀬人にはまだもう少し社交性があった気もする。でもべつに私は沈黙は嫌いじゃない。会話したそうには見えない瀬人よりも過ぎて行く街並みを見るのを楽しんでいれば高いビル街で車は静かに止まる。
おや、と隣を見れば瀬人が車から降りる。それに続けば高層ビルの中でも一際大きな白い建物が眼前に聳え立っている。私だって流石にこの建物くらいは知っている。
「海馬コーポレーション」
「知っているのか」
「当然。社長が瀬人なんだもの」
 海馬コーポレーションなんてテレビでもよく名前を聞く有名中の有名会社だし、そうじゃないとしても知り合いが社長じゃ嫌でも興味だって湧く。
街中でUMAでも見かけたような顔をした瀬人は腕組みをしてしばらく無言になった。切れ長の瞳をゆっくり閉じて、それからフフンと笑う。
「まあいくら何でも海馬コーポレーション程の企業は知っているということか」
 この人、私をどれだけ社会情勢から置き去りにされている人間だと思っているんだろう。
不快というより不可解な気持ちで随分と高い位置にある顔をまじまじ眺める。それをどういう意図だと思ったのか、瀬人はさっさと腕組みを解いて歩き出した。
「行くぞ」
 黒スーツの人にそれとなく促されて私もはためく白いコートに続いた。

 そして、私はその日から家に帰る事もなく一週間を二回くらい繰り返した。今や事実上私の部屋みたいになっているシンプルな部屋に、今は遊びに来てくれたモクバと二人きり。元々部屋に備わっていたクッションを抱えて首を傾げる。
「で、なんで私ここにいるんだろう」
「兄サマはなまえに会いたかったんだぜ」
 モクバはそう言うけれど、初めに会った日から瀬人とはまともに顔さえ合わせていない。社長の瀬人は忙しいんだろうし言いたい文句も特にないけど「会いたかったんだ」なんて言われても全くピンと来ない。
「それにしても今その疑問って遅すぎないか?」
「うん、私もそう思う」
「変わんないなぁ、なまえは」
 呆れ半分面白半分といった笑い顔のモクバは私の記憶よりも少し、男の子らしい頼りがいを身につけていた。


 * * *


 一週間を二回と、それから夜を五回越えた。今日は麗らかな休日。流石に海馬コーポレーションも会社なので人の気配は普段よりずっと希薄だ。
瀬人の趣味なのか白を基調とする高貴な雰囲気漂う社内を珍しく私は一人で歩く。普段一人で歩くことがないっていうのは大体モクバかイソノさん達がいる時しか私は部屋から出ないからだ。平日はそもそもほとんど学校だし一般市民で学生な私は海馬コーポレーション内部には基本何の用もない。
 それでも今日社内を歩いているのは私がモクバを探しているから。
昨日「特にすることないぜ」って言っていたからたぶん建物内のどこかで遊んでいるじゃないかと思う。あんまり慣れてない広い広いこの建物の中一人きりなのは少し不安を感じるけれど、折角の休日なのにモクバに会えないのは楽しくない。
 建物の上層まで登って、いかにもお偉い様がいるような雰囲気を漂わせる分厚そうな美しい木の扉をノックして開く。まだ小学生とはいえ副社長のモクバなのだからどこか偉そうな部屋にいるんじゃないかと思ったから。しかしながらそこにいたのは黒髪の副社長じゃなくて茶髪の社長様だった。
「…ここ、モクバいない?」
 瀬人と話題に出来る事が思いつかなくて、とりあえず素直に抱えていた質問を口にする。瀬人は突然現れた私に驚いた顔は見せなかった。冷静すぎる声が応える。
「ここは俺の部屋だ」
 なるほど、だからいないと。
素っ気ない口調から次に続ける会話は思い浮かばない。かと言って「あ、そう。じゃあさよなら」なんていうのは人としてどうかと思う。
手持ち無沙汰になんとなく机まで近付いて、大きなデスクで軽やかなタイピングの音を響かせている瀬人を見下ろす。瀬人のつむじを見下ろしたのはこれが人生で二回目かもしれない。滅多矢鱈に背高くなったな。
する事もなくしばらくそのまま眺めていたけれど、ふと机の上にある不思議な物に気付く。パソコンのすぐ側にあるケーキ。瀬人がケーキを食べるタイプなのかどうかは別としてそれ自体は別に珍しくともなんともない。問題はケーキに乗ったシュガークラフト、マジパンだ。細長…いや太長めの棒にシルクハットみたいなものが乗っているシンプルな飾り。なんか見たことあると記憶を探って、チェスのなんとかの駒だということをふと思い出す。
それにしても珍しいマジパンだな。見るとでもなく見ていると、綺麗な男性の指がそれを摘まむ。
「チェスを知っているか」
「うん、瀬人とモクバがよくしてた」
 ふぅん、と相槌なのか鼻で笑っているのかよくわからない瀬人。といってもそれ以外の知識はないので話題をふられても困るし「ルールとかは全然知らないけど」と一応付け足す。
「駒の価値は常にその情勢によって変化していく。ただ一人の意思だけで動くわけではない世界ではその時その時で存在価値が違ってくる。しかしそこに意味を持たず存在するだけという観点においては大した駒でもないというのにただ取られてはならないというだけでその無限の価値は成り立っている」
 瀬人が言っているのがチェスの話なのかはたまた全く別の話なのか見当は付かないけど尋ねてもどうせ意味がないので、とりあえず一区切り付くまで沈黙を守ることにする。
「こちらが一つ動かすだけで道が開けることも閉じることもある。一つの手の間に二つ三つの駒が動くこともあるか。…高みから動きと機会を見下ろすだけでは出す手は遅れる」
 持ったままのマジパンをチラリと見て瀬人はパソコンを睨んだ。
「ふん…、自らが動かさなければ得る利もないということか…」
「…瀬人の言ってることはよくわかんない」
「それでいい」
 瀬人が何やら自分で納得したようなところで一応会話みたいに呟く。何!?貴様!口を挟んだかと思えば!馬鹿めが!くらいは言われるかもしれないと思ったけど瀬人の声の響きは想像よりもずっと昔の瀬人らしかった。
「…お前はそれでいい」
 そうなの?と開きかけた口に瀬人はやたら細長い手の先のやたら細長い指で摘まんでいたマジパンを突っ込んでくる。なんなんだ一体。
対応に困ってマジパンを咥えたまま突っ立っていると瀬人はフォークでケーキを一口大に切る。…え、この状況でケーキだけ食べるの?特別に作らせたっぽいのに瀬人はマジパン嫌いなんだろうか。チェス好きとしてただの飾りとして置いてただけなのか。とりあえずお食事するなら退出したほうがいいのかな、と考えたけれど瀬人はケーキを刺すと口を開けずにフォークの先をこっちに向ける。
 …まさか。
「食え」
 態度がどこまでも堂々としてるぶん、瀬人が今やっている動作とはとてもちぐはぐだ。
「どうした、甘い物は嫌いではないだろう」
「………」
 もちろん嫌いじゃない、いや好きだけれどそれ以前に言いたいことがいろいろある。
でもそれにはまず口の砂糖菓子をどうにかするしかない。思い切って最後まで口の中に押し込んでみると、砂糖で出来た駒は案外脆く舌の上で簡単に折れて砕けた。



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