YU-GI-OH
恋はまるでフリーフォール

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 そいつがこの学校にいることを初めて意識したのは新学期、席替えの時だった。
「あ、隣は海馬くん?よろしく」
 凡人がこの俺にわざわざ声をかけて来たことに少しだけ引っかかりはあったが、見た目にも目立つところはなくそれ以外の印象はなかった。特にそいつに返答した覚えもない。凡人などいちいち記憶する理由もないからだ。どのような凡人が学校において隣の席に存在しようが俺にはなんの関係もない。

 だがしかし、実際にはそいつは凡人ではなく変人としかいいようがなかった。
 一応学生としての体を成すため始業式のある初日には出たものの、俺は凡人共のように暇ではない。当然二日目には出席することはなかった。それはむしろいつも通り、特に思うべきこともない。そんな俺の元に平生と違うものが届いたのは夕刻。モクバが不思議そうな顔をして俺の元へとあるプリントを運んで来た。変人曰く、
「海馬くんのプリント。休みだったから」
 俺が高校に足を運ばないから、プリントを?俺の知る凡人がする行動ではないそれの意味はわからない。媚びているのか、恩でも売りたいとでも言うのか。机の端に追いやった、含む意味のわからない紙切れは日を追うごとに嵩を増す。週末にはモクバが含み笑いをしながら丁寧に揃える程だった。

 連日連日わざわざ海馬コーポレーションまで足を運んで何の助けにもならない紙屑を置いて帰って行く凡人…いや、あれは変人だ。あの変人はなんなのか。あの変人は本当に前からこの校舎に存在していたのか。あれなら凡人の中にいればさぞ目立つだろうが。
しかし、どうやらモクバの話を聞くに変人は遊戯たちとつるんでいるようだ。あんな変人が果たして前から遊戯の周りにいただろうか。記憶にない。

「なまえ?なまえがどうしたよ?あいつがどんなヤツかって?あー、ありきたりっつうか…よくも悪くも普通だよな」
 変人の事を言わせると城之内は悩みながら妙なことを言う。あれが、普通の人間だと?…フン、まあいい。凡骨の目などにはそもそも期待もしていない。
遊戯ならば凡骨とは違うだろう。当然異なった見解を視線で促すが、遊戯さえも「なまえ?え?うん、なまえは普通の子で…とてもいい子だと思うけど」と何故か驚いた顔をする。驚いたのは俺の方だ。あいつのどこが平凡でありきたりなのか。凡骨どころか遊戯の目まで節穴にでもなったか。
わざわざ足を運んでやったというのに何の収穫もないというのか。不可解さに言葉を失い、踵を返すと遊戯が「海馬くん」などと声を上げる。
「なんだ、他に何かあるのか」
「ううん、あの…もしかしてなまえが何か海馬くんに悪い事しちゃった?そうだったら、ごめんね」
 何故遊戯があんな変人の保護者か何かのように俺に謝罪するのか。不愉快だ。


 次の週も、その次の週も変人は雛に餌でも運ぶ母鳥のように只管プリントを持ってやって来た。変人が自ら望んで何をしようが俺には関係ない。だが、それを貸しだとでも思われていたら不都合だ。仕方なく三週目の初日に俺は変人を上げるように命じた。
「ええと、海馬くん久しぶり。元気そうだね」
 変人はやはりどこからどう見ても凡人だった。記憶に引っかかるような部分のない、ただの一学生。
「あ、ねぇそういえば海馬くん遊戯に何か言ったの?どうせなまえのことだから悪気はなかったんだろうけど、悪いことしたなら一応謝った方がいいよって」
 聞いてもいないというのに変人はべらべらと無駄口を叩き続ける。
「いちいち俺の所へ来るな」
「え?」
 きっぱりと言葉を遮ってやると表れるのは間の抜けた表情。鈍感な脳味噌に苛立つ。
「わからないのか、いちいちくだらん所用でここへ来るなと言ったんだ」
 流石にはっきり告げてやると変人は理解したらしい。半開きの口のまま、手の内にある演習6と書かれたプリントと俺を見比べた。
「…うん、わかった」
 頑なに毎日通っていたわりに引き下がるのは早い。拍子抜けのような気持ちでそいつが手渡してきた紙束をそれまで積んでいた山の上に重ねて磯野に下まで送らせた。
 さて、これで変人が俺の周囲をうろつくこともなくなったろう。…と思ったが、そいつは次から週に一回プリントをまとめて持って来るようになった。普通は来るのを止めるだろう。どうかしている。
 変人は土曜日の午後、いかにも学校帰りという体で海馬コーポレーションを訪ねるようになった。一度俺の元へ訪ねて来たせいか、ここまで来るのに躊躇いもほとんどない。間抜けな顔をして馬鹿馬鹿しい話を重ねていくのがあいつの習慣に加わったようだった。こちらの反応など気にせず遊戯がどうした、凡骨がどうだったなどと一人で愉快そうに笑うのを時々見に来たモクバが言葉を挟む。そして、空が赤味を帯びる前に当然のように「またね」と残し帰っていく。それがいつの間にか週に一度、当たり前に見かける光景となっていた。


「兄様、今週はなまえ来ないのか?」
 ふと部屋の扉を開けたモクバがそんなことを言い出したのは日が落ちるのが顕著に早くなった日だった。
なまえ、変人の名だったか。何時の間にあの変人はモクバに名前までを教えていたというのか。
「来たという報告は聞いていない」
「来ないって、言われた?」
「来もしない人間が何を言うというんだ」
「え、兄さま連絡先とか知らないの?」
 目を見張ったモクバの語尾が高い。…何故そこまで驚く。
「なぜ俺がいちいちあの変人の行動を把握しなければならない」
「ううん…。なまえ、どうしたんだろう。兄さまが待っているっていうのに」
 …俺が変人を待つ?思わず視線を向けるがモクバは天井のライトを目でなぞっている。なんだ、あの変人はモクバに奇怪な言葉を話す催眠でも仕掛けでもしたのか。自然と舌打ちが漏れる。

 変人はその日現れることはなかった。

 二週間嵩を増すことがなかった一角の山が何に触れたか小さな音を立てる。「今日はなまえ来るの?」と首を傾げたモクバは俺の返答に一つ小さな吐息を零して部屋を去って行った。知らん、何故俺が変人の動向など気にかけなければならないのだ。
 短針が昼を過ぎる。段取りを間違えたか、キーボードを滑る指が多少鈍ってきた。一度指を休めようと立ち上がり、部屋の戸を開け放つ。
「わっ」
 高く上擦った女の声が廊下に響く。不意を突かれて動きを止めると、扉から早足で二歩ほど引いた変人は見開いた目のまま俺を見上げる。
隣の席だというのにまともに目を見交わしたのが初めてだという事実に何故か動揺した。
「あぁ、びっくりしたぁ…。海馬くん、扉はもう少しゆっくり開けようよ。…あ、もしかして出かけるところだった?」
「そういう貴様こそ先週はどこぞへ出かけたようだな」
 鼻で笑うと口元に手を当てた変人は数拍置いてから頷いた。
「あぁ…うん、そうそう。先週は特にプリントなかったからここに来ることも無かったし」
「何? 紙切れがないだと?」
 毎週毎週、資源の保護やらには興味はなくともさすがに無意味だと思うまでの紙束を運んでくるというのに。自然と寄った眉に変人は目を丸くして手をパチリと合わせる。
「あれ、もしかして忘れてたの? シルバーウィークだよ海馬くん! お仕事しすぎだよ!」
 シルバーウィーク。何処ぞで聞いたような響きではあったが、俺は暇ではない。長期休みに現を抜かすような真似はしようがなかった。だが、変人はそうではなかったらしい。
「なるほど、海馬くんは忙しかったんだね」とゆっくり首を動かした変人は得心顔から一転、笑みを浮かべた。
「ね、海馬くんもしかして気にしてた?」
「誰が変人を!」
 おちょくるような声音で変人は俺の顔を下から覗き込む。奥底から笑っている瞳がライトを映して幾度か煌めいた。カッと上ってくるものがあって声を張ったが、変人は変人らしくそれにすくみ上がることはなかった。
「海馬くん怒った!」
 変人って、ねぇそれ、私のあだ名?肩を震わすそいつの唇からこぼれるのはモクバより遥かに子供っぽい笑い声。舌打ちを二度繰り返しても、否定の言葉が喉に上がらないのが腹立たしい。コツコツとデスクを叩くと笑い声を収めた変人がポケットから小さなペンと紙を取り出した。
「ね、今度から何かあったらここに電話かけてきていいよ」
 庇護者にでも語りかける声で勝手に紙屑へ連ねられて行く11桁を見下ろすと、言うべき全ての言葉が一つの吐息となって空間へと拡散されて消えた。
みょうじ、なまえ。初めて見る、凡人の文字は何故だかひどく読みやすいようだった。


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