YU-GI-OH
夕立

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 Wは苛立っていた。しかしながら、特別に何かWにとって腹立たしい出来事があったわけではない。ただ、本当に些細な苛立ちが塵のように積って一つの砂山を形作っているようなものだった。
ファンたちに見せた外面にはそれを滲ませることもなかったはずだ。それはWの得意なことだったから。また、実際に周囲が一瞬でも不可思議な空気を醸すことがなかったことからも推察できる。

 ただ、帰ってしまえばそれは抑え切ることは出来なかった。むしろ、押し縮められたゴム鞠が弾むように反動は割り増しに返ってきた。途中ですれ違ったVは控えめに怪訝そうな顔をするだけで済んだが、Xやトロンではそうもいくまい。どこかで苛立ちを治める必要があるとは思ったが、そう簡単に治まるものならばとうに治まっている。といって、今から「ファンサービス」などをする気にはならなれなかった。そっと歩みを遅めながら考えたWは一度足を止めてから明確な意志をもって、早足にすすむ。頭に浮かぶ行き先はただ一つだった。

 蹴破る勢いでその扉を開ける。素早く視線を走らせると、普段こちらを見返すどこかぼんやりとした瞳は見つからない。一瞬「逃げ出した」のかと湧き上がりかけた激情は、ベッドの影にひっそりと見えた細い手で消えた。少し立ち位置を変えれば細い体がベッドの上に脱力して転がっているのがWの目にも映った。
一度、まるで誰かに見せ付けるように眉間に皺を寄せてからそれに近付く。どれほど近付いてもそれは起き上がることはなかった。
「おい」
 些細な苛立ち混じりに、乱暴に肩を押すと体が動いたことで相対的に動いた頭がWの方へ向いた。
「なまえ」
 投げつけるようにその名を呼ぶと、閉じた瞼に生え揃った睫毛が微動する。そのまま開くかと思った瞳は動かず、その下の唇がそっと開いた。
「洗濯物のにおいがする」
 寝言なのかそうでないのかも判別出来ない言葉。いや、どちらにせよ今、なまえの心はひどく穏やかでWの帰還など意識の端にも上っていないのだ。
抑えきれない感情が急激にWの脳を揺さぶった。視界がチカチカと白味を帯びる。


 ふと気付けば部屋は泥棒に荒らされたような、と形容する有様だった。足元にあった皺の付いた紙を丸めて屑篭へ放り込み、周囲を見回す。いつのまにか、なまえは起き上がってベッドへ腰掛けていた。いや、あれだけ目の前で喧騒を起こされてはおちおち寝てもいられないだろうが。微かに残った苛立ちと羞恥にWは顰め面を作った。
それに反応することなく、どこぞのクッションなどから散ったであろう、悲しいほど小さな羽根をくるりと回しながらぼんやり眺めていたなまえはふいに口を開く。
「W、かわいそう」
「あ?」
 Wの短い声を聞こえなかったための催促ととったのか、ふぅと吹いて羽を飛ばしたなまえは、今度はしっかりとWの瞳を見つめて同じ言葉を繰り返した。
この惨状の発端は誰のせいだと言うんだ。W自身さえも怒るかと思った言葉は、なぜか彼の神経を逆撫ですることはなかった。その言葉自体が持つ意味のような哀れみが、その声音に一切篭っていなかったせいだろうか。
むしろWの胸に宿った感情は柔弱でなまえを偲ぶようなそれだった。
「かわいそう?…本気でそう思うんなら慰めてくれよ」
 床に膝を付き、段ボールへ入れられた猫のような目付きで柔らかい太腿へ手を乗せる。「なぁ?」と催促すればなまえはゆっくりと一つ瞬いてから頭を撫ぜ、輪郭を辿ってから喉の辺りを擽った。喉仏を圧迫さえしない手付きに身を乗り出せば、指は逃げるように頬まで上る。薄っすら瞼を持ち上げて見た顔で揺れた静かな困惑にWはもう一度しっかりと目を閉じた。


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