a king of bird
・怪我してます
・ネガティブヤンデレ風味ジャック
「ガラスで切ったの」
普段は真白い裸足が赤く濡れているのを見た時の俺の気持ちなどわかるはずもない。
逸る気持ちを抑え、意図していつもよりもゆっくり扉を開ける。
「あ、おかえり」
なまえが入ってきた俺へと顔を向けると現実味のあまりない白い薄いワンピースが微かに揺れる。器用に包帯を巻かれた足を組み直してなまえは左手にあったカードをカウンターに置く。
「怪我は?」
「別に、大したことないって。ねえジャック、落とし穴いらない?」
「いらん」
「まあ奈落の方がいいもんね」
右手に持っていた方のデッキを眺めて呟く。シティに来た頃はあまり知らなかったDMのルール、カードの効果も今ではすっかり覚えているらしい。いつもデッキを使って遊んでいるせいだろう。
サテライトでの習慣のせいかなまえはテレビも見ない、本も読まない。一人で外に出かけることも…いや、それは俺が禁じている。
空虚なソファへ座ればなまえの白い足が視界によく入る。まともに靴さえ履いていればここまでの傷を負うことはなかったのだろう。
なまえは俺が着の身着のままでシティまで連れて来た。その時履いていたスリッパのように無防備で薄っぺらな靴(と呼べるのかもわからない)は決してなまえの足を守れる物ではなかったのだ。
「…靴を買いに行くか」
「んー?」
デッキにしか目が行っていないなまえに俺の声は届いていない。いや、もし届いたとしてももう俺と二人で出掛けるつもりはないかもしれない。
―「ねえ、ジャック。私お出かけしたい」
物欲など疾うに忘れたようななまえの願いに驚いたのはシティの生活にも随分慣れた頃だった。
「欲しいものがあるのか」
「別にそうじゃないけど。出かけたいの」
「なら俺も行こう」
「嫌だよ、一人がいいの。ジャックと外行ったら目立つもの」
本気なのか冗談なのか判別の付かないなまえの声音はいつもと変わらないものだったが、その内容は俺にとって冗談に出来るものではなかった。
「お前が一人で出歩くのは俺が許さん」
間髪入れず答えると「どうして」となまえの目が丸くなった。
「私、子どもじゃない。どうして駄目なの」
「お前が迷ったら探すのにも苦労するからだ」
俺の意図はさておき、それは確かに事実だった。俺同様サテライト出身のなまえにはまともな身分証明がない。
納得したらしく頷くなまえの「あっそう」と、意図された冷たい声よりも遥かに冷えた無関心が俺に応えた。
「じゃあどっかに名前でも書いとく?私そういうの気にしないから」
「そうではない!」
咄嗟に荒げてしまった声になまえの音のない驚きを感じた。ハッとしたが出た声は二度と戻らない。何かフォローすべきかとも思ったが、気ままな野の小鳥のようななまえを自分の元へ留める術も、己の気持ちを伝える方法も思い付かなかった俺はその時もう一度首を振って同じ事だけを言った。
「…そういうことじゃない」
伺うように俺を一通り見眺めたなまえは一つ頷いただけでそれ以上は何も言わなかった。それからなまえは外へ出ることを強請らなくなった。
ふと気付けば紙を繰る音が止んでいる。
見渡せば自由奔放ななまえは、熱心に組んでいたデッキも置いて床に座り込んでじっと窓から外を眺めている。
傷付き、血に濡れていた足を覆い隠した布も今は身に纏う服に隠されて見えなくなっている。
あの日から一度も表に出す事もなく燻った想い。もし、俺がその傷付いた足を見た時に覚えた感情を伝えればお前は全てを悟るだろうか。
「馬鹿馬鹿しい」
「何が?」
珍しくこちらの声を聞いていたらしい後ろ姿が振り返る。本当にこいつは意味のない言葉ほど耳敏い。答える気もなく目を閉じる。もう一度聞くほどの興味は持ち合わせていないなまえは窓に向き直ったようだ。
透明なガラスの向こう、海を超えたその先になまえが見ようとしている物があるのだろう。想っているそれが土地なのか人間なのか俺には知る由も無い。
足を保護するための靴など最初からどうでも良かったのだ。
お前の足が傷ついた様を見た時に胸の痛みと共に過った幸福感なぞ理解されなくてもいい。それはあまりにも馬鹿馬鹿しい。
どんなに人が望もうが鳥というのは足が無くても飛んで行くものだ。