YU-GI-OH
一握りの砂

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 季節外れっていうか、季節の変わり目あたりにひく風邪っていうのはとても根強い。喉の違和感と一緒に吐き出された咳に、なぜか啄木の短歌集を読んでいた眼鏡のかわいい少年…つまりはドルべさんが顔を上げた。
テレビもない静かな空間の咳っていうのはとても響く。読書の邪魔をしちゃったんだろう。ごめんなさい、とノートを掴んでいた手を小さく動かすとドルべさんは何か、口を小さく動かしてから声を発した。
「きみは、きみは死ぬのか」
 いきなり何の話だろう。
少しだけ言葉に迷ったけれど、読んでいるのが啄木だからなんかそんな気持ちになったのかもしれない。読書好きっていうのは読んだ本に気持ちが影響されることは多々ある。私にも覚えがある。
「え…まあ、そりゃいつかは死にますよ」
「どうしてだ」
「えっ?」
「どうして死ぬんだ」
「…え、そりゃあ…その、人間だから?」
「人間だから死ぬのか?」
「いやぁ…まあ、そりゃあ人間は死にますから」
 想像以上に食い付かれてちょっとだけ困惑する。なにがそんなにドルべさんの心を掴んだんだ。
シャーペンを回す私の指当たりをじっと見据えていたドルべさんは、先生が何でも答えを知ってると思い込んでる賢い生徒の顔で私を見た。
「なぜ人間は死ぬんだ」
「えっ」
 そんな急に人間の永遠の命題みたいな話されても…。
なんかのトンチかと思ってドルべさんを見返すけれど真剣な顔に疑惑の視線が弾かれる。これは本気の質問だ。

 このドルべさんって人はとても賢いのに、全然物を知らないから私はいつも戸惑ってしまう。もしかしてドルべさんって宇宙人なんですか、と冗談半分で尋ねた時にスピードを緩めるスキー板みたいになった眉毛が記憶に新しい。
「なまえ」
 焦れて解答を求めるドルべさんの物静かな声が私の名前を形作る。…と、言われても私にも「なぜ人間が死ぬのか」なんてものの答えは知らない。…というかそれに明確な答えを出せる人間っているんだろうか。
「あの、お花って綺麗ですよね?」
「ああ」
「お花って枯れますよね?」
「ああ」
「美しいものは枯れるんですよ」
「…人間は美しいのか?」
 それを言うか。
「いやいやいやいや…。えと、…ほら、お花って枯れるからみんな美しいって思うんですよ!ほら、枯れる前にいっぱい見ておきたい、とか…!」
「美しいまま枯れなければいいだろう」
「そ……いや、そう…そういう…」
 嫌味でも挙げ足取りでもない真っ直ぐな目に言葉が喉に詰まって行く。
なんだろう…儚いものが美しい、みたいな観念って日本だけなんだっけ?もともと正解らしい正解がわからないだけに、何をドルべさんに言っていいのかがさっぱりわからない。
「美しいものとか栄えたものは必ずかれて…だから、その…それを侘しいと思うのも人間的に美しくて…」
「侘しい?」
「はい、だから…ああでも枯れる必要…ああもう!」
 考えすぎてなんだか頭がオーバーヒートしそうだ。ドルべさんとのお話は下手すると勉強より頭を使う。
「…というかなんで人間が死ぬ理由の話になるんですか、ドルべさんは哲学者かなんかなんですか」
 いわゆるじと目でドルべさんを睨むけれど、ドルべさんは涼しい顔を崩さない。
「哲学者?何のことだ。きみが人間は死ぬと言うからだろう」
「だから、なんで私が人間が死ぬって言ったら人間が死ぬ理由を知りたくなるんですか」
「なまえが人間だから死ぬというからだ」
「…んん?」
 ややこしい、と一瞬思ったけれどなんて事はない。ちょっと前の会話のことだ。ひっそり納得した私を余所にドルべさんは続けた。
「私はなまえに死んでほしくない」
 真摯な言葉に呼吸が止まりかけた。
咳一つも出ない私をしげしげと眺めたドルべさんはふと何かを思い付いた顔で本を閉じた。
「ああ、そうか。なまえは美しいから死んでしまうのか」
「な」
「そうだな、きみは花のようにうつくしいから。だが、やはり死んでしまわなければいいのに」
 穏やかすぎる声が突っ伏している私の耳を擽る。
「ずっとこうしてうつくしいきみのそばにいられたら」
「もうやめてください」
「どうした」
「しんでしまいます」
 ひゅっ、と息を飲んだドルべさんがなぜか威勢良く立ち上がる音を聴覚の片隅で捉えながら、私は必死に溶けてしまいそうなほど熱い頬を冷たいノートに押し付けていた。


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