YU-GI-OH
嘘つき遁走曲

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 いつもにこにこと明るいというわけではないなまえが、それでも珍しく萎れた様子で現れて、ルチアーノは少しの驚きと動揺を胸に肘を付いてそれを見上げた。
「聞きました」
 第一声はなまえにしては珍しく挨拶を伴わなかった。
「もう、ルチアーノさまの補佐なんていらないってききました」
 一瞬なまえの言葉にルチアーノ自身も驚いたが、そういえばつい昨日遊びの延長で言ったことだと思い出す。頑なにルチアーノの顔よりも拳一つ分下の辺りから視線を外さないなまえは掠れかけた声で聞いた。
「本当ですか」
「あぁ、そういやそんなの言ったね」
 それは嘘ではない。ただ、それ以上の意味もないけれど。
どういう紆余曲折があってなまえまで届いたのかは知らないが、ルチアーノはなまえを困惑させるのが好きだ。こうなる予定はなかったけれど、結果的に自分の望むような状態に落ちたことにルチアーノは楽しさを胸に抑え込みながらなまえの顔を見遣った。
「そんな」
 呟いたなまえの顔はいつも好き勝手を言って困らせる時よりずっと青くなっていた。多少不可解ではあったが、面白くもある。ルチアーノは頬杖を付いてなまえの挙動を伺った。
「もう、私はルチアーノさまのおそばにいられないと…」
 微風にさえ掻き消されそうな頼りない声がなまえから漏れる。瞬きが早くなってじわじわと目が赤みを帯びてくる。
 なんだ、泣くのか。ルチアーノは少々驚いた。悲しそうな顔も寂しそうな顔も少し怒りを帯びた顔も見るが、本当に今にも泣き出しそうな表情は初めてだった。興味深くルチアーノはなまえの瞳を見上げる。
「そんな…ルチアーノ様…」
 言葉を紡いでいるのか、震えているのかも判別しにくい唇は不明瞭に同じような言葉を幾度か繰り返した。どこか弱々しい言葉への面白さは、三度同様の台詞を繰り返された時点であっという間にルチアーノの中から消え去った。
「ルチアーノさま…」
 ルチアーノにとって、いつもならば愉快でたまらないなまえの泣きそうな声もこぼれ出しそうな雫も、何故だか今は蹴っ飛ばしてやりたいくらい「ムカつく」ものでしかなかった。
「長官、ルチアーノ様…」
 めそめそとした小さな声。ほんっとムカつく。なんだよこいつ。ルチアーノは苛立ちに任せて掌で机を叩いた。
「うるっさいな!」
 幼さの残る鋭い声になまえが潤んだ瞳を大きく見開く。
「お前、さっきから何なんだ!何が言いたいんだよ、ボクの事呼ぶだけかよ!」
 丸くなった濡れた目も、薄っすら開いたまま凍り付いた唇さえもがルチアーノの怒りを増幅させる。
「ボクと居たいって早く言え!お前の口は飾りかよ!」
 いつものどこか飄々とした雰囲気をかなぐり捨ててルチアーノはなまえに向かって怒鳴る。
「言えないならお前なんてさっさとどっか行け!」
「いたいです!」
 弾かれたようになまえは叫んだ。
「私はルチアーノ様と一緒がいいです!ルチアーノ様のお役になんて立ってませんがそれでも私、ルチアーノ様のお側にいたいです!ルチアーノ様の近くがいいんです!ずっと!ずっとずっと…」
 興奮した声音が急に勢いを失っていく。噛み付く勢いだった自分自身を恥じらうように、なまえは握り締めていた拳の力を緩めて胸の前へ置いた。
「その…、ルチアーノ様が私を嫌がられるまで…」
 さっきまでの勢いはどこへやら、弱気に呟くなまえを見るとルチアーノは普段の調子に戻って腕を組む。
「ふーん」
 脱力しているような半目がなまえの顔を覗いた。
「じゃ、お前ボクが嫌だって言えばさっさとどっか行くわけ?もういいやって?」
「い、やです…」
 声自体の弱々しさは消えないが、語尾から微風に浚われて行きそうな声ではなかった。
「嫌がられても一緒にいたいです…」
「だったらもう自分でボクについて来いよ、それくらいは流石に出来るだろ。ホントなまえって年上のくせに鬱陶しいくらい手がかかるよね」
「が、がんばります」
「期待はしないから精々頑張れば?」
 フフン、と小馬鹿にする嗤いを浮かべながらルチアーノは不思議となまえに優しいことをしてやりたくなった。
「なまえ」
「はい、何ですかルチアーノさま」
「あのさ」
「はい」
「…お前、勝手にどっか行くなよ」
 羽虫でも払うように僅かに差し出された小さな手のひらに、なまえは笑みを浮かべて手を伸ばした。
「はい、もちろんです」


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