YU-GI-OH
Ratoncito Pérez

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 おでん片手に俯いたまま動かないなまえの、丸々とした頬のしたで何かが動いている。
「…お前、飴舐めてんのか?」
 ぱちんと瞼を一回合わせたなまえは何故か一旦首を傾げてから大きく横に振った。頬の下を動いていた何かも消える。
「は、ぬけそうなの」
「…は?」
「は」
 いー!と唇を横に広げる。ああ、それか。歯な、歯。人間の口に付いてる白い硬いやつ。
「お前の歯、抜けるのか?」
「私、まだにゅうしだもん。今ぐらぐらしてて、ちょっと痛いの。だからご飯食べにくくて…」
「へー」
 へえ、飯食うために付いてる口だってのに、そこに付いてるもんのせいで飯食いにくいって人間って不便な生き物だな。
「早く抜けないかなぁ」
 なまえは空いてる片手で頬を押さえて、ため息を一つ。
…あぁ、じゃあさっきのは舌か。なんとなく俺が納得しているとなまえがたった今この瞬間までしょげていたのを忘れたような明るい声をあげる。
「ねぇ、アリトちゃんは投げる派?枕の下派?」
「ちゃんって言うなよ。なんだそれ」
「知らない?」
「知らねぇ」
 何を投げて何が枕の下なんだ。なまえは時々いろんなものを省略しすぎて、何を言いたいのかさっぱりわからない。まあ、俺が「人間」の文化っての知らねえせいかもしれないけど。
「投げるっていうのは日本的な感じでね、屋根の上に抜けた歯を投げるの」
「ふーん」
 さっきまで口の中にあった歯を投げる人間の図を想像して微妙な気分になる。
「で、枕の下っていうのは抜けた歯を枕の下に入れて寝るんだよ」
「んなことしてどうすんだよ」
「欧米かな?…の伝説でね、抜けた歯を枕の下に入れて寝ると妖精さんが金貨に変えてくれるっていうの」
「ゲッ…気持ち悪ィ」
 歯を枕の下に入れるっていうのもなんだか気持ち悪いが、それを金に変える妖精ってのも気持ち悪ィ。理解出来なくて頭を振る俺とは逆になまえは「そうかなー夢があると思うなー」なんてぼけぼけしてる。どんな夢だよ。
「アリトちゃんはもうみんな生え変わった?」
「ちゃんっていうな。俺の歯は…あー…抜けねぇよ」
「えー、いいな!みんなエイキュウシかあ…!私まだちょっと残ってる…」
 少しだけ口を尖らせるなまえ。ころころ顔の変わるやつだ。すぐにまた笑顔に変わってなまえは今度は口を開いた。
「ねぇ、歯見せてよ!」
「はぁ!?」
「だめ?」
「駄目…ってことはねーけど」
「じゃあみーせーて」
 何がしたいのかさっぱりわからねえが、仕方なく軽く口を開けてやる。しばらく目をかっ開いて俺の口を眺めたなまえは頷いた。
「ほんとだ、大きくていいな。ほら、私は奥の方まだ小さいの」
 口を開けて、おでんを持っていない方の手で自分の口の端をなまえが引っ張る。なんとなく釣られて覗き込む。薄暗い赤の中で白い歯がぽつぽつ浮かんでる。
こうしてきちんと見たことはなかったが、口っていうのは不思議なもんだ。たった飯食うためぐらいで、なんで人間はこんな複雑な穴を作ったんだ。抜けそうな歯っていうのも歯の大きさの違いも俺にはさっぱりわかんねぇ。
「い、ひゃい」
 か細い声が聞こえてハッとした。そんなに興味津々なつもりはなかったが、俺の手は自然となまえの口をこじ開ける体制になっていた。
「うわっ、わりぃ!」
 自分の手でも見やすいように少しだけ口を引っ張っていたなまえだが、流石に俺に口を開かされるとそれなりに痛かったらしい。いつもだいたい機嫌がいい目が辛そうに細まっていた。

 今度は意識的になまえの口から手を引き抜く。小さい口内で硬くてツルツルとした濡れている歯を指が自然になぞる。縮こまった舌が控えめに指に触る。背筋にぞわっとした何かが走った。俺の全く知らない感覚だった。
「わー…もうちょっと優しくしてようアリトちゃん」
 なまえの困ったような声。それでも俺は声そのものよりもなまえの唇、そしてその奥の方が気になってしょうがなかった。
濡れた歯、柔らかい舌。指なんてもう引き抜いたのに、背中を走った衝動が消えない。
「あ、私ゴミ捨てあるんだった…!アリトちゃん食べて」
「…は。お、俺かよ」
「うん、アリトちゃんしかいないじゃない」
 余韻から抜けられない俺をよそになまえはケロっとした顔でいつも通りの用事を思い出して、全く食べなかったおでんを俺に押し付ける。
 「アリトちゃん、またね!」と手を振るなまえを見送ってからそっと自分の歯を舌でなぞってみたけれど、ただ物足りなさが残っただけで、俺はヤケみたいな気持ちでおでんをかじった。


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