YU-GI-OH
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 ぶっかけられた。
…というと、なんだか少しえっちいことを想像しちゃうかもしれないけれど、実際はそんなんじゃない。私はぶっかけられた。廊下で。バケツの水を。ただ床掃除してただけなのに。
漫画みたいにざばあって音を立てながら頭のてっぺんから私の体を伝って床に曖昧な図形を描いた水がじわじわ広がってミザエルさんの靴を避けるように伸びていく。
なんだろう、これ。お仕置き?
「えと…なにか…ご機嫌を損ねてしまったでしょうか?」
 機嫌の悪いミザエルさんっていうのは見ていてとっても怖い。たぶん彼が美人さんだからだ。
恐る恐る下手に出ながら見上げると、ミザエルさんは別に不機嫌な様子はなくて…いや、それどころか怒ってるというより声を発した私に驚いた顔をしていた。
「違う」
「は、はぁ」
 …じゃあ手でも滑ったんだろうか。
私はミザエルさんに文句言えるような立場ではないから、何にせよ私に怒ってらっしゃるわけじゃないならもうなんでもいいんだけど。というかそもそもなんでミザエルさんバケツ持ってたんだろう。
羨ましいくらい細い足越しにそっと廊下の向こうを覗くと、ミザエルさんが持っているのはやっぱりどうやら私が使っていたバケツみたいだ。よくわからないけど、水溜りの色からして元々は親切心で水でも変えて来てくださったんだろうか。
「頭を…冷やしたかった」
「…ええと、私の?」
 尋ねると「いや。何故だ?」と否定と一緒に聞き返される。や、なぜって…。今の状況だとそうとしか思えないのだけれど。
冷たくなってきた腕に手のひらの体温を分けながら「なんでもないです」と首を振る。何はともあれ、おこられているわけじゃないならまず私はこの水たまりを何とかすべきだろう。
「バケツ返していただけますか?」
「…ああ」
 差し出された取っ手のところに手を伸ばすと、いきなりバケツが重力に従って落ちて行く。私が取っ手を掴む前にミザエルさんが離されたんだ。嫌に派手な音がするかと思ったけれど、水溜りが多少の騒音は吸収してくれたらしい。その代わり水滴が飛び散った。
…さっきからなんだろう。ミザエルさんいじめっ子気分なんだろうか。
ほとんど全身濡れきっている私はいまさら気にはしないしもう怒る気もしないけれど、今のはミザエルさんの白い服に水が跳ねたんじゃないだろうかと他人事ながら少し心配になる。
「あの、大丈夫ですか?」
 一応確かめようかと辛うじてほとんど濡れていなかった左手を伸ばすと一歩後退りされる。…なんだ、私が何をしたっていうんだろう。ここまでされる理由も避けられる理由もわからなくて綺麗なお顔を見上げると、そのお顔もちょうど私と似たような感情を浮かべている。
「何故だ」
 いやいやそれはこっちの台詞ですよミザエルさん。
言えやしないことを心中で呟きながら、無礼にならないように彼を見上げながら手探りでバケツを水たまりから遠ざけて立てる。本格的に寒くなってきたし、さっさとここに流れた水を処理したい。どうやら何か考えてる様子のミザエルさんなので私はもう用済みだろう。
眼前の人から意識を床に戻して、持ち上げるだけで水が溢れる布を絞ってから床の水をそれで吸い取る。
乾拭きもした方がいいかな、それよりまず私自身も体を拭いたほうがいいだろうな。あ、ちょっとくしゃみ出そう。
出そうで出ないというあのとっても嫌な感じに少しだけ手を遅めながら、のろのろミザエルさんの足元に手を伸ばす。と、髪を鷲掴まれて上に引っ張られる。びっくりしてくしゃみが少しだけ引っ込んだ。
「へ、ミザエルさん?」
「貴様、名は?」
「え、みょうじです」
「短いな」
「長く言えばみょうじなまえです」
「ではなまえ」
 あ、本当に名前の方を聞きたかったんだ、と感心すると同時にまたじわじわくしゃみがやってくる。なんだか風邪引いちゃいそうだ。
くしゃみと水面下の攻防を繰り広げる私を前にミザエルさんはなぜだか満足そうに不遜な笑みを浮かべている。
「わかったぞ、貴様には私への心配りが足りないのだ。だから貴様が目に付いたのだろう」
「そ、そおれすか」
 水を頭から被されても文句一つ言わないので十分じゃないのかとも思うけれど、ミザエルさんちょっと私、今はそれどころじゃないんです。
降りてきた妙に深刻な整った顔から顔を背けようにも、引っ張られた髪が邪魔をする。かといってミザエルさんに向かってくしゃみはしたくない。だ、だめだこのままじゃ…。
「さあ誓えなまえ、私に心からの忠誠を…」
「あ、…あ、ちょっと待ってくださ…。は、はなして…」
「何?貴様私に忠誠が誓えないと言うのか…!」
「いえ、はなし…くしゃみが…」
「くしゃみ…だと…?そいつは貴様のなんだというのだ!」
「ち、ちが…」
 血相を変えて両肩をつかんで来たミザエルさんに、ようやく両手で顔を抑えながらそっぽを向こうとすると「私を見ろ!」と顔を挟まれた。


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