弾丸
灰かぶり猫

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「ひゃっ」
 上へと向かう階段を上っていた苗木はその声に顔を上げる。転がり落ちて来た上履きは先の踊り場の壁にぶつかって動きを止めた。首を傾げつつ踊り場まで行き、見覚えのあるそれを拾った苗木は斜め上に目を向けた。


 上履きを見た時点でここにいるのが私だと勘付いただろう苗木は驚いた顔一つ見せずに階段を上ってくる。
「ましろさん、シンデレラは靴を転がしたんじゃなくて置き去りにしたんだよ」
「……苗木って時々天然なのか意地悪なのかわからないよね」
「え?」
 不思議そうな瞬きを繰り返した苗木に何でもないと首を降って、私は苗木に向かって手を伸ばす。
「拾ってくれてありがとう」
「どうしたの?こんなところに座って」
 上階と踊り場の間、段差に足を崩して座り込んでいる私に苗木は不思議そうな声を出した。
 確かにこんな階段を上るくらいで疲れるわけもないし、流石に綺麗とは言い難い場所にぺったり座るのは私だって好きじゃない。疑問にだって思うはずだ。私だって別に好き好んでこんなことをしているわけでもない。とはいえ素直に事情を話すには私の羞恥心がやや邪魔をする。
「うん、まあ…ちょっと」
「ふうん」
 事情説明でも言い訳でもない私の答えに疑問を含んだ声を上げる苗木は私の三つ下の段差の辺りでしゃがむ。そして私の落とした上履きを…
「待って」
 上履きを受け取るために差し出している手を完全にスルーして、右手で私の上履き、左手で靴下だけの私の左足を軽く持ち上げた苗木を慌てて制止する。キョトンとした丸い目が私を見上げた。
「え?何?」
「いやそれ、自分で履くから」
「あ、…そっか」
 私のアピールに苗木がどこかハッとしたような顔をする。どうやら当然のように履かせるつもりがあったらしい。どういう教育をされているだろう。不思議に思いつつ、手渡された上履きを受け取って片足に突っかける。踵まで押し込むのを躊躇い、私は少し下から見上げてくる苗木を見返した。
「苗木、今時間ある?」
「うん。大丈夫だよ」
「じゃあ少し手を貸してもらえる?」
「手を?」
「うん」
 階段に手を突いて右足を突っ張ってなんとか立ち上がった私は、私に合わせてタイミングよく立ち上がった苗木にもう一度手を伸ばした。
「まあ、手っていうか肩なんだけど」
「…もしかしてましろさん足挫いたの?」
 さっきよりも大きく目を開く苗木の反応に恥ずかしくなる。こんな何もない普通の階段でうっかり一段踏み外して足を痛めるなんてなかなかない経験だ。とはいっても助けのあてもなく痛みが落ち着くまで一人でこんなところに座り続けるのは普通に嫌だ。苗木が去った後に座り込んでいる私を鼻で笑いそうな人が来る可能性だってあるわけだし。
「うん、…いや、ちょっとこう足首捩じっちゃったっていうか、ちょっとだけ痛いだけなんだけど」
「そっか」
 煮え切らない私の言い訳に苗木が顎に手をやって視線を落とす。いつもの何か考えている時のスタイル。お人好しな苗木だからここで見捨てられることはないと思うけれど、何を考えられているのかわからないのでなんとなく落ち着かない。手摺りを握る手に自然と力が入る。
「おんぶしようか?」
「へ」
 数秒の沈黙の後、出てきた思いがけない言葉に一文字だけ声が漏れた。
「ほら、ここからだと保健室も近くないし、その感じだと階段降りるのも大変そうだし」
「でも私なんか背負ったら苗木なんて潰れちゃうよ」
 苗木の提案への驚きをそのままに返せば、真面目な顔をしていた苗木もひどく驚いたようだった。目がパチクリと瞬き、声のトーンが少し高くなる。
「潰れ…、ましろさんは僕のことなんだと思ってるの」
「…細っこい子?」
「ましろさんって時々ひどいこと言うよね」
 困り顔になった苗木は軽々と二つ段差を上ると、私の両腕を掴んで背を向ける。
「わっ」
 止める暇もなかった。『よいしょ』なんて小さな声の後に足が浮く。後ろに落ちてしまいそうで反射的に前のめりになると、苗木のパーカーが首元に当たってくすぐったい。
「え、えぇ?うそ、な、苗木大丈夫?」
「うん、大丈夫」
 思ったよりしっかりした声が近くから聞こえて思わず首をすくめる。…そっか、今苗木の背中にいるんだ。

 苗木と私の体格差程度なら何秒か背負っているだけですぐに疲れてしまうだろうと思ったけれど、私を背負う苗木は案外しっかりとした足取りで階段を降りて行く。
「苗木、本当に大丈夫なの?」
「うん」
「いつでも降ろしていいからね?というか、私ちゃんと歩けはするからね?」
「平気だよ」
 体育会系でも鍛えているわけでもない苗木に肉体労働をさせているのはなんだか申し訳ない。けれど、短い言葉でなんでもなさげに断言されてしまうと食い下がりにくい。左足で頼りなく揺れる上履きが気になるけれど、苗木の体の前に回した手をそっと組み直す。
 一つ目の降りる階段が終わって、苗木は廊下をゆっくりと歩いていく。女の子を合わせた中でも背が小さな方に入る苗木におんぶされているというのはなんとなく複雑で変な気分で、それでもなぜか不思議としっくりくるような気もした。
 まだもう少し、保健室には着きそうにない。歩くたびに揺れる苗木の柔らかそうな髪を眺めながら私は呟いた。
「あのさ、考え直したよ」
「何を?」
「苗木のこと」
 こちらを振り向こうともしない苗木は四秒くらい黙り込んで、声だけで聞いてくる。
「それで?」
「苗木って細くて頼りなく見えるけど、いちおうちゃんと男の子だったんだね」
 顔を前に出して、内緒話みたいに耳の近くで言えば苗木はちょっぴり首を傾げた。
「…僕も考えていたんだけど、ましろさんって柔らかいよね」
 きもち素っ気ない声音に、あれっ?と思いながら言われたことを頭の中で反芻する。
 …柔らかい?一応女性の部類に入る私に苗木はそれを言ってしまうのか。
 妙な沈黙の中、それでも何を言い返せばいいのかがさっぱりわからなくて、私は前に回したままの手で少しだけ苗木に爪を立てた。


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