弾丸
二十二分の一

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※修学旅行関係ない
※狛枝が相当やばい人
※やや痛々しいです


 その足音がした時、私はいつも俯く。ロシアンルーレットを待つ囚人のような気持ちでゆったりと動くその上履きを見ていると、非常に非情なことにそれは私の揃えた足の先で止まった。
「ましろさんが21g欲しいな」
 呼吸さえも止めて地蔵みたいに止まっていればうっかり通り過ぎたりしてくれないかと思ったけれど、現実っていうのは苦い。
「………」
「………」
「…どちらのましろでしょうか」
「やだな、ボクが今話しかけているましろさんだよ。それとももしかしてボクのようなささやかな生物の姿はましろさんには見えないのかな?残念だよ。それじゃあ矮小な存在なりにこっそりいただいていくね」
 シャキンと頭上で金属的な嫌な音がして、私は思いっきり身を引いて顔を跳ね上げる。
「やめてください!死んでしまいます!」
「あれ、ましろさんボクの存在に気付いていたの?あはは、やだな、気付かないふりだなんてましろさんも人が悪いよ」
「そ、そういうの白々しいって言うんですよ…!?」
 やたら爽やかな彼の笑い声に思わず震えが走る。たぶんこの人本気で持っていくつもりだった。冗談じゃない。
「ところでその、左手に所持されているハサミは何でしょう」
「あぁ、これはねましろさんに触れる物だから新品を消毒してから持ってきたんだよ」
「清々しいくらいに凶器ですね、近付かないでください」
 水色の持ち手が可愛らしいその鋏は、禍々しいというよりも艶やかな光沢の刃が今の私からすればあまりにも恐ろしい。本人曰く新品らしいのにあまりにも色んな意味で所持者に似過ぎている。
 全身全霊を込めて彼(の鋏)を拒絶すると、狛枝さんは困った顔で腕を組む。
「ましろさんは何がそんなに嫌なのかな?そんなに嫌ならボクはましろさんには直に触らないようにもするよ?」
「それはわりとどうでもいいです、というかそれ以前の問題です」
 それ以前?なんて可愛らしい仕草で首を傾ける狛枝さんにいろいろな意味を込めて首を全力で左右に振った。
「痛いのは本当にごめんです」
 強めに…半ば睨み上げるように見上げても、鋏を片手に持ったままの狛枝さんはまた朗らかに笑うだけ。
「安心して、痛くしないよ。ホラ、いざとなったら爪とか髪の先だけでも良いんだからさ」
「男の言う『痛くしない』と『先だけで良い』は絶対に信じちゃ駄目だと向かいのお姉様が言ってました」
「うん、そうだね。それは賢明な助言だ」
「その反応はナチュラルな嘘ばらしってことでいいんでしょうか」
 爽やかそうな笑顔を崩さないままくるりと鋏を回す手から目が離せない。刃先がこちらを向いた瞬間に飛んできそうであまりにも恐ろしい。
 何気なく私の逃げ道側に立っている彼の手元を、身を固めながら見ていると声は頭上から振って来る。
「ねぇ、大丈夫だよ。たった21gじゃないか」
「それ約1/22ポンドですよね、やめてくださいしんでしまいます」
「うん、ボクの場合は血も含めてで良いからさ!」
「本気で!?シェークスピアもびっくりですよ!」
「それに21gくらいじゃそうそう死なないよ」
「生物学上問題なくても私の繊細な心臓が鼓動を止めてしまいます」
「それは困ったね」
 重ねに重ねた必死の拒絶にようやく狛枝さんは眉を顰める。本当に困った表情と声で言われて私も本気で困った。この人は常識をうっかりそこら辺の地下鉄に置き忘れてきてしまったんだろうか。何にせよこのままだと本気で21g毟って行かれそうで怖い。しかも市販の鋏で。麻酔なんかもなく。
「まだこんなところでそんな簡単にましろさんに死なれたら困ってしまうよ」
「冗談ですよね?さすがに冗談ですよね。黒いっていうか暗くて笑えない冗談は本当にやめてください」
 閉じた刃先を頬に当ててどこか色っぽく溜息を吐く狛枝さんに懇願する。狛枝さんと会話しているうちに一人二人と消えていった無情なクラスメイトは何時の間にか教室に一人もいなくなっている。
「冗談なわけないじゃないか!ボクはね、ましろさんの事が大好きなんだよ。もしましろさんに21g貰う過程で死なれてしまったらボクは本当に悲しいよ…」
「なんとなく文字通りの意味よりも、もっと恐ろしいニュアンスが含まれていたような気がしたんですけれど。とりあえず狛枝さんの気持ちが一旦落ち着いたのならハサミは置いていただけないでしょうか」
 狛枝さんを刺激しないように、彼の反応を伺いながら恐る恐る机の上を指差すと少し考えるように鋏を眺めてから狛枝さんは笑顔に戻った。思わず身構えたけれど、彼は存外素直に鋏を閉じて私の机の上に置く。とりあえず机の中にでもしまってしまおうと身を乗り出した私に、鋏を置いたその手がそのまま動く。
「え?」
 呟いたかそうでないかのところで案外大きな手にぎゅっと首を握られてひゅっと息が止まる。うそ、うそうそ、やだ!苦しいくるしい。死んじゃう!
 色々と信じられないまま、容赦なんて忘れて爪を立てて引っ掻いても狛枝さんはどうしようもなく優しげな笑顔。死んじゃう。空気が足りなくて本格的に目の前がチカチカしてくる。開いた口からは何も出ないのに目からは涙が出てくる。

 死ん じゃ

 一瞬意識が飛ぶと同時に体が崩れ落ちて、訳もわからないままとにかく呼吸する。普段何とも思っていないものほど失くした時に愛しいって本当だ。呼吸大好き。無いと死んじゃう。
 状況も忘れてとにかく気の済むまで目一杯空気を取り込んで、ようやくそれまで気付かなかった二本の足が目に入る。死を身近に感じた体と思考にうまく力が入らない。それが誰で、たった今何をした人なのか知っているはずの私は呆然と、何も考えたくないままゆっくりとそこから体を辿って、そしてその顔を見る。
「ましろさん、大好きだよ」
 びっくりするほど無邪気な笑顔のその手が伸びてきて、私は思う。

 たぶん私が死ぬ時はこの人の傍なんだろうな、なんて。


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