弾丸
かせる

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・二章の狛枝
・なんとなく変態チック



 薄い瞼で閉じていた目を狛枝が開く。決して眠かったわけでも寝ていたわけでもないが、希望の残光すらないここでは目を開けているだけの価値も必要性もないと判断していた。ただそれだけだ。
そんな狛枝が瞼を持ち上げたのはそれだけの価値が自分の元へ近付いてくる気配を感じたからだった。地面と並行に低い視界が開けると、想像していた通り女物の靴がのんびりしたリズムで近づいて来る。狛枝が視界を持ち上げると、一瞬だけ視界がスカートよりも内側を掠めてから立ち尽くした少女の顔を移した。
「やあ、ましろさん。ボクなんかの顔を見に来てくれたの?」
「ううん、別に狛枝くんの顔好きじゃないしわざわざ見に来たりしないよ」
「ハハッ、そうだよね…ボクの顔にそんな価値ないよね…。それならどうして」
 あまりにも愛想も素っ気もない冷然とした言葉に自らを嘲った狛枝は、ましろの用事を聞きかけて悟る。狛枝は比較的敏く、頭の回転の早い人間であったが、そういう問題でなくましろの手にあるものは一つの用途しか見出せないものだった。
ましろは歯ブラシを振ってコップを持ち直した。
「それ…」
「狛枝くん、歯磨いてないでしょ。可哀想だなぁって」
「ボク、まともにご飯も食べさせてもらってないよ」
「へー、そう。私、ご飯食べてなくても歯は磨きたいタイプなの」
 想定していたものとはどこかズレた返答に狛枝は肩を揺らして笑う。
「ましろさんはとても親切なひとだね」
「ふーん?それ、八方美人って意味?」
「まさか」
 軽口を叩きながらも狛枝の台詞を大して耳に入れていないましろは木の板に座り込んで狛枝の頭を持ち上げた。躊躇いなく置かれた頭の後ろに女性的な太腿が触れる。コメントはせず、一度目を閉じるような速度で瞬きをした狛枝の頭上でましろは歯ブラシを濡らしている。
「口開けてよ」
 ぶれない瞳が狛枝を見下ろす。従順な子供のように狛枝が唇を開くと無愛想な歯ブラシが口腔に侵入してきた。細い樹脂の毛が狛枝の歯を擽る。どこか冷たいとさえ感じる表情や瞳の色と違い、ましろがそれを操る手つきは優しいものだった。
意味もなく見つめることを躊躇していた目線を真っ直ぐに持ち上げると、ましろは唇を薄く開いたまま真摯に狛枝の歯を磨いている。恋人同士であったとしても見つめないアングルの少女に狛枝は目を細めた。どうやら狛枝の口内にしか意識がないらしく、狛枝の表情の動きにましろの反応はなかった。

 一頻りブラシで狛枝のエナメル質を擦ったましろは、歯ブラシを引き抜いてから狛枝をゆっくりと引き起こした。
「ほら、口漱いで」
 先ほどの声よりも随分と優しく耳馴染んだのは、狛枝とましろ、どちらの気持ちの変化だろうか。素直に口を漱いだ狛枝は唇で笑みを形作った。
「ましろさんは、きっといいお母さんになるね」
 甘やかささえ感じられる声音にましろは首を傾げてから、少しだけ照れた様子で口の端を持ち上げた。
「ふふ、そう?それは嬉しい」
 初めてみたはにかむ姿にはどこか母性的なものを感じる。背筋を這い上がる言い知れぬ感情に、狛枝はうっとりと溜息を吐いた。
「あぁ…ボクがお母さんにしてあげたいなあ」
「狛枝が?」
 一度目を丸くしたましろはすぐに噴き出した。「なに、それ。どういう意味?」ケラケラと笑うましろの頭に浮かぶビジョンは、果たして狛枝の思うそれと同じだろうか。狛枝はましろの侵入を許した唇をゆっくり嬲る。
「狛枝、お母さんが恋しくなったの?」
 いいや、違う。あぁ、しかしそれでこそ希望。ボクのような凡人には考えの及ばぬうつくしさ。
 そうかもしれないね、と囁きながら疼く体を動かそうとした狛枝は、生まれて初めて自分を縛る枷というものに感謝した。


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