弾丸
靴を履かない魚

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 まさに常夏、といった風情の波が痛いくらいに眩しい陽光を乗せて揺れる。無駄にリゾートのような広さを持つ砂浜。この殺伐とした"修学旅行"にそぐわない解放感はなんだか存在がちぐはぐで、ここにいると奇妙な気分になる。
 もしかしたら誰かいるかと思って来たけどやっぱり誰もいないか。
 人の姿が見えない砂浜に背を向けようとした時、ふと視界の端に映ったものに気が付く。波打ち際に揃えられた一組の靴。靴下を突っ込まれたそれはポイ捨てが許されず、ゴミ一つない白い砂浜で妙に浮いた存在感を放っている。
 きちんと並べられた靴の持ち主はすぐにわかった。逆井だ。けれどその逆井自身はその周囲にいない。それらしい荷物もないし、まさかこんな開放的な空間で水着に着替えたわけでもないとは思う。
 いや、逆井なら制服だろうが海に突っ込んでいてもおかしくはないが、海の中にはそれらしい姿…というかそもそも砂浜には人影がない。もう一度周囲を見回して確認するが、やはり誰もいない。
 そういえば逆井は海やら騒ぎやらに突っ込んで行くのは好きだけれど、実際に海やプールで泳ごうとしている姿は見たことがない。もしかして…。
 靴だけが残った砂浜、誰も見えない海。不信感がじりじりと募って、頭の中にひどく嫌な想像が浮ぶ。不安混じりの声が自然と俺の口を突いた。
「…逆井?」
「ハーイ!」
 普段は聞こえない方向から聞こえて来た声に俺はすぐに顔を上げた。
「…お前」
「ヤッホー日向ちゃん!」
 挨拶の声に続いてヤシの葉の隙間から足、そしてスカートが見えて逆井が勢いよく落ちてくる。その勢いに乗って大きく揺れたスカートから慌てて目を逸らす。
「こんなとこで何やってたの?」
「いやそれはこっちの台詞だろ」
「私は日焼けしてた!」
 呆れる俺の言葉に逆井はなぜか満足そうに腕を組んで返してくる。けど、その葉の陰の中じゃ実際には何も焼けないと思う。
「んでんで?日向ちゃんの方は何してたの?宝探し?」
「こんなところに宝なんてないだろ…、ただの暇つぶしだよ」
「へぇ、じゃ泳ぎに来たんだ?よっしゃ!競争しよっか!」
 気合い満々にぐっと腕捲りのフリをして白い拳を握る逆井に思わず呆気に取られる。競争?海で、と言えば。
「え?逆井泳げるのか?」
「ううん、泳げない」
 案の定、平然とした顔で断言する逆井。もしかして泳ぐんじゃなくて走るつもりだったのかと聞けば「日向ちゃんがいて、あとなんかこう、競争的な勢いがあれば出来ると思った」なんて信じられないことを言う。場合によっては冗談じゃすまなくなるぞ。まあ逆井らしいと言えば逆井らしいけど。
「それにしても日向ちゃんよく私が泳げないってわかったね、エスパーなの?サトリなの?ハッ、もしかして私がサトラレなの?!」
「いや、そういうの好きそうなわりになんだかんだで逆井が泳ごうとしているのは見たことないからな」
 さっき考えたことをそのまま伝えれば、ハァと逆井は声と溜息の間の音を出した。
「…日向ちゃんって人のことよく見てんのね」
「いや、べつにそうでも」
 ない、と続けかけて言葉を止める。いや、確かに人をそんなに観察しているつもりはないし実際にそんなことはないと思う。けれど
「ん?ない?」
「………」
 それじゃあまるで俺は逆井のことが…
「あは、それじゃ日向ちゃんどれだけ私のこと好きなの」
 逆井の明るい笑い声に耳まで一気に熱くなる。
「ち、違うってそんなんじゃ…!」
 早口で否定する俺に耳を貸さないまま逆井は裸足で海に走っていく。
「ばっ…!お前泳げないんだろ!」
「泳がないもーん!」
 ぴょんと飛び跳ねて海に膝まで入った逆井は「ぬるい!きもちい!」と一人で騒ぐ。な、何なんだあいつは…。ここで逆井を置き去りにしていくわけにも、逆井を追って海に浸かる気にもなれなくて思わず砂浜で立ち尽くす。
「ワタシモ!…私も!」
 すでに濡れきった袖を雑に捲りながら逆井はまた大声を上げた。
「私も、日向ちゃんのことだぁい好きだぜー!」
 全身が海に浸かったように濡れきった逆井は周りをちっとも気にしないで水飛沫をあげながら手を振る。
「……はぁ?!」
「日向ちゃん大好きー!」
 メガホンのように口元に両手を当てて言うだけ言うと、呆然としている俺を忘れたように逆井は海を蹴って遊び始めた。
 …なんだそれ。どういう意味だよそれ。それにお前そんなに濡れて着替えあるのかよ。濡れたままで帰るのか。
 思うことはいろいろあったけれど、楽しそうにはしゃぐ自由すぎる逆井の笑顔になんだか何を思うのも馬鹿らしくなってくる。どうせ時間は余っているんだ。何もしない日があってもいいだろう。
 はあと大きく息を吐き出して、砂浜に座って海を眺める。真っ青な波間で遊ぶ逆井の足がひどく白くて目につく。なぜだかわからないけど、逆井なんてべつに好きってわけじゃないけれど。なんだかその波に濡れた足にはキスがしたいような気がした。


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