メイン
花を摘む

main >> other


「ねぇ色男、恋人いるの?」
 気だるい空気の漂うベッドルームで、女は乱れた髪を掻き上げる。感情の色の浮かばない瞳はそれをじっと見ていた。
「いない」
「あら、そう…ふうん。良い男なのに」
 寝るのは一回だけ。約束通りにそれ以上がないというアピールなのか、横たわった自分の足元でベッドに腰を下ろしたままの男を女は流し目で見つめた。綺麗な顔立ちの男、引き締まった体をして、無駄なことはなにも言わない男。欠点など見当たらないその姿に女は小さく唸った。
「なんかねぇ、色男は本当にいい男だし、技術も問題ないし、なんかもうすごかったんだけどぉ、うーん、なんていうか」
首を左右に振りながらとりとめもない評価を始める女をイルミは思うこともなくただ見ていた。「契約」の時間まではあと一分と少し。
「あー、そう、そうよ、なんていうか全然満たされなかったわ。もうお腹いっぱいって感じなのに全く幸せを感じられないのよ」
「ふーん」
 女が感じられなかった幸せ以上にイルミは行為に何も感じていなかった。頭の中の時計が残りの秒数を刻み始める。死へのカウントダウンがスタートしたことなど露ほども知らず、女はコロリと転がってニンマリ笑った。
「ねぇ、色男。好きな人いる?」


「っていうことがあったんだけど、どう思う?」
「エッ」
 ポカンとしたままその話を聞いていたなまえは突然振られた話題に軽く飛び跳ね、手に持っていた花を一輪落とした。音とも言えないような微かな音が耳に届く。
「ど、どう…どう思う、って…え?わ、私の意見を聞いてるの?」
動揺して周りに視線を向けるなまえに人形のような顔が傾いた。
「他に誰かいる?」
「いない、けど…」
 けど、その話に私のなんの意見を求めているの。なまえは口内にまで飛び出していた疑問をなんとか飲み込んでソロソロと落とした花を拾った。イルミは動かない。
 イルミが目前に現れるまで、今日はなまえにとって別になんということもない日だった。うららかな春の日差しが気持ちよく、やるべき仕事もないプライベートな一日。やりたいこともしなくちゃいけないこともないなまえは、まだまだ小さいというのに頑張り屋さんなかわいい末っ子を楽しませてあげようと庭(森だけれど)を駆け回って小さな花束を作っている最中だった。決してそういう性的な話題が出る時間帯でもないし、私的な話をする私室でもない。こんなことを誰かに聞かれたらどうするんだろう、となまえは少し思った。が、唐突に早歩きで登場し、なまえに感情の揺らぎ一つない声で淡々と告げてきた話なあたり、イルミとしては特別人に聞かせるべきではない話という判断には及ばない程度のことなのかもしれない。
 しかしイルミにとってそうだとしても、なまえからすればこんなところで聴きたい話ではなかった。ここからなにをどうすればいいのか、話をうまく整理できずにごちゃつく頭をフル回転させながらなまえは拾った花を整えた。
「えーと、その相手っていうのは…ターゲット?」
「うん、そのあとすぐに殺した。結構深い恨みは買ってたけど、念もないようなただの女だったね」
「そ、そう…」
 なまえはチラとイルミを伺った。ここから動く様子がない。きっとなまえに聞いたことの答えを待っているのだろう。けれど、どのような返事を期待されているのかがなまえには全くわからない。けれど、聞き返したらきっと頬を千切られる。なまえはイルミの顔を必死に伺った。が、もともとなにを考えているのかわからない顔がいつもにも増して何も考えていないように見える。わけのわからない現状に、ここしばらく引き締まっていたなまえの涙腺は緩みそうになった。
 あまりに的外れな答えに頬を抓られることを覚悟しながら、仕方なくなまえはなにも捻ることのない言葉を紡ぐことにした。
「…じゃあ、今の話を聞いてすごく素直に思ったことを言うんだけど」
「うん」
「これ、イルミが聞きたいことなのかはほんとにわからない…んだけど、今の話で私が思ったのは正直言って…」
 聞く姿勢の相手からほんの少し視線をズラし、なまえはさりげない仕草で左頬を手で覆った。
「…イルミって女の人、抱けるんだね」
「そこ?」
「え、だって…痛ッ!」
 体の向きで遠ざけた右頬ではなく、わざとこっそり隠した方の頬を抓られてなまえは悲鳴をあげる。イルミからすればなまえの抵抗など赤ん坊の寝返りのようなものだ。ギュッと赤くなるまで頬を捻ったイルミは微かに眉を寄せて小さく震えるなまえを見下ろした。
「なまえ、オレが暗殺一家ゾルディックの人間だって忘れたわけ?依頼を遂行するために感情なんて必要ない。渡される金額の分だけ仕事をするっていうだけ」
「そ、そっかあ」
「で、それだけ?」
「エッ…」
 じわじわ滲む涙目でそっと頬を摩るなまえの顔を再度無感情になったイルミの顔が覗く。まだ何かを求めているのかとなまえは素早く瞬いた。次の話題…。
「あっ、ええと、その…イルミは仕事として、その…そういうことをしたの?」
「セックスのこと?そうだけど」
「セッ!……そう」
 なまえはもう一度頬を撫でて俯く。
事態についていけず、いまいち話を飲み込めていなかったけれど、よく考えてみたらつまりイルミは女の人とそういうことをしていて、それを平然とした顔で私に言えるってことなんだ。特別なことってわけじゃないような、そんな顔で。
 ようやくイルミの話を飲み込んだなまえは眉間に小さく皺を寄せた。
「うーん」
 それはなんだか、すこし楽しくない。小首を傾げたなまえを真似るようにイルミも首を傾ける。
「仕事じゃなかったら何?嫌?」
 鏡合わせのように傾けていた首を真っ直ぐに戻し、なまえは考える。小さい頃から一緒に育ったイルミ、私を見捨てなかったイルミ、なんだかんだで面倒見は悪くなかったイルミ、なにかがおかしくても兄弟のことを大切にするイルミ。確かに私とイルミの戦闘能力は今では比べ物にならないと思う。けれど、それとは全く別のところで私を追い越してずっと先に行っているというのは、なんだか、とても…嫌な気がする。
「うーん、嬉しくはない…かな」
「ふぅん」
 チラと自分を見上げて呟いた言葉にイルミはパチリと瞬いた。なまえを見るために僅かに屈めていた身を起こす。顎に指を添え、そのまましばらくの沈黙。
「なるほど」
 納得したように頷くと、イルミはポンとなまえの頭に手を置いてから来たのと同じように素早く歩き去っていく。なまえはただ黙って…いや、言葉も追いつかないままそれを見送った。
「…え?…なんだったの」
 あっという間に姿が見えなくなったイルミからの答えは当然のようにない。すっかり見えない後ろ姿をしばし見送ってからなまえは遥か遠くから微かに聴こえる末っ子の声を聞いた。
「あっ、はぁい!今行くよぉ!」
 自分を探しているその呼び声に踵を返すなまえの頭からいつのまにか置かれていた小さな花が零れ落ちた。


- ナノ -