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きみが好き

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「俺はみょうじが好きだ」
 聞こえてきた声に私が顔を上げると、進は教卓の横に立ってこちらを見ていた。
「俺はみょうじが好きだ」
「……あ、…はぁ」
 駄目押しみたいに言われた二回目の言葉が私にとってはあまりに現実離れしていて、ドラマによく出てくるやる気のないOLじみた返事が零れてしまう。
そんな私へ進は何を言うでもなく、前の扉から背筋をしゃんと伸ばして歩いていく。そのまま彼が教室から出て、しっかりと扉が閉まったのを見てから私は日誌を見下ろした。何の拍子か折れた芯が私の名前の隣に転がっている。几帳面に書かれた名前を汚さないようにそいつをちょっぴり突ついてどかす。

進 清十郎

 彼の人柄らしくきっちり書かれた文字が汚れていないことを確認。夕陽に朱く染まった日誌を前にとりあえずシャーペンを置いて、私は腕を組んだ。
 …もしかして、私は告白されたのか。
 恥じらいの一つも漂っていなかった生真面目な表情と声になんとなく思考が追いつかなかった。
 …進が、私を、好き?
 相手がジョーク一つ言えない進のことだ、信じられないというより単に疑問しか浮かばない。
 ………なんで?
 疑問への解決法をなんとか弾き出すために私は過去を思い返す。
 私と進が初めて同じクラスになったのは中学一年の時だった。ただの一クラスメイトだった進と初めて隣の席になったのは、その年の初夏だった気がする。下校の放送をぼんやり考えている時、窓の向こうによく見かける四角四面な進の隣の席は何となく少しだけ気持ちいい緊張感があった気がする。
 それでも進の人柄もあってか、別に私と進は仲良しとか友人とか呼ばれるような関係ではなかったと思う。話も一応するし、日直も一緒で物を借りたりもしたけど友達かと言えば首を傾げる程度。どっちかと言えば進のところに来る、よく話す桜庭の方がよっぽど私の友達らしかった気がする。いや、実際は桜庭は進の友達なわけだったけど。
 桜庭はもともと顔の造形が良かったし、明るくていいやつだったから一年の頃に既にクラスメイトから人気だった。だから、というのもなんとなくおかしいとは思うけれど桜庭が近くにいる進の隣の席である私の近くには桜庭狙いの女の子が寄ってくることも多かった。そして、まるで私の友達みたいな顔で桜庭と無口めな進と、代わりに相槌を挟む私たちの話に嘴を差し入れてきたのだ。
 とは言っても最初から私と彼らが友達らしく多いに会話していたわけじゃない。最初はただ、進の隣の席ってことであまり弾まない二人の会話に人懐こい桜庭がちょっとだけ私をアクセントにするくらいだった。たぶん、それが「三人の会話」になったのは私と進が初めてまともに言葉を交わした後からだったと思う。


 * * *


 別に、会話において聞き役に徹するのは嫌いじゃないし、むしろ好きだと言っても構わない。けれど何というか、人を押しのけるように会話にねじ込み、一人としか話してない「会話」っていうのは聞いていて全く楽しくない。…というかそれは会話じゃない。言葉のドッジボールとかそういうのだ。
 会話の始めに少しだけ嘴を突っ込んでしまったせいで会話の外とも内とも言えない位置になってしまった私は開きっ放しの本に目を落として耳だけを何とか会話に付き添わせた。
「桜庭くんって背も高いし、アメフト部の練習にもいつも参加しててすごいねえ。大変なんでしょう?」
「まあ、監督結構キツいし…でも練習は練習だからね」
「桜庭くん運動神経良さそうなのに!努力家なんだね、やっぱりすごぉい、そういうのかっこいいね」
「朝練っていうなら進だってすごいし…」
「…え、そうなのぉ?進くんも運動得意なんだぁ」
 桜庭以外に全然興味がなさそうな言葉に桜庭くんがちょっとだけ怯んだ気がする。当事者の進くん自身は特に表情動かさないし、女の子のけろっとした顔に悪意はなさそうだったけど、実際桜庭くんと同じ部活の進くんとしてはどうだろう。フォローとかするつもりではなかったけど、微妙な空気に私は思わず横から口を出した。
「そりゃ進くんはアメフト部だもんね」
「あっ、そうなんだぁ。すごいね」
 と言うけど彼女は大して進くんに興味がある気はしない。本当に桜庭くんにしか興味がないんだろう。やれやれと言いたい気持ちで『これ以上は関わりませんよ』アピールに寝ている本を立てれば、桜庭くんが驚いたように私を見ていた。
「…な、何?」
「あ、いやみょうじさんって人の部活とか知ってるタイプだとは思わなかったから」
 というか、クラスメイトの部活をいちいち細々と覚える人なんてあんまりいないだろう。朝の放送準備の時に朝練を暇つぶしに眺めていなきゃ私だって知らなかったはずだ。
「まあ…。というかこの時期に人の部活をやたらと知ってる人ってそんなにいない気がするけど」
「確かにね」
 忍び笑いする桜庭くんは確かにどうしようもなくイケメンだった。全くもって好みじゃないにしても見慣れないイケメンの笑顔には多少動揺する。また始まったクラスメイトと桜庭くんの会話のドッジボールから身を引いて少しだけ視線をズラすと、基本的にあまり動きを見せない進くんが私を眺めていた。
「あ、…な、何?」
「いや」
 進くんは頑なに真っ直ぐな目で私を見つめて首を振った。
「すまない」


 * * *


 今思うと、それはどちらかと言えば「ありがとう」の意味だったんだとわかる。でもあの時は全く意味がわからず、「何もしてないのに何に謝罪してるんだろう?会話のフォローできなかったこと?進くんって少し変わった人だな」とか思ったような覚えがある。
まあ、何にしても桜庭と進と私はあの時から自然と互いに友達のような会話をすることが増えていったと思う。
 けれど、と私は進の文字を見下ろす。進は私の何が好きだと言うんだろう。そんなに何か好きになってもらえる特別があったような気はしない。日直なんて大してやりもしない男子が多い中でやけに几帳面に書かれた日誌をなぞりながら私はハッとした。
「返事…なんか言うべきだったかな」


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