メイン
行く先はまだ遠く

main >> other


※トリップ主がちょっとネガティブ



 膝を出すスカートが役目を終えてからどれくらいの日にちが過ぎただろう。私の生まれた世界よりもだいぶ昔の時代に見えるこの世界に突然落ちてきてから、とにかく毎日を生きるのに忙しくてきちんと指折り数える時間もなかった。私の世界にいた時はもっとたくさん何かを考えていられる時間があったのに。アシリパちゃんに拾ってもらってからずっと、起きている時には何かをしていて眠る時にはくたくたで。どれくらい前にここに来て、どれくらい時間が経ったのかをまともに考える暇もないまま、気がつけば月明かりだけが眩しい夜は数えきれないほど過ぎていった。
 数え切れないほどの星が浮かぶ空のことを日常のように感じるようになっても、心のどこかで私は確実にいつか私のいたところへ帰る日が来るんだと思っていた。それはきっと、私を助けてくれたアシリパちゃんが金塊を見つけてそれを正しい形で使えるようになった時。そしたら私は役目を終えたってことで元いたところへ帰るんだろう。きっと私はその為に、何かの力でここへ呼ばれたのだって。私はなんとなくそう思っていた。
 でも、それは正しくなかった。アシリパちゃんが金塊を見つけて、土地の権利書を手に入れて、血の匂いがしない明るい日の光の下で笑うようになっても、私は消えることなくアシリパちゃんの隣にいた。
「きっと、人にはそれぞれやるべきことがあってここにいるんだ」
 たくさんの命のやり取りを見てきた青い目は初めて私を見た時よりもずっと大人っぽくなっている。
「私は私たちの文化が消えないようにずっとずっと先まで伝えていきたい。それを私の役目にしたい」
 とても立派で、私には手も届かない夢のような役目。それが彼女にはある。ここに立っている理由、果たすべき役目が。
締め付けられるような息苦しさに思わず胸元を握りしめる。私の不安に気がついたように、アシリパちゃんは私をまっすぐ見つめてから腕を伸ばして肩を摩ってくれた。
「大丈夫だ。まだ見つけられていないのかもしれないけれど、きっとなまえにも大切な役目があるんだ。だからここにいる」
「うん」
「安心していい。……たとえなにも見つからなくても、私も杉元もなまえのそばにいる。今度は私がなまえを励ます番だ」
 アシリパちゃんが綺麗な目を細くして笑うから私もつられて笑う。でも、心はどこか透き通ったままだった。
見つけられていないわけじゃないと思ってた。大切な役目、本当は私も見つけていたつもりだった。ずっとアシリパちゃんを守ることがそうなんだと思ってた。だから必死に走ったり隠れたり逃げたりしてきた。でも、もうアシリパちゃんは守らなきゃって思うほど子供なんかじゃなくて、今では私よりずっと強くて芯の通ったひとに見える。私が守る必要なんてない。だからもうそんなこと、私の役目じゃないんだ。でも、それじゃあ私は一体なんのためにここにいるんだろう。どうしてここにいるんだろう。ここにいる必要なんてあるの?
 役目なんて、どこにもないのに?



「うーん、そんなに役目が欲しいなら役目を探すのを役目にしてみたらいいんじゃないかな」
 私の言葉を聞き終わった杉元さんが、大きな指で摘んだ茎を回して首を傾げる。白い花が彼を真似するように傾いた。
「役目を探す、役目?」
「うん」
 重さが増えてきた籠にまた一つ獲物を増やしながら杉元さんは私の疑問に応える。
「たぶん、なまえさんがそうだと思ってたってことは『アシリパさんを守る』っていうのは本当に役目だったんだと思うよ。でもそれがもう役目じゃないって思うのなら、また次の役目を探せばいいんだよ」
「……役目って、そんなものなのかな?」
「ん?」
 本当は何か大切なことがあって、だから私はここにいて、ここにいてもいいんじゃないの?そんなに、こんなに簡単な役目を選んでもいいものなの?
「私、もっと……もっと、ちゃんとみんなの役に立てるような役目があれば良かった」
「俺もアシリパさんもなまえさんにはずっと助けられているよ」
「……」
 優しい杉元さんはそういうけれど、実際にはそんなことはなかった。金塊を探していた頃だってアシリパちゃんはたくさんの知識があって、杉元さんはみんなのために体を張って、白石さんだって普段はふざけていたけど本当に大切な時に大切なことができていた。でも私はいつも自分の役目を果たそうとただ必死なだけだった。知識も体力もなくて、たまに役に立つのだって、誰にも警戒されない力も殺意もないただ普通の女であるというそれだけだった。役目を失った私は、目標のひとつもなく何の役にも立たないままここにいる。
「……役目なんて、言葉は立派かもしれないけど本当はそんなに大したものではないと思うんだ。結局さ、自分の気持ちの問題なんだと思うな」
「そう、かな」
「うん。そうだよ」
 じゃあ、私は気持ちの問題で元いたところに戻れないのかな。口にしても仕方のない言葉を喉の手前でそっと飲み込む。
 家に戻れないのも、家族に会えないのも。ここに来るまでの日々が少しずつ夢だったみたいに感じるのも。本当は、本当に戻りたいとは思っていないからなのかな。
 毎日に追われているうちに元々生きていた世界の記憶が薄くなっていくのが自分でもわかる。そして消えていったところにどんどんアシリパちゃんと杉元さんが埋まっていくのも。なにも持たない私は彼らのなにも埋められないのに。それでも縁もゆかりもない私を二人はこうして受け止めてくれる。ここにいる理由を、ここにいてもいい役目をどんなに探しても私にはもしかしたらなにも見つけられないのかもしれないのに。
足元が遠くなるような気がして背中に小さな氷の粒を流し込まれたように体が震える。
「なまえさん、大丈夫?」
 恐ろしい想像に思わず身震いした私の手を優しく取って、杉元さんは「休憩しようか」と日向に向かう。大きなビルがないこの世界では木陰から出るとすぐに太陽が顔を覗かせる。明るい太陽の光を感じると、心も少しあたためられるような気がする。まだ雪が消えて間もない草の上に腰を下ろして息を吐く。
「冷えちゃったのかな。ちょっと日に当たってから帰ろうか」
「…杉元さんの手、暖かいね」
 私を導いてくれた手が離れていきそうだったので思わず手を伸ばしてしまう。筋肉がついているからなのか、不死身だからなのか本当にその手は暖かい。ぬるい温度のホッカイロみたいだ。
「ぽかぽかしてて、触ってると気持ちいい」
「そ、そうかい?」
 言い訳半分の私に杉元さんは少し戸惑ったみたいに帽子を触る。もしかしたらはしたないと思われるのかもしれない。それでも体温が名残惜しい。手を繋ぎたいとかそういうよこしまなわけではないんですよ、とアピールするように大きな手を両手で包む。この手に触れていると勇気が出るような気がした。
しばらく黙ってから、あいている方の杉元さんの手が肩に触れる。そして握った手はそのままに杉元さんの胸に体を寄せられる。服の表面に触れた瞬間は冷えを感じるけれど、少しすればその向こうから暖かさがやってくる。
「こうしてなまえさんのこと暖めるのが今の俺の役目だよ」
「……ありがとう」
 優しい慰めの言葉に自然と感謝の言葉が出てくる。手持ち無沙汰な指でそっと大きな手をなぞる。少し荒れた肌の中でつるりとするのは傷痕だ。いつも戦いの最中は平気な顔をしていたけれど、本当はこのひとつひとつが痛かっただろう。それなのにこんなにたくさん傷付いて、本当はこんなにやさしい人が。
「……杉元さんのこと抱きしめるのが私の役目だったらいいのに」
「えっ」
 寄りかかる体が小さく跳ねた。風から守るように包んでくれる腕の中で、だんだん自分の体も暖かくなっていくような気がする。太陽でも温泉でもなくて、命の暖かさがちょうど良い。なんだかふしぎと眠くなってくる。
「ええと、その、それはどういう……?」
「杉元さんが寒い時に抱きしめたり、杉元さんが痛い思いをした時に抱きしめたり、杉元さんが悲しい時にも抱きしめたり、杉元さんが眠い時に抱きしめたり……そういうことが私の役目だったらいいのに……」
 なんだか世界がぼんやりと滲んでくる。杉元さんの手を掴む力が少しずつ緩むのを、杉元さんが掴み返してくれる。杉元さんの呼吸に合わせて動く体の境界がわからなくなる。
「そうしたら、ずっと一緒にいられるのに……」
 最後までうまく言葉にできたかわからない。杉元さんの返事もなくて、他に誰の声も聞こえない静かな世界で私は何の役目が無くてもとても穏やかな気持ちだった。こうしていられれば、それだけでいいようなそんな気がする。
「……そうだったらいいね」
 子守唄みたいに優しい声。優しい肯定と体温に眠気が膨らんで、一気に意識が薄れていく。本当にそうだったらいいのに。いつかこんなにやさしいあなたにさよならをいうその瞬間が来るまで、あなたの隣にいるのが私の役目なのだと、そう胸を張って言えたら本当にいいのに。


- ナノ -