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きみはそら色

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 付けっぱなしのテレビから流れてきた愛らしい子供達の『夢』に任務帰りの私たちの変なテンションがやや燻った。「呪霊がいなくなれば良いのに」「不労所得非課税で年収五億」「石油王拾いたい」「世話大変そうだから油田掘り当てた方が楽そう」「油田の世話も大変そう」…エトセトラ。良いよな不労所得…、と労働帰りの頭が夢を見る。何もしないで賃金欲しいな…いやそれ賃金じゃないよな…と頭の中で『夢』を深掘りしているうちに、ふと頭のずっと奥から綺麗な石みたいな思い出が発掘された。ふわふわした綺麗なドレスに鮮やかなお花。小さい頃に見上げた幸せそうな笑顔を思い出す。
 そうだ、私にとって「お嫁さん」というのはなんかのお姫様よりもキラキラしてどこかのヒーローよりもカッコいい夢だった。月でピクニックするのは夢に見ないけど電車で1時間のテーマパークで遊ぶのは夢に見るような、そんな現実に近くて綺麗な夢。
「夢……」
 金が舞い散る雑談をBGMに聞き流して、疲れにややぼんやりとしたまま私はぼやいた。
「私、『およめさん』になりたいなぁ」
「……はあ?」
 疑問符いっぱいの声でBGMが止まる。空笑いが一つ二つと上がり、なんかあんまり面白くない冗談だなみたいな空気が数秒流れた後に突然『こいつ、今の本気か?』みたいな驚きがみんなの顔に広がった。
 そんなに驚くかな、私一応一般家庭出身だぞ。夢も一般家庭レベルなのはおかしくないと思うけど。変かな……、いやさっきまでの夢の流れからこれは変か。
 ぼんやり思案していた私の鼓膜に、テンションが壊れたみたいにやけに楽しそうな声が突き刺さる。
「なんだそれ!バッッッカじゃねぇ?いや本当に馬鹿なんだなお前アッハハウケる!なまえほんとバーカ!ヤベッこれ腹攣りそうアハハハハこのまま笑い死ぬかも」
「悟、流石に笑いすぎ」
「……五条うるさい、私に見えないとこで笑ってて」
「高校で結婚焦るって早すぎない?」
「そ、そういうんじゃないって!」
 久しぶりに思い出した夢は現実で口にするにはなんというか、柔らかすぎる。揶揄うっていうよりは真面目に指摘してきた硝子に私は慌てて手を振った。
「あの、そうじゃなくて……ただ、こう……」
「こう?」
 どう言ったらいいのかもわからないまま慌てる私に夏油が優しい声を出す。五条みたいにゲラゲラ笑われるのも腹が立つからヤだけど、こう優しく聞かれるのもなんか…なんとなくちょっと嫌なような気がする。優しいお兄ちゃんがちいさな女の子の夢を聞いてくれているみたいだ。嬉しくない感じに胸のムズムズが膨らんで夏油の顔も見れなくなって思わず俯く。
「別に。なんか、ちょっとなんとなくそう思っただけ」
「ふーん」
「ハー、……笑いすぎてヤバ」
 ようやく笑い終わった五条は顔を赤くして息を切らせている。『ヤバ』というのは本気だったのか、横目で見た顔はどんな任務でも見たことない表情を浮かべていた。
「なまえ、ほんとにバーカ」
「悟」
 やや冷たい声で緩く抑えようとする夏油を無視して、五条はニヤニヤしながら目を逸らす私の顔をわざわざ覗き込んでくる。笑いすぎて涙が浮かんだ目がサングラスの隙間からキラキラしている。確かに変なこと言った気はするけど、いくら何でも五条は笑いすぎ。ふん、と不満を露わにそっぽを向くと五条はちょっと間をおいてからもう一度あからさまな笑い声をあげた。本当に、五条そういうところ!


 まあ、どういう夢を見ようが不労所得は手に入らない。高校を卒業して数年、慣れたくないフォーマルな服装に慣れつつあった私は消えた呪霊の微かな残滓を手で払いながら半同棲みたいな生活を送る子供の顔を思い浮かべた。なるべく家にいて出迎えてやりたいと思うにはだいぶ大きくなったし、呪術師っていうのは不労とはほぼ真逆ではあるけどそれに見合うくらいには魅力的な収入があった。それに私には呪霊を見かけてもなかったことにできるほどの胆力もさしてない。どこをどうひっくり返してみても人間ではない連中からそっと目を逸らしているのはゴリゴリ精神が削られる。人が傷ついていくのをそうと知りながら見ない覚悟でいるほど私は強くいられない。それならお金もらってそういうのを潰している方がよほど良い。きっとこうして呪術師ってここに戻ってくるんだね。



「で、僕には言うことないの?」

 夜蛾さんへの挨拶帰りにあの頃と変わりない廊下であれやこれやと変わった五条に顔を覗き込まれて私は現実逃避していた意識を取り戻す。呼びかけは一応疑問形にはなっているけど私を掴む腕はどう考えても「おい挨拶しろよ」と圧をかけている。圧倒的な実力差を前に逃げ出す選択肢が出てくるわけもない。仕方なく「どーも特級術師の五条悟サン、二級術師のなまえですぅ」とおざなりを頭を下げる。久しぶりに特級術師として見上げた五条は私の腕を離さないまま口元だけの軽薄な笑顔で私を見下ろす。
「ふーん、結局なまえは呪術師になるんだぁ、へえ」
「…五条は私の選択になんか言いたいことでもあるの?」
「まさか、全然。大丈夫!この業界人手不足だからさ、なまえなんかでもいくらでも需要出てくるよ。いやあラッキーだったね、人手足りてないからなまえでも簡単に戻れて良かったね」
「何!?言い方ひっど!」
 軽い気持ちで言い返してみただけなのにびっくりするほど嫌味な言い方だ。『術師になって欲しいわけではなかった』を性格の悪さで二度漬けしてから喋ってるみたい。
「というか私供給不足でラッキーとかで戻ったわけじゃないんだけど!自分で選んで来てこうして受け入れてもらったんだけど!」
 思わず声を大きくする私にちょっとうるさそうな顔をした五条は、すぐに気を取り直したように言葉のトーンを変える。
「じゃ、任務で何か困ったら僕を呼びなよ。助けてあげるから」
「やだよ、助け求めると五条すぐ偉そうにするじゃん」
「……」
 バカにする、とは言わなかった。五条に『だってなまえ馬鹿じゃん』って言われたら返す言葉はない。というか五条より賢い自信もない。硝子にも『もう少し考えてから動け』って言われるし。でもいちいち『雑魚なんだからなまえ前に出るのやめろ』とか『考えて動けないなら俺の補助だけしてれば』なんて偉そうに言われたくはない。
「…なまえならなんかお菓子奢ってくれたらお礼はそれでいいよ」
「五条私の話聞いてた?」
 聞いていて出てくる返事じゃない気もするけど。というかそろそろ離してよ、と手を振るとワンテンポ遅れてから五条の掌が私の腕から離れる。離した手で腕組みして五条は廊下に寄りかかった。足が長いせいでなんかのロゴになりそうなくらい無意味にカッコいいポーズになる。
「ところでなまえ、将来の夢はどう?」
「…は?」
 『ところで』から続くにしても脈絡がなさすぎて思考が止まる。いつのなんの話だろう、と固まった私に五条が首を傾げる。「ほら、高校の頃言ってたやつ。ああ、なまえの記憶力だともうすっかり忘れた?」……いや、それなら一応覚えてるけど。五条の態度を思い出すとあんまり掘り返してほしくはなかった。とはいえ忘れちゃったと言いたくはない。
「そ、それはまあ……別に嫁になりたくないとは言わないけど」
「ふーん、アテはないのに?」
「は!?なんの根拠があってそんなこというの!?」
「あれ?あるの?」
「……別に、ない、けどさ」
 具体的な話はそりゃあないけど。歯切れ悪く認めながら思わずちょっと口が尖る。いや確かにないけど、逆に私のアテの無さにどんな根拠があってそんなこというんだこの男?ちょっと失礼じゃない?
 思わず睨むように見上げた五条は私の不機嫌なんてどうでもよさそうに笑っている。
「うんうん。そうだよね、ちょっとビックリしちゃった。あー、よかった」
「あー、はいはいよかったよかった。私の弄りネタが減ってなくて五条は嬉しいねぇ」
「ちがうよ」
 フンと鼻を鳴らす私の言葉の語尾を千切るみたいに五条は否定した。「嬉しいけど、違う」と言葉を重ねる声は妙に浮ついた響きだ。言ってることもその響の意味もわからなくて首を傾げる私の顔を五条の指先が伝ってゆっくり落ちていく。
「本当にどうしようもなく馬鹿で、身の程知らずで弱くて信じられないくらい雑魚で何にもわかってなくて大して役にも立たなくてそれなのに結局呪術師になんかなっちゃって」
 言ってることは信じられないくらい失礼なのに、言い方はやけにフワフワとしてなんかこう悪意がない感じ。何が言いたいのかと目で探れば五条は顎で指を止めて笑った。
「ほっといたらさっさとそこらへんで野垂れ死にそうなくらい馬鹿ななまえのこと、僕がお嫁さんにしてあげたいなあって思ってるから」
「五条……」
 想像の斜め上からすっ飛んできた発言に思わず言葉が詰まる。顔を掬い上げようとする手首を掴んで私はペッと横に払った。
「いや、それは嫌」
「え」
 口元しか見えない笑顔が転がり落ちて消える。五条は三秒ほど硬直してから今度は私の肩を掴んで揺らす。
「ウソ、え、な、なんで?どうして?僕のどこがイヤ?」
 どこって逆にさっきの台詞の何を私が喜ぶと思っていたんだこの五条。『お嫁さんにしてあげたい』ってなんだ、どこから目線だ。いや上からではあるけど。
「顔以外だいたい全部」
 きっぱり言い切ると五条は考えるようなポーズを見せた後に目隠しを外した。宝石みたいにキラキラした目が私をじっと見下ろす。
「……なまえ」
「いや別に顔見せろって言ってるんじゃないんだけど」
「本当?この顔を見てもなまえの気持ちは変わらない?」
「…すごいなこの男、自分の武器を完全にわかってやってる…。別に素顔全部見たくらいでは返事変えないけど…」
 見慣れたというほどではないけど、術師の世界から離れていた時でもなんやかんやと理由をつけたりつけなかったり我が家に押しかけてきていた五条の顔はそこまで珍しいものでもない。まあ顔の造りが嘘みたいに良いのは何回見ても変わりはしないけど。
 首を振る私の真意を確かめるみたいに真顔の五条が顔を寄せてくる。すごい良い顔が近くから見てくるのはなんか居心地が悪い。なんなの。五条今日なんかずっと変じゃない?なんかに呪われてきた?
 無言の圧にただ困惑しているだけ私に気がついたのかなんかを諦めたのか、五条は溜息を吐き出してサッと目隠しを戻す。
「……しょうがないな、今日のところはここらへんにしておいてあげるよ」
「なんの捨て台詞?」
 というか『今日のところ』って何?次でもあるの?
 全体的に意味がわからない言動を繰り返されて首を捻るしかない私に五条はサラッといつもの調子に戻って窓の外へ指を向けた。
「とりあえずなまえ、これから一緒にお昼でも食べない?」
「えー?」
「奢ってあげるけど」
「まあ、五条がそこまで言うなら行ってもいいかなぁ」
 五条が奢るっていう時は大体美味しいお店に連れて行ってもらえるので地味に嬉しい。遠慮なくありがたく奢ってもらおう。何かな、何食べられるのかな。思わず足が軽くなる。「ね、どこいく?」と現金にも上がってしまう声で聞けば整った形の口が長い指に隠されてから開く。
「もっと言ってもいい?」
「え?…まあ言いたいなら聞くけど何?」
 今日の五条はテンションがやや変になっているらしいので、内容が想像できない。思わず少し身構えて私は五条の見えない目のあたりを見上げた。私の警戒なんてどうでも良さそうに五条が笑う。
「僕、なまえがご飯食べてるとこ見るの好きなんだよね」
「…なにそれ」
「なにって、それだけだけど」
 全然返事になってない。大きく首を捻る私にそれ以上答えることはない五条は「じゃあ、二人で個室でも行こっか」と私よりも軽やかに駆け出した。


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