どうしようもなかった。
無視して抑えて正当化して、自分に言い聞かせて。どうにかして全てを真っ白にしたかった。しようとした。
それでも、どうしようもなかったのだ。


まだ11月にも関わらず、冷たい風が身体を突き刺す。ヒートテックに更に二枚服を重ねて、掌は少しサイズの大きい手袋で覆って、タイツの上にジーンズを載せて、首元はマフラーでぐるぐる巻きにして。そうやって完全防寒の体制に入っているのに、指先も足先も鼻先も、身体の先は全て氷のように冷えきってしまっていた。

「さむいなぁ、」

はぁ、と小さく言葉を吐くと同時に白が生み出された。ふわり、と宙に舞うそれに手を伸ばして、掴む。胸の前に掌を引き寄せて開いたけれど、そこには無しか残っていなかった。掴めたのに、掴めなかった。言いたいのに、言えなかった。

「 、」

胸に仕舞いこんだ言葉が喉元まで出かけたけれど、それすらももう一度元に押し戻して、再び小さく息を吐いた。


油断をすれば、すっぽりと抜け落ちてしまいそうな手袋を眺めて、手を握りしめる。この掌には、私の幸せが溢れている。いつか恩師が言った言葉。見えていないけれど、自分が欲しいと望んだもの、それは空から降ってきて、この両手でしっかりと掴まれているそうだ。ただ、望んだものを掴むには、一旦掴んでいる掌を開かなければならない。そしてその時、欲しいものを得ると同時に大切にしてきたものを一つ失う。でもそれを恐れてしまったら、何も得ることはできなくなってしまう。

今の状況に満足するか、危険を冒してまで更なる幸福を追い求めるか。それは人それぞれだけれど、どうか失うことを恐れないでほしい。そう先生は言っていた。



私はそんなに強くはなれなかったなぁ、と。自嘲してみてもむなしいだけ。


錆を纏った鎖を握って爪先で地面を蹴り上げる。前に後ろにゆらゆら揺れる身体に冷えきった脳もゆらゆらと揺らされ、鈍い痛みが頭の隅で疼いた。それに気づかないふりをして、もう一度、大きく地面を蹴り上げる。小さく彼の名前を吐き出して、もう一度白いベールを生み出した。

彼の名前を呟くほど想いはどんどん心の底に溜まっていって胸を締め付けて余計に苦しくなる。

いっそこの気持ちを吐き出してしまえれば、どれだけ楽だろうか。彼の目の前で、泣きじゃくりながら本音をぶちまけてしまえれば、どれだけ、楽か。


でも彼はそういう面倒なことを一番に嫌うだろう。元からあまり他には執着しない人だ。私が面倒なものの一つだとわかったら、すぐに切り捨ててしまうかもしれない。

このままの状態を続けていくのも辛かったけれど、この関係を壊してしまう勇気は、私にはないのだ。

だから、


「言えるはず、ないよ」


冷たい空気がピリリと震えた。


「何が?」


聞き慣れた声。私のすぐ後ろで、少し肩を上下させて、私と同じように白く息を吐き出している人。

あ、今二人は同じ世界にいるんだ、なんて当たり前のことを実感して、少し幸せな気持ちになる。あまりにも、バカらしい。

少し驚いて速くなった鼓動も一分もすれば元に戻って、ちゃんと彼の顔を笑って見れるようにはなっていた。そこに悲しさなんて微塵もない。ただ少し、虚しさが残るだけ。
そしてまたいつも通り。二人の関係が続いていく。


「よくここがわかったね」
「質問に答えて」


あれ、なんだかいつもと違う。普段なら、「なんとなく」とか、なんとかっていう返事が返ってきてたのに。何より、私の目の前に立つ平馬の表情が、声が、熱が、いつもと違う。


「ん、なんでもないよ」
「なくない」
「どして、そう思うの」


些細な、ほんの些細な期待をもって、そう問いかけてみる。
極力高鳴る胸を押さえつけながら、何度もその期待は空しく散ったでしょうと言い聞かせて。


もう一度笑顔を作って、無言の彼に一言。

「わたしは、大丈夫」


「ウソ」


瞬時に取り消されたそれ。驚きの連続だった。どうして、今まで何にも言ってこなかったくせに、何にもしてこなかった、くせに。


「今まで、強がってるのに気づいてない振りするのが優しさだと思ってた」


隣のぶらんこに私と同じように腰かけて、鈍色の空を見上げながら彼は言う。


「その度にお前は笑って大丈夫だって言い続けたから」


そんなのウソに決まってるでしょ、ばかじゃないの。
今までと変わらない表情でそう続ける彼に初めて少しだけ腹がたった。

あーもう、今までの努力は何だったんだろう。今さらながら自分のしてきたことが滑稽に思えてきて、急に泣きたくなってきた。

ここで涙の一筋でも流してみせれば、あなたは少しでも動揺してくれる?
少しでも私に悪かったと思ってくれる?
そう考えて、力を込めていた眉間を緩めようとして、やめた。
そんな駆け引きさえも、馬鹿らしくてカッコ悪いように思えたから。


少し滲んだ世界に彼を映せば、何かが変わってしまうような、そんな恐怖感があった。
だから左を向いて、彼を捉えることはできなくて、ずっと泣くまいと両手に力を込めていたのだけれど。



「でも、やっぱり知らんぷりなんてできないんだよ」

「俺は名前のかれしだから」



そう、耳元で愛を囁いて、私の唇に熱を移した彼は。

いとも簡単に私の目から涙を溢してしまったのだ。










(1011??~110830)







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