彼はいつも私の前を行く。
それに気がついたのが、彼が見えなくなってからだなんて。



「名字、俺転校するから」
「、は?」


いつも通り、朝誰よりも早くに登校して、自分の席に座っていた私に、彼は何の前触れもなくそう告げた。
そういえばこの人はいつからここにいたんだろう。まだ普段の彼の登校時間まで、数十分もあるというのに。
彼は早起きが苦手だと、そう言っていたというのに。


「転校する」
「今日、4月1日だっけ、」
「大丈夫、今は6月で、お前の頭はおかしくないよ」
「…何、何の冗談?」
「冗談じゃない」


そう言ってもう一度繰り返した。転校する、と。


転校、とは、学校を移る、ということだ。
それをゆっくり咀嚼してどうにか理解しようと脳を必死で回転させた。

よりによって、この時期に?どうして?
どれだけ考えても答えは出なかった。意味がわからない。

とりあえず、「椎名翼は転校する」というその事実をなんとか自分に納得させて、それを話の前提にするために頭にインプットして口を開いた。


「なんで?」


ゆっくりと、自分が口にした言葉は間違っていないだろうかおかしくないだろうかと考えながらも、どこか冷静な自分がいた。


「俺はサッカーがしたいんだ。だから麻城にはいられない」
「…二年生にもなって、何言ってんの」
「二年生だからだよ。まだ、今なら間に合う」


そう言った彼の目を見て、あぁこいつは本気なんだな、と瞬時に悟った。同時に、私が何を言おうともう何も変えることはできないんだとわかった。それほどまでに椎名の瞳は、まっすぐに私なんかじゃなくて彼の未来を見据えていた。


「…ずるいよ椎名」
「何がだよ」
「テストの順位も、50m走も、身長も次こそは私が追い抜くはずだったのに。勝ち逃げとかズルっしょ」
「まぁこの先も勝たせるつもりは無かったけどね」
「ははっ、言ってろ」


本当にこの男はどこまでも完璧だった。昔から私だけは彼に張り合ってきたけれど、彼の横に並びたいと願う一方で、一生彼に敵うことがないということなんて、私が一番よく知っていたのだ。
それでも背中ばかり追いかけるのはどうにも癪で、せめてその横顔だけでも、と思って頑張ってきたのに。

本当にずるい。
椎名はずるい、ずるすぎる。

最後まで私の隣には並んでくれないなんて。



「飛葉ってサッカー強いの?」
「まぁここらじゃ名前は聞かないけど、俺が入るからには全国区になってもおかしくないだろうね」
「本気で言ってる?」
「俺はいつだって本気だよ」
「…そう。まぁ頑張ってね、天才椎名翼サン」
「言われなくても」


そう言って、なぜかお互いに拳を合わせて、それからハイタッチ。うん意味がわからない、何だこの体育会系のノリは。思わず声をあげて笑った。笑いすぎて、涙がでた。椎名はそんな私を見て、目を細めて私の頭を撫でながら、笑った。その優しい表情に、体温に、また涙が溢れた。

どうにか零れるのを抑えてトイレに行くと言ってその場を逃げ出して、一番奥の洋式の便座に座って、声をあげて泣いた。スカートに染みができるまで泣いた。
どれだけ泣いても涙は止まらなくて、赤く腫れた目を擦りながらトイレから出た頃にはもう多くの人が登校を済ませて席についていた。
少し前まで私と一緒にいたはずの椎名はそこには居なくて、私の斜め後ろ、椎名の席はまだ埋まっていなかった。



十数分後、HRに来た担任から、椎名の転校が告げられた。
もう、彼がこの教室に来ることは、二度とないらしかった。


耳を掠めるすすり泣きと小さなしゃっくりに目を閉じ、短くため息を吐いた。



最後に落ちた涙は一体誰のもの?






(追い続けていた背中すらも見えなくなって、私は君を忘れようともがき足掻いて苦しむの。)




(110507)







人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -