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秘密

 彼は嘘をつかれるのを酷く嫌っていました。嫌いというよりも、憎んでいるのかと私に錯覚させてしまうくらいに、嫌っていました。
 いつだったか、私は彼に些細な嘘をついてしまったことがあります。嘘といってもたいしたものではありません。何をするにも彼に言わなければならない私は、少し買い物に出ることを言うのをうっかり忘れて、外出してしまっただけです。けれど言い忘れと片付けることもできるたったそれだけのことも、彼には私が嘘をついたとしてカウントされてしまったのでしょう。買い物から帰ってきた私を待っていたのは、口元は笑っているのにオッドアイの瞳の奥底は全く笑っていない鬼でした。震えあがる背筋に耐えながら扉を閉めた音を合図に、私は彼に酷く暴力をふられました。
 ――――なんで僕の言ったことが守れないんですか!
 それは言葉の通り、力を暴れさす行為でした。力の限り私を殴り、蹴り、引っかき、彼の体の全てが私を甚振るすべての道具でした。それこそ、爪の先まで。所詮男と女の身ですから、力の差なんて一目瞭然でしょう。私に抵抗なんてできるはずもありません。
 口の中は切れたのか血の甘い味が占め、視界は狭く、体の節々は痛みに悲鳴をあげていましたが、私の瞳にうつる彼は顔を歪ませ、声も出さず、子供のように泣いているようで、反抗なんて勿論できるわけがありません。私はただ黙って彼を受け入れるのです。それが私にできる最善の策だと、私は思っていました。
 こうしてみると彼は酷く暴力的な人のようですが、普段は落ち着きを持った優しい人なのです。私は彼のさりげない優しさがとても好きです。彼は私を救ってくれた人でした。嫌えるはずがありません。だから時折みせる彼の泣きそうな顔を見ると、私が彼をどうしても、なにをされても、拒絶することができないことは最もなことでした。
 そして嘘をつかれるのと同じくらい、彼は秘密を作られることを嫌がりました。だからあの時の私の無断外出の一件も、彼は私が秘密を作ったように感じたのかと、今となってはそう思います。
「嘘をつかないでください。僕に秘密を作らないでください」
 一日に一回は聞かなかったことはないだろうこの言葉に、私はいつからか先の見えない恐怖を覚えていました。この恐怖はなるべく頭の外へと弾き出すことにし、彼のことを考えるようにしていたら、いつの間にか泡のように消えていました。何度も聞かされるうちにこの言葉は私の中で一種の法律のように思えてしまって、彼に嘘をつくのも秘密を作るのもしないよう心がけるようになりました。もうしないわ、これは約束よ、と従順に彼の言葉に従うのは、彼を悲しませてしまうことよりはとてもとても良いことで、簡単なことだと、私は思ったのです。
 けれど彼は嘘をつきます。私に秘密をたくさん持っています。
 わかるのです。彼が私に言っていないことが、少なからずはあるということを。私の元を去る時に、彼は行き先を私に告げたことはありません。聞いても巧みな話術ではぐらかされてしまうだけです。帰ってきた時も、微かに薫る血の匂いの説明をされたことも、一度もありません。これは聞いてはいけないことだと誰かが囁くので、聞いたことは一度もありません。
 嘘をつかないでくれ、秘密をつくらないでくれという人が、自ら嘘をつき秘密をつくるなんて、とても滑稽だと思いませんか?


喧嘩上等

 天宮ユキは生れつき親の顔を知らない。自分が捨て子だったのかも、親が何らかの理由で死んでしまったのかも、生き別れてしまったのかも、それこそ理由なんて考えればいくらでも考えつくのだが、そんなことは天宮ユキにとって、とくに気にもとめる問題ではなかった。なぜなら、彼女は親というものが必要ではなかったからだ。彼女は自分を産んだ親の顔を見たことがない。声を聞いたこともない。親と触れ合ったことがなかった天宮ユキを育ててきたのは、見知らぬ大人達だった。
 記憶を辿ってみると、どんなに古い記憶にも、彼女の周囲には大勢の大人がいた。白い服に身を包んだ彼らはユキの頭部や体中に複雑な機械を装着し、幾度なく彼女を使って人体実験を行った。死までは至らないが、中には激しい痛みを感じる実験も多々あったけれど、天宮ユキは必要最低限の食事と寝場所と自由に使える施設を貰えていたので文句はなかった。寧ろ長い間のその生活は、当たり前の日常となっていた。天宮ユキを囲む大人達は、ユキが実験に成功すると声をあげて喜び、嬉しそうな顔で彼女を褒めた。天宮ユキにとってそれは生き甲斐だった。褒められることが素直に嬉しく、たとえ自分の身に何が起ころうとも、彼らが喜ぶと思えば何事にも耐えることができた。
 歳を重ねていく内に、彼女は次第に自分が人体実験のモルモットであることを理解していた。特殊兵器の開発なんてまだ幼いユキにはまったくわからなかった。けれど彼女の世界のすべては彼らであり、彼らの期待に応えることで成り立っていたのだ。彼らが傍にいてくれるなら、モルモットでもなんでもよかった。天宮ユキが頼れるのも、天宮ユキの存在を知っているのも、この世界では白衣に身を包んだ大人達だけだった。
 それからまた数年の月日が流れると、大人達は多くの子供を集めてきた。生まれて初めて自分と同じくらいの歳の子に出会ったユキは、その子供達が敵に見えた。子供達の眼は暗く、おどおどとしていて、力無くこれから先待ち受ける恐怖に震える姿が自分よりも劣っているように、ユキの瞳に映った。そしてその子供達に、白い服を着た大人を奪われると思った。理由はない。本能で感じただけだった。初めて抱いた嫉妬という感情に、天宮ユキが当然気づくわけもなく、感情に身を委ねた結果、彼女は子供の一人に飛び掛るように、襲い掛かっていた。我を忘れての、無我夢中の出来事だったため、誰も暴れる天宮ユキを止めることはできなかった。結果は天宮ユキの一人勝ち。代償は一人の子供の命。死因は爪で手全体を使って喉元を掻っ切ったための、出血死だった。子供達も大人もその見事なまでの鮮やかさに言葉がでず、静かに傍観するしかできなかった。勿論、襲われた子供も、いきなりの攻撃に対処できるわけもなく、成すがままに命を終えて逝った。天宮ユキの着ていた服は返り血で赤黒く染まり、髪も飛んできた血で固まった。凶器はない。あるといえば、己の身体だろう。度重なる実験によって、天宮ユキの身体は常人離れたものとなっていたのだ。
「クフフ、見事なものですね」
 一人分の血の池の中に佇んでいた天宮ユキを、誰もが怯えた目で見ていた。そんな中、一人乾いた拍手を叩きながら声をあげたのは、まだ名もなかった頃の、六道骸だった。


化粧直し

「はじめまして。名前がないので、名乗れませんが」
 視線がぶつかる。血濡れの少女が僕を見る。その瞳は獣のように高ぶっていて、人を殺したことに罪悪感なんて、一切感じていないようだった。ここまで完膚なきに他人を殺せる人物、それもまだ幼い子供がが罪悪感を感じていたなら、それはそれで笑えてしまうが。
「だれ。あなたも、わたしから、とるの?」
 途切れ途切れに呟くように言葉を発する少女は、また姿勢を屈めて、僕を威嚇するように睨んだ。尖った視線が鋭いナイフのように、容赦なく僕を刺すのを感じる。敵に認定されるのはごめんだ。僕はひたすら穏やかに微笑むのを心がけて、血塗れの少女に話しかけた。
「何も取りませんよ。僕は貴方と友達になりたいんです」
 ここにきてから、僕はこの少女のことをひたすら観察してきた。僕等よりもずっと昔からこの場所にいたという、常にエストラーネオファミリーの大人に囲まれたこの少女は、あきらかに僕等と違う扱いをされていた。同等なんてものじゃない。別格だった。彼女は連れてこられた子供達とは違い、ファミリーの大人に懐いていた。僕と共に連れられてきた子供は、ファミリーを憎むか、怖がるかのどちらかだった。だから僕は何故実験道具としか見られてないのに懐くのだろうと不思議に思ったけれど、大人達は彼女をモルモットとしてみていないのに気づいたのはすぐのことだった。人間とまではいかないけれど、少なくともモルモットよりも格が高い。長い間共にしてきた情があるのだろうか。彼女は何者なのだろう。気になり始めるのは早かった。
「ともだち…ともだち、なに」
 やっと接触をとれた今、周りに邪魔は大勢いるけれど、僕の中は歓喜に溢れている。想像していたよりも頭の弱かった彼女は、きっときちんとした教育を受けていなかったことが伺える。それもそうだろう。ずっとこんなところにいて、あのファミリーがそんなものを受けさせるはずがない。僕はなるべく少女に理解できそうな言葉を選択し、言葉を紡ぐ。
「そうですねぇ。話したり遊んだり一緒にいたり、こんな感じでしょうか」
「いっしょに、いてくれるの?」
「勿論。貴方がそれを望むなら」
 急に尖った視線が丸くなった。少女の表情が強張っていたものから柔らかくなったのに気づく。瞳の奥の獣は息を潜めて去っていったようだ。低く屈めていた背を伸ばしたのを見て、気を許してくれたのだろうと僕は思い、彼女の赤く染まった小さな手をとった。手は温かい。人の血が通っているということに、正直、安心した。
「ともだち。ともだち」
 玩具を買ってもらった子供の反応のように、少女は嬉しそうに声をあげ、僕の手をぎゅっと握った。こうしてみると、ただの子供のようで、なんだか可笑しい。
「まず体を洗いましょう。固まるとなかなか落ちませんよ」
 手をひいてバスタブのある部屋へと向かう。実験道具としての僕等は、それでもある程度の自由を貰えていた。まるで実験代償としてのように。それでもやはり外との接触はとれないように立ち入り禁止なところもあるが。お湯をはったバスタブに服を脱がした少女をいれ、シャンプーで髪を洗ってやった。もうすでに凝固してしまった血がお湯に流されていく。
「あなたのて、きもちいい」
「そうですか。それはよかったです。そういえば、お名前をきいてもいいですか?」
「なまえ?」
「ええ」
 ええと、と少女は必死に思い出そうと、膝を抱えて唸っていた。血を流し終えた髪の水気をタオルで拭き取りながら、彼女も僕と同じように名前を持っていないのかと思った頃に、湯気の広がる部屋に大きな声が響いた。
「ユキ!」
「ユキ。それが貴方の名前ですか」
「うん!」
 ユキは頷く。バスタブのお湯は少し赤みを帯びていた。


スーパースター

 私と彼にとって、この行動は彼への軽率な裏切りでした。彼―――六道骸との約束を、こうして私は現在進行形で破っています。
「天宮、さん…だよね」
「ユキでいいです。ボンゴレ10代目」
 これぞイタリアにその名を響かせるボンゴレファミリーというかのくらい豪華な屋敷の、数ある贅沢な家具のひとつである柔らかなソファーに私は腰掛けて、少し慌てふためいているボンゴレ10代目と向き合っています。私と彼の関係は、骸を挟んだものでありました。かつては敵対していたくせに、今やボンゴレファミリーに身を置いている骸のボスは、失礼ですが、正直一ファミリーのボスには見えず、私はこんな穏やかそうな人がボスなのかと、内心驚いていました。争い事が苦手な風に見えたのです。
 さて、私が何故骸との約束を破ってまで、ここに居ると思いますか。勿論、骸には私がボンゴレ10代目の所へ赴くことなんて話してません。酷い裏切り行為だというのは、私が一番自負しております。ええ、わかっておりますとも。けれど私はこの目で見てみたかったのです。私の骸が仕えるボスを、目にしっかりと焼きつけておきたかっただけなのです。
 ちなみに骸は数日前から私の前から姿を消しており、旅支度をしていたのできっと長い仕事が入ったのだと私は直感しました。そしてパスポートの期限を気にしていたので、旅先はきっと海外のはずです。どこへ行くのなんて野暮なことを聞くことを私しませんでした。だから私はこんな行為に出れたのでした。
 秘密というものはばれなければ問題ないはずです。意図的な裏切りは隠滅するのが簡単だと私は踏みました。骸のことよりも、自分の欲求を最優先に考えたのです。こんな浅はかな考えをしてしまう私は、酷い女でしょうか。
 急な私の訪問にボンゴレ10代目は初めは驚いていましたが、きっと骸から少し話を聞いたことがあったのでしょう。すぐに屋敷へ招きいれてくれました。すすき色の髪は秋の日本を連想させます。彼は日本人で、私と同じくらいの歳だと骸から聞いていました。
「じゃあ俺のことも10代目じゃなくて名前でよんでよ。ユキ」
 これまた高そうなティーカップに入ったニルギリの優雅な香りが、私の鼻孔を擽りました。いただきます、と出された紅茶に口付けると、すっきりとした味が口内に広がっていきます。
「沢田さん、ですか?」
 ティーカップから口を離し、一度呼んでみます。ちなみに沢田さんは紅茶ではなく、本場イタリアのエスプレッソを飲んでいました。ちなみに私はコーヒー特有の苦味に舌が慣れず、飲めません。こうしてわざわざ紅茶を出して貰うのを申し訳なく感じます。私もこの苦さを克服しようと、何度挑戦したことはありました。ですが、どんなに口をつけても駄目なものは駄目と、残念な結果で終わってしまいます。いつも飲みきれなかったコーヒーを、まだまだ味覚は子供のままですねと、愉快そうに飲み干すのは骸でした。彼は私とは違い、砂糖もミルクも入れず、ブラックで飲めてしまいます。彼は私の憧れそのものだったのです。
「それじゃフェアじゃない。綱吉でいいよ」
「綱吉さん…?」
「うん。それがいいな」
 なんとなくだけれど、私はこの人が部下に信頼される理由を理解しました。この人は一瞬で相手と打ち解けられる包容力を持っている、まさに大空のよう。彼のファミリーがとてもボスを慕って、守ろうと懸命になるのも分かる気がします。骸の仕えている人はこんなに素敵な人だったのかと、私はとても安心しました。
 けれど安息もそう長くは続くはずがなかったのです。
 ボンゴレ、と聞きなれたテノールの心地良い声が、私の耳に入ってきました。どうして彼が、や、出張じゃなかったのと、咄嗟に脳内に浮かび上がり、私の意識が追いつく前に、骸が扉の先から姿を現し、私と綱吉さんを宝石のようなオッドアイの瞳に映し出しました。その場が氷のように固まったようでした。寧ろそのほうが幾分よかったでしょう。声ともとれないような、ひっという空気を切るような頼りない音が、私の喉から漏れました。
「ユキ」
 名前を呼ばれる声からは骸の感情が一切読み取れませんでした。その恐怖に戦慄を覚えた私の震える指からティーカップがするりと床へ滑り落ち、カシャンと繊細な音をたてて、粉々に跡形もなく割れてしまいました。ごめんなさい、高価なものだったはずなのに、と綱吉さんに謝罪をする余裕も、今の私には一寸も無く、一番起きてはならなかった最悪の事態をどう対処すればいいのかわからず、情けなく震えることしかできません。
 ―――嘘をつかないでください。僕に秘密を作らないでください。
 不意に、骸の昔の悲痛な声が耳元で聞こえました。ああ、私は、私は。
 ごめんなさい。嘘をつきました。
 ごめんなさい。秘密を作りました。
 ごめんなさい。約束を破りました。
「危ないでしょう。すみません、ボンゴレ。これは後日、僕が弁償しますね。それとアメリカ支部のことですが、一先ず問題は解決しましたので、後日書類にして提出します。さあ、ユキ。家へ帰りましょう」
 骸は私をソファーから立ち上がらると、綱吉さんの返答を聞かずに、私の手を引いて強引に、入ってきた扉へと歩き出しました。歩くといっても、骸の足は長く、それでいて歩幅も広いので、私は追いつくことができずに小走りになってしまいます。いつもなら骸は私にあわせてゆっくりと歩いてくれるのですが、今はそんな優しさを一切見せてくれません。事の重大さを示すには十分でした。
 私は、骸を、裏切ってしまいました。
 それは一番、起きてはならない事だったのです。





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