8/22 チンチン電車の日

「ほお、今日はチンチン電車の日らしいですよ」
「あまり見かけないし普段なら乗らないかもね」
「お前ら昼間からそんな発言するなよ!」
 八月二十二日昼前。賭場から項垂れながら戻ってきた帝統を最後に四人が乱数の事務所に集まったので、さて本日はと幻太郎がスマホで今日の記念日を検索すれば、路面電車の日と出てきた。名前と幻太郎が情緒あるその乗り物に思いを馳せていると、何を勘違いしたのか帝統は先の四文字に対し不満があるようだ。
「チンチン電車はチンチン電車じゃん、なんでそんな顔してるの帝統は」
「あは、帝統ってばチンチン電車しらないの? この辺だと都電アラカワ線っていうのが走ってるけど」
「帝統、貴方この前町屋のBBステーションとやらに行った帰りに路面電車に乗ったって燥いでいたではないですか。あれですよ、チンチン電車って」
 なら路面電車って言えばいいだろさっきから何度も、と名前たちに咆哮した帝統はポケットからぐしゃぐしゃになった煙草を取り出し紫煙を燻らせる。
 ふんぞり反っていたのも束の間、スマートフォンで都電アラカワ線を検索していたのか此処行きたいこっちも降車してみたいと四人の中で一等帝統が楽しそうにしていたので、他三人は圧倒的な純度の末っ子をまざまざと見せつけられ誰も揶揄うことはしなかった。
「じゃあじゃあ、今日は都電アラカワ線の旅にしよ!」
「では各々身支度が済んだら出発しましょうか。暑いので熱中症対策を忘れる事なかれ」
「幻太郎が一番心配なんだよね、その服装」
「は? まじで地雷なんですけどぉ。人の服装に触れるのとかやめな〜」
「は? こちとら心配してるんだけどぉ。ダレノガレやめな〜」


 シブヤからメトロ線で雑司が谷に出て、いよいよ都電アラカワ線三ノ輪橋行きに乗り継ぐ。調べてみれば現在、都電アラカワ線はトウキョウ桜トラムと言う名称に変わっているらしかった。
 平日昼過ぎの車内は落ち着いていて、程よく空調も効き気持ちよく四人を癒す。先ほど案の定暑さで死にそうになっていた幻太郎も漸く息を吹き返したようだ。幻太郎自身で熱中症に気をつけろだなんだと言っていたにも関わらず、そのまま事務所を出ようとしたものだから名前が幻太郎をひっ掴みカンカン帽を被せたのが四十分ほど前だ。乱数と帝統はいずれも半袖に着替え、身軽な格好になっていた。
「へぇ、今はトウキョウ桜トラムって言うんだな」
「そういえば前にアラカワディビジョンの人がそんなこと言っていた気がするなぁ」
「乱数、貴方いろんなところにちょっかいかけに行ってるんじゃないでしょうね」
 カンカン帽を脱いだ幻太郎は暫く帽子で扇いでいたがやがてそれをスマートフォンを弄っていた名前の頭に徐に置いた。ふわっと幻太郎のシャンプーの匂いが名前の鼻を掠め、ドキッとしてしまったのは正直なところだ。
 路面電車の平均速度は四十キロだ。昼下がりにのんびりゆったりと電車に揺られつつ、カーテン越しの太陽の日差しは冷え始めた体をぽかぽかと温めてくれる。目の前に立っていた帝統が大きく欠伸をすれば、それに気づかなかった乱数まで小さな口を開けて欠伸をしたものだから、思わず名前は笑ってしまった。
 乱数が大塚駅前で降りたいと言うので、路面電車と暫しの別れだ。再び太陽にジリジリと焼かれ、汗が滲み始めた頃に着いたと乱数が元気に声を上げる。
 ビルの一階はモダンな佇まいのアトリエ工房だった。引き戸を引き、さっき予約した飴村ですと乱数が伝えれば、早速クリエイティブコースとやらの体験が始まった。
「ここはねー、銀とか銅で指輪やインテリア作りが体験できる工房! 勝手に四人分当日予約したんだけど、指輪組と銅皿組に分かれてもらうよ! 希望はある?」
「小生は銅皿で。乱数も、指輪をするとファンが黙ってないんじゃないですか?」
「じゃあ僕もお皿にする! 帝統と名前は指輪だね」
「帝統、折角一緒に作るんだから質屋に入れたりフリマ出品とかしないでよね、多少あんたって言うブランドがつくんだから」
「わーってるよ! 意外と手先は器用なんだぜ俺は」
 ああでもないこうでもないと忙しなく口を動かしながらも手元は慎重に。名前もなんとか皆んなの会話に入ろうとしたがいつの間にか修学旅行ぶりの物作り体験に入り込んでしまい、次に三人とちゃんと会話をしたのは二時間後だった。
「名前の指輪綺麗に出来てるね!」
「よく見ると小さい傷たくさんあるし、見てこれ、帝統の指輪超綺麗じゃない?」
「味があっていいじゃないですか、手作りの醍醐味ですよ。この男は売ることを前提にしているのでそりゃ素晴らしい仕上がりになっているでしょうね」
「おい! 勝手なこと言ってんなよなゲンタロー」
 存外この男たちは、本当にギャルと言っても過言ではないと名前は思う。男性はシングルタスク、女性はマルチタスクなんて言うがこの三人はくっちゃべりながら手元も疎かにせず、時には相手の進捗を見てここが曲がってるだとかアドバイスまでしていたらしいのだから。唯一女であったはずの名前は少々、遣る瀬無さを覚えるのだ。
「乱数と幻太郎のお皿も素敵! 乱数はダイヤっぽい形で、幻太郎は丸にしたんだね」
「えっへん、僕のこの小ぶりなお皿を幻太郎のお皿の上に重ねると〜!」
「わ! ポッセマークじゃん! 天才?」
 思わず小学生みたいな感想になってしまったが、素直に感動したのは事実だ。しかもサイズもぴったり嵌るようになっているんだから大したものである。
「お二人、帝統が寂しがってまーす」
「帝統と名前の指輪をお皿に入れたら……ほら、いいじゃないですか。銅の皿にシルバーリング、素材は違えど似た輝きがありますよ。乱数の事務所に置きましょうか」
「え、私の指輪も置いてくれるの?」
「なんでお前の指輪だけ置かねぇの逆に?」
 三人とこうして休みの日に会って色々なことをし、様々な場所に出かけている名前だがあくまで自分だけは部外者だと自負していたからこそ、幻太郎の提案や帝統の肯定が嬉しく、乱数が四人で何か作りたかったと声をかけてくれたことがとても嬉しかった。
 店主にお礼を言い、再び大塚駅前から乗車する。一両編成のこの路面電車は、名前たちを乗せ再び三ノ輪橋に向かい穏やかに車体を揺らしていく。乱数は電車の中で、子供がこっそりと宝物を見るように三人の作品を見つめ返しては嬉しそうに頬を緩めていた。
 暫く誰も降りたいとも言わなかったが、飛鳥山に差し掛かった時に幻太郎が名乗り出た。特に降りる必要はなく、飛鳥山から王子駅前を堪能したいとのことで、帝統が幻太郎に何かあるのかと尋ねれば幻太郎はもう直ぐだから外を見てくださいと名前たちに伝えた。
 電車は、その名の通り路面を、道路を走り始めた。レールの上を走りながらも車と並走していて、しかも自分たちはその列車に乗っているのだからなんだか不思議な気分だと名前が乱数に言えば、乱数も路面電車の本当に路面を走るところは遭遇はもちろん、乗り合わせたことも初めてだと興奮を抑えきれなかったようだ。
「小生は、飛鳥山、王子駅前間のこの路面を体験することが目的でしたので」
「そういや俺も、路面電車っつーからずっとこんな感じで走ってると思ってたけど、違うのな」
「私も! この区間だけなの?」
「今はそうらしいですねぇ。踏切もないですから、視界に電車が入っても急いで渡ろうとする人たちがいたり、ミスマッチな感じはあるのに昔からあるものですからね。レトロを感じます」
 幻太郎はそう口にしつつ、穏やかな目を窓から逸らすことをしなかった。幻太郎のことだからこうやって目に焼き付け、小説に起し昇華させるのだろう。作家とあってやはり感情を揺さぶられるような、趣ある物事への固執は良い意味で人一倍強いはずだ。それがきっと幻太郎の糧になるのだと他の三人も感じているせいか、口々に感じたことを三人が吐き出していく。小説は、自分一人の感性では補填出来ないものがあるからだ。こうして三人は自覚なしに、幻太郎の手伝いをできているのだから素晴らしい関係である。
 電車はなおも同じように揺れていく。
 遊園地前に着くと、帝統が降りたいと申し出てきた。若干うとうとしていたらしい幻太郎が眠たそうに目をこする。
「いやはや、遊園地に行きたいと言い出すとは……」
「パチ屋連れてかれて代打ちかノリ打ちさせられると思ってたけど……」
「もう〜、帝統ってばそんなに僕たちと思い出作りしたかったの? かっわいい!」
「ちげえよ! いや、違くはねぇけど……たまにはいいじゃねえか、ゆーえんちもなかなかスリルあるだろ」
 スリルとは程遠いコンセプトのあらかわ遊園のゲートをくぐれば、残念ながら帝統がご所望するようなハイスピードのジェットコースターや背筋の凍るようなお化け屋敷なんてものはなく、あちこちにふれあい広場、どうぶつ広場、魚つり広場といった和やかな広場が点在しており、唯一ののりもの広場でも観覧車と、小学生向けのジェットコースターという穏やかな代物があるだけだった。
 最初こそこんなものかあと項垂れていた帝統ではあったが、一番の若手である彼は適応能力に優れているらしく、これはこれで楽しんでみるかとまずはふれあいコーナーへ向かう。
「かわいい、こうやって膝に乗せたりするの、小学生ぶりかも」
「僕は初めてだけど……かわいい! こんなに大人しいんだね」
「おやまあ、あなた達が小動物と戯れると絵になりますね。帝統、そのモルモットさんは食べられないですからね」
「食わねぇよ! 理鶯さんはわかんねぇけど」
 可愛らしいですが服が汚れてしまうので、と幻太郎はコーナーの柵越しに三人へ話しかける。名前と乱数が嬉しそうにモルモットを愛でる一方、ポニーを前にしてキラキラと目を輝かせている帝統は乗りたいのではなく、賭けたいのだろうと気づいた幻太郎が強制的にゆるふわ空間へと帝統を連れ戻した。
 事務所でわんちゃん飼おうかなと乱数は真剣に考えていたが、二、三日も経てばそんなことも忘れてしまうだろう。幻太郎がうちによく上がり込んでくる猫を派遣しましょうかと提案したが、それが一体誰のことなのかすぐに分かった乱数は、その猫ちゃんの維持費高いんだよねと帝統を見ながら言い出すので、随分愛されてる猫ちゃんだなと名前は帝統の頭に耳が生えたように見えてたまらなくなった。
 続いて魚つり広場にやってきた四人は一時間だけつりを楽しむことにした。乱数は先ほどのふわふわちゃんの余韻が抜けないからと断り、幻太郎も水が跳ねるのでと言えば帝統が付き合い悪いなとヘソを曲げたので、名前が付き合うことになった。
「名前、勝負しようぜ」
「ええ、どっちが多く釣るかってこと?」
「じゃあ僕は名前に夜ご飯代賭けるよ、幻太郎は帝統ね」
「嫌です、小生も名前に賭けるので、帝統は自分に賭けてください」
「んだよお前ら! よーし、ぜってぇ負けねぇからな」
「望むところですわ!返り討ちにしてやりますわよ」
「やっておしまい、名前! オーッホッホ」
 わなわなと震えた帝統が頭を抱えながらイカサマだと名前の肩を揺さぶるのは、一時間後である。



「町屋駅前まで来ましたが、名前はどこか寄りたいところはないんですか?」
「うん、私はみんなと路面電車の旅ができたから満足かな?」
「お前がそれでいいならいいけどよ、じゃあ三ノ輪橋ついたら飯屋探すか」
「三ノ輪橋って栄えてるのかなぁ、美味しいご飯屋さんあるといいなあ」
 お腹すいたなと乱数がお腹をさすりながら帝統を見上げれば、渋い顔をしながら目を合わせないようにしているようだが幻太郎と同じ背丈のため彼とはしっかり目が合ったようで、お腹すいてもう歩けませんシクシクとワザとらしく泣き真似をして見せた。
 いよいよ終電、三ノ輪橋に着いた四人は恐る恐る下車し、あたりを見回す。改札を出て適当に数十メートル歩いたところに、ジョイフル三ノ輪という商店街が彼らを迎え入れた。
 思わず感嘆の声を漏らしたのは、名前と幻太郎である。今だこんなにも盛り上がる下町の商店街が存在したことに感動したのだ。建物も古めかしいようで、どこか懐かしい雰囲気の店が立ち並び店の看板の荒っぽさやフォントに幻太郎はインスピレーションを受けているようだった。
 一方で名前は、単純に商店街の雰囲気が好きだった。今でさえシブヤで暮らしているが、もともと地域の繋がりが濃い土地の雰囲気に憧れている節があり──こち亀を幼い頃に見ていた影響なのだろうか──冗談を言い合っている店員と客の親しげな姿とそれを包むこの土地の雰囲気にグッと惹かれてしまったのだ。
「こういう商店街っていいよな、わくわくする」
「だよね、食べ歩きしようよ! 私もこういうところ凄い好き」
「シブヤとは違う騒がしさだね、僕も嫌いじゃないかも」
 見渡しながら歩けば、幻太郎が立ち止まった。名前が幻太郎の背中から顔を出せば、揚げたての天ぷらがタッパーに積まれている。いい匂いですねと幻太郎が珍しく吸い寄せられるように列に並んだ。夕食どきのせいか、惣菜を買い求める主婦が何人か列をなしている。幻太郎が食べ歩きを肯定することの珍しさに帝統は驚いた顔をしていたが、せっかくなので四人で好きな食材をリクエストし揚げたてを堪能することにした。
「紅生姜天ぷら、全員食べたがると思いませんでした」
「色も綺麗だったし美味しかった、生姜の天ぷらって美味しいんだね」
「エビも舞茸もうまかったな!」
 乱数は紅生姜天ぷらと自撮りに勤しんでいたが、やがて一口食べて何これうっまと呟いた後、訝しげにその天ぷらを見つめ直していた。
 それから創業八十年らしいパン屋でハムカツパンを堪能したが、少しずつ美味しいものを食べたおかげでいよいよ食欲が爆発した四人は瓦屋根の蕎麦屋に足を向けた。店内もショウワの雰囲気たっぷりで、座敷に座りながら店内の有名人のサインなんかを見回しているとそれぞれ頼んだ蕎麦がやって来た。
「チンチン電車の日、サイッコーだったね!」
「そうですねぇ。小生もインスピレーションをたくさん受けましたし小説に使えそうな経験もたくさん出来ました」
「私もみんなと路面電車の旅出来て楽しかった! それにここは帝統の驕りだしね」
「そんにゃあ……」
 コシのある蕎麦はあっという間に四人の胃袋に吸い込まれていった。結局のところお代は幻太郎が出したのだが、帰りに名前が見つけたコーヒーショップで購入しようと思った豆を帝統が奢ってやったので、後で帝統に請求しようとした幻太郎は成長したわねぇうちのダイちゃんはと泣き真似をすると共に、その請求をしないでやろうと思うのだった。



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