「吉良さん、こんばんは!」
「沙希か、こんばんは。学校帰りかい?」

 大学での授業を終え、寄り道もせず真っ直ぐ沙希が最寄駅に帰ってくると、これまた退勤中であろう吉良を改札を出た先に見つけた。独特な雰囲気と色使いをしたスーツを着ているので間違いないと確信し、後ろから肩を叩いてみると少し疲れた表情に沙希は見下ろされた。
 沙希は家から少し離れたところの安いスーパーに向かおうとしていたのですぐに別れると思っていたのだが、吉良も同じ方向に足先を向け暫く肩を並べ歩くことになり、沙希から買い物ですかと声をかければ肯定の返事が降ってきた。本来ならば自店の売り上げに貢献すべきなんだろうけどと苦笑する吉良を見て、沙希はそういえば吉良は小売業の会社員だったことを思い出す。買い物するところを同僚に見られるのがなんだか気恥ずかしくてねと苦笑する吉良に、沙希は毎日お疲れ様ですと労った。

「吉良家……ではないけど、今日の夜ご飯は何にするんですか?」
「給料日前だから大量に焼きそばでも作ることにするよ。沙希は?」
「特に決めてないので、安いお肉とかあれば適当に買っておこうと思って。まだ時間早いし、餃子にでもしようかな」
「餃子か、いいね」

 おいしいですよね、と答える沙希に恍惚の表情を浮かべていたのは他でもない。沙希の若くてハリがある滑らかな手を酷使して作られる餃子なんて、吉良が食べたくないわけがなかった。とはいえあの大世帯で大食らいが二人はいるのだ。軽率に作ってくれないかなんてことを、吉良は言えるわけがなかった。
 スーパーに着き世間話をしながら壁際を一周し、各々必要な材料を取っていく。沙希はカゴを持って歩き、吉良はカートを押して商品をどんどん山積みにしていった。焼きそばの袋を五袋買ったところで一日の夕食分に消えてしまうのだ。缶ビールの一本でも飲みたいが、とにかく節制の日々である。缶ビールの一本も満足に買えやしないなんてと、泣く泣く酒コーナーを通り過ぎたところで沙希が吉良のカゴの中を覗き見、あ!と声を上げる。

「吉良さんダメですよ、キャベツ傷んでる!」
「……本当だ、気づかなかったよ。交換してこよう」
「私も行きます!」

 農家の娘なので目利きはお任せをと沙希が胸を張ったので、吉良はお言葉に甘えてと微笑む。吉良が近くにいた店員に傷んだキャベツを渡している間に、沙希はこれが一番良さそうだと、濃い緑色でツヤのあるキャベツを差し出した。
 農産売場でこの後、沙希がニラの買い忘れに気づきかごに追加したのを最後に、各々レジを済ませサッカー台で荷造りをし、スーパーを後にする。キャベツは葉の色が濃くてツヤがあって、芯は切り口が綺麗で五百円玉ぐらいの大きさの物がいいですと沙希が説明すると吉良はいよいよ吹き出した。

「え、何かおかしい事言ってました?」
「いやいや……君のような若い子が、まるで主婦のようなことを言うもんだなと思ってね」
「うーん……まあ料理のことに関したら、学生よりかは主婦なのかもしれないですね」
「学生でこれだけちゃんと自炊してる子も珍しいだろう」

 自動ドアを抜け、西陽に伸びる影に向かって足並みを揃える。沙希が確かに自炊する大学の友達は少ないかも、と答えれば、実家暮らしが多いだろうからそうかもねと吉良は返す。
 そうだ、自分は一人暮らしをしているはずだったと沙希はふと考える。それが最近はどうだ。確かに一人暮らしではあるが、隣人たちによりプライバシーも何も保護されてないようなものである。
 最初こそ越してきたばかりでさっさと荒木荘を出てやると涙を零した夜もあったけれど、全員が全員脅威にまみれた人間及び人外な訳では無い。圧倒的存在感であったカーズも今ではうちでのんびりとお茶を飲み、テレビを見ながらスキャンダルについてあーだこーだと口にする。ドッピオは家庭的だし、ボスに変わったとて著しい人格の変化は今のところではあるが見られないし、――基本的に死んでいるのだが――ディエゴに至っては自惚れではないが完全に懐かれている様子だ。懐いてる事を表に出しまいとするディエゴの心理戦にも気づいている。

「分からないのは、DIOさんかなあ」
「DIOがどうかしたかい?」
「いや、最近皆さんと話して性格がわかってきたけれど、DIOさんとまともに話したことはないなと思って」
「沙希とDIOに関しては、第一印象がお互い最悪だろうからね。時間をかけていけばいいよ、ニートの人外でもほんのたまに手伝いなんかはしてくれるようになったんだ」

 近道をしよう。吉良が細めの路地に爪先を向ければ、沙希は取り止めのない話をしながら吉良についてくる。洗剤やシャンプーも安いと購入した沙希の荷物が重そうだったので手を貸そうと思った吉良であったが、重い荷物は胸元で持つと軽く感じるんですよと沙希が自信満々に言うもんだから、その手は引っ込んだ。
 DIOという男の攻略は沙希の思うよりも存外簡単だろう。それもこれも、この荒木荘にぶち込まれてからのことだ。恐らく現役時代のDIOであれば、聞いた話だけで考えれば沙希の波紋などあまりにも貧弱で、所謂信者しか側近に置くこともなく、だからと言って彼らを信用していたかといえば信じるのは己の行動のみというタイプであり、現状彼が暴走した時に止められるのはジョースター家のジョナサンぐらいだろうと吉良は考えていた。あくまでも自分の仇の一人である承太郎がDIOを牽制出来ると考えたくはなかった。それに吉良と対峙したのは高校生の承太郎ではない。
 そういった弱肉強食の話以前に、外で正当な理由がなければスタンドも使えないこの世界線で闘争心だなんてものを生憎吉良は持ち合わせていない。吉良吉影はあくまで、出来ることならば誰とも争わず細やかに生きていきたかっただけなのだから。

「吉良さん、聞いてます?」
「……あ、いや。考え事をしていて、悪かったよ」
「お疲れですからね、吉良さん相手だと何故か沢山話しちゃって」
「それは嬉しいな」

 この子はどこまで純朴で、清く、綺麗なのだろうと吉良は思う。
 あの日地獄に墜ち、そこからの記憶はなんとも曖昧ではあるが、死んだ後なのに妙な記憶があるのだ。それが自分のことなのかすら分からないが、死んだ後もきっと自分はこの手で殺人を繰り返していたのだろうと吉良は考える。
 いつか沙希に、自分たちのことを打ち明けるべきなのだろうか。こういったまともな会話はディエゴとしか出来ないと思っていたが、先手を打っていたのがまさかカーズで、一見自身の意見より相手の勢いに負け、唯々諾々として聞いているような沙希が驚くことにカーズを黙らせるなんて。案外自分の立場を考えていて、自分で情報の取捨選択を出来る子なのかと感心したことを吉良は覚えている。
 とはいえ、吉良は彼女より一回り大人である。ただのお隣さんであり、ただのお隣さんで済まされない吉良たちの秘密を知り、沙希自身の身体でも体感しているのだ。自分たちがあとどのくらいこの世界に留められるのかは分かりかねるが、彼女が荒木荘を出ていくまでは、是非ともいい関係を築いていきたいと、吉良は無意識に沙希の手首を思い出しながらそう誓う。

「吉良さん」
「どうした、沙希?」

 突然後ろから沙希の声が聞こえる。考え事をしているうちにどんどんと足早に歩いてしまっていたらしく、吉良と沙希の間には数メートルの距離が出来ていた。
 すまないねと振り返ると、沙希は身体を後ろに反転させぼーっと立っているままである。足首でも捻ったのか、知らぬうちにつまづいて転んでいたのか。吉良がもう一度、沙希を呼ぶ。

「ここの道、……こんな細くて、大型トラックなんて入らない、ですよね?」
「ああ、それがどうし……!」
「バックして戻るかなと思ったのに、あのトラックどんどん、こっち」
「沙希!走れ!!」

 スタンド攻撃か、やはりこの世界は誰かのスタンドにより確立しているのか。否、その線は考えられないという結果にディエゴを通しジョースターどもと話したではないか。となればこれは単なる事故だ。
 沙希の手を引きながら全速力で走り抜ける。よりにもよってこの道は長い一本道で、脇道が存在しない。沙希が泣きそうになりながら、懸命に走りながらも一瞬振り返る。

「吉良さッ!運転手、ハンドルに顔!突っ伏してる!」
「アクセル踏んだままか、何キロ出てるんだあれは!!」

 どう考えても公道規定の六十キロなんてゆうに超えているはずだ。どう計算しても、この道を抜ける前に自分たちが巻き込まれる。
 吉良吉影は穏やかに暮らしたい。この世界で再度やり直しの機会を与えられても、その考えは変わりなく、そしてなるべく争うこともしたくないのだ。この世界には、それをする意味が存在しないからである。では、未だに自身たちがスタンドや波紋を持っているのは何故なのか。

「沙希!そこの祠を吹き飛ばす!そこに隠れるんだ!」
「分かり、ましたッ」

 無宗教とはいえ、日本人としてなかなかいい気はしないがキラークイーンの腕はすでに祠に触れており、その右手の親指はまるでそこに爆弾のスイッチがあるかのような動きを見せた。なるべく爆発範囲を狭く、破壊力も大袈裟でなくていい。それでも気持ちのいいぐらいの爆発音を響かせ、祠は跡形もなく消え失せた。
 すかさず沙希の腕を取り祠のあった場所に押し込み、吉良もそのあとで自身の身体をねじ込んだ。沙希と向き合って、かなり密着している状態である。
 どうせなら、祠を爆発しタブーを犯したとして、あの部屋に引き戻してもらえればよかったと吉良は考える。この世界では、正当防衛以外にスタンドを使うことを禁じられていて、少なくとも荒木荘の面々はむやみに外でスタンドを使うとあの部屋に引き戻されるという不思議な力が働いている。その期待も込めて祠を爆発させたのだが、これは正当防衛と判断されたらしい。つくづく、わけのわからない世界だと吉良は舌打ちした。

「ごっごめんなさい……狭いですよね」
「君に舌打ちしわたけじゃあない、それにこの道を選んだのは私だ」

 鼻と鼻が触れ合いそうな距離で、沙希の目には涙こそ溜まっていたがそれを溢すことはなかった。こんな状態になったら普通は足がすくんで走れなかったり、顔がぐちゃぐちゃになる程泣くものではないのだろうか。この娘のいざという時の瞬発力には眼を見張るものがあると吉良は評価せずにはいられなかった。
 とはいえ感心している場合ではない。それに、吉良の後頭部も踵も尻も、路にはみ出ている状態だ。もう数発の爆弾を仕掛ける必要がある。沙希に耳を塞ぎなさいと忠告すると、素直にその両手は耳に当てられた。それを確認した吉良は、いよいよ目と鼻の先に迫ったトラックを見つめ、苦しいが数秒耐えてくれと沙希に伝えさらに身体を密着させつつ、キラークイーンの爆弾をひとまずサイドミラーに仕掛け、すぐにスイッチを起動させた。三十センチの余裕もないのだ、サイドミラーが吉良の後頭部に直撃する可能性をまずは回避した。
 
「吉良さん、運転手さん、死んじゃう!」
「そういう運命を辿るだけだ!彼の寿命は、運命はそこまでだっただけのことだ!」
「でも!私は助けたいです!見殺しには出来ない!」

 普通に、一般的に考えて見殺したくないのが正常な判断だ。運命だとかそんなものは、スタンドを有しているからこそ信じたりあるいは捻じ曲げたりすることができるのだ。本来なら、そもそもこのトラックに気づいた時点でトラックごと爆発させていたに違いないと吉良はふと考えたが、あの瞬間はとにかくどうしたら沙希を救えるか、そればかり考えていた。そしてそれが報われた直後に、トラック運転手まで助けろだなんて、随分欲張りじゃあないか。
 射程距離ギリギリでトラックの後輪を順に爆発させ、多少速度を落としたところで前輪を爆発させた。さっきまでトラックから逃げ回っていたというのに、今度は射程距離を保つためにトラックを追いかけるだなんて滑稽にもほどがあると、凄まじい音を立てながらトラックがようやく停止したのを確認し、沙希の元に吉良が戻る。

「死ぬかと思いました……」
「ああ、本当に。とりあえず、突き当たりに家もあるし突っ込まずに済んでよかったよ」
「……吉良さん、一人だったら、どうしてました?」
「さあね。ある意味、沙希がいたから誰も死なずに済んだってのは間違い無いだろう」

 吉良だけだったら、トラックごと爆発したし、祠を爆発し防いだとしても突き当たりの家にトラックは突っ込んでいただろう。必ずや犠牲が出るのは仕方ないことだし、それ自体なんとも思わなかっただろうとも予想できる。
 思わず沙希の頭に手が伸びる。平和ボケさせてくれる彼女の存在は、吉良の中で確実に大きくなっていた。

「冷凍食品あるの忘れてました!早く帰りましょう!」
「……君は本当に、肝が座ってるというか。そうだね、早く帰ろう」

 結局路地の入口に戻り、大通りを通って家路を急ぐ。パトカーや救急車の音が遠くで聞こえ始める頃、ようやく吉良と沙希は荒木荘に着いたのだった。

(2019/06/24)

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