あ、沙希だ。
 彼女の手料理を食べて一緒に大学に向かった日から暫く日が経ち、それからなんとなく学内で彼女を目にすることが増えたと、学内のコンビニで買ったパンを食べながらディエゴは思った。
 昼を終えたこの曜日の三限目は所謂ゼミと言うもので、昼休み中に教室に来て仲間と一緒にご飯を食べる者もいれば、授業ギリギリにくる者、その前から授業があり余裕を持って自分の好きな座席を取る者と、人の出入りが激しくなる時間だ。後者に該当するディエゴは自席を確保した後にパンを買いに行き、戻ったら少し離れた席に沙希がいたのを確認したのだった。

「ちょっと、見過ぎじゃない?」
「……なんのことだい、ジョースターくん」
「足立さん、見過ぎ。キモ」
「失礼だな。彼女、可愛いじゃあないか」

 冗談めかしたような顔でジョニィに笑みを向けると、イラついたような顔をしたあとに舌打ちをされ、この世界でも相変わらず彼に嫌われてるのだなといよいよ諦めがつく。
 前の世界のディエゴは列車に轢かれて死んだ。その後レースがどうなったかは、"このディエゴ"にはわからない。目が覚めたときにはむさ苦しい男共に囲まれた、息も詰まるような狭苦しい部屋に居て、気がつけば共同生活を行っていた。己が根本にある野心だとかはたまた性癖、性格は変わらず、然しながらなんの因果か、この世界では外でむやみにスタンドを使おうとするものならば否応なしにあの部屋に戻されるし─正当防衛と、あの部屋でのスタンドは許可されているらしい─、所謂ヒーローと悪者がうまく共存するようになっているらしい。それに、隣のジョニィは自分の脚で学校に通い、ディエゴ同じくある特待生としてこの大学に通っているのだ。
 そして何より、前の世界の記憶を周りにいるスタンド使い全員がしっかりと覚えている。誰に殺されただとか、どんな死に方をしただとか、ジョースター家の人間からすれば誰をどんな理由で倒す必要があったために敵対しただとか。初めこそこの仕組まれたような世界はスタンド使いの仕業かと思ったが、自分のところの連中含め、目の前のジョニィの家系やらも巻き込まれていて、それ以外に何か不具合があるわけでもなかったためその線はないとし、前の世界では考えられないくらい科学の進歩した二十一世紀で大学生ジョッキーとして再度人生をやり直すことになったという事実を、漸くディエゴは受け止め始めていた。

「……うまそう」
「ちょっと、本当にキモいんだけど」
「違う、沙希の飯。美味いんだよあいつの飯」
「は? なに、ストーカー?妄想もいいとこだね」

 コンビニで適当に買ったパンはただ口内の水分を奪うだけであった。前の小さいレースから随分月日が経っていて、賞金はほぼ吉良を援助する形に終わり、自由に使える金も贅沢と言えるほど残らなかった。学生を卒業したらプロになる約束があり、何より愛馬のメンテナンスが最重要だ。バイトなんか出来るわけがない。要するに、金がない。
 ジョニィの弁当に目をやる。小さい弁当にぎちぎちに詰められたおかずと米をみると、彼の家の大黒柱の顔が浮かんでなんとも言えない気持ちになったし、自分のジョナサンがこのジョナサンでよかったと改めて思う。

「君の弁当はいつも美味しそうだ」
「どんだけ金ないのさ、前じゃこんな目に合わなかっただろうね」
「まったくだ」
「あの、ディエゴくん。おにぎりいる?食べきれなさそうだからよかったら」
「そうだ、な……あ、沙希」
「…………え、意味わかんない」

 ジョニィと目も合わさず頬杖をつきながらスマホをいじっていると、急に高い声が参加してきた。適当に相槌を打ってからそれに気付き、誰かと顔を上げると困った顔をしながらラップに包まれたおにぎりを持った沙希が目の前に立っている。先程ディエゴの話を妄想も大概にしろと突っぱねたジョニィは思わず箸を落としそうなほど衝撃を受けたらしく固まっていた。

「! い、いらなかったら捨ててもらっていいから!」
「え、待て、沙希!」
「やめなよ、今は逃げたいだろうね足立さん」

 渡すときもなんとなくコソコソしているように思えたが、聞き覚えのある数人の女の声が教室に近づいてきた瞬間に弾かれたように沙希は教室から逃げだした。せめてありがとうぐらい言いたく、声をかけたがジョニィにより制止させられた。そうしてようやく、先日一緒に登校したときに沙希が零した、ディエゴくんの側はちょっと怖いかもという言葉を思い出したのだ。
 猫撫で声でディエゴおはようと声をかけ、彼の前後の席を囲んだ女たちの混じり合った香水のひどいことと言ったら、スタンドの影響か人より鼻のきくディエゴには拷問でしかなかった。ジョニィも最悪、と小さな声を漏らし食べかけの弁当をしまう始末である。
 ディエゴはあくまで紳士でいたかった。自身の前に座る女の、染髪から時間が経ち色落ちした髪の汚らしいことと言ったら、産まれながらにしてブロンドの髪を持ったディエゴにとっては見すぼらしいとすら思った。適当な返事をしながら沙希からもらったおにぎりのラップを剥がす。昨日は炊き込み御飯でも作ったのだろうか。

「ディエゴ、なぁにそのおにぎり?」
「なんでもいいだろう」
「ディエゴがおにぎりとかなんかウケる〜、しかも家から持参とか、どうしちゃったの?」
「それなぁ、コンビニでも美味しいの売ってるのに」

 ジョニィがディエゴの肩をぶっきらぼうに叩いて違う席に移動した。移動先にホット・パンツが見えて、今はよほどあいつらと居る方がいいと思えたし、なにより沙希の飯を侮辱されたような気がして非常に気分が悪かった。不衛生でゴタゴタした長い爪じゃあ、卵すらまともに割れないだろうと考え、どうせ恋愛脳の彼女らは外面だけの仲間との底辺の争いをし合いながら、いかにディエゴに近づくかのくだらない、誰も優勝なんてしえないレースに必死になっているのだろう。もともと勝手に寄ってきただけで、強請られた連絡先は誰にも教えていない。ディエゴにとってはどうでもいい以下の存在なのだ。なにを言っても許されるだろう。

「なぁ、このラップ、捨ててきてくれないか?」
「うちが行くよディエゴ!」
「ありがとう。ついでに、君たちその小汚い爪も捨ててきたらどうだい?」
「え…」

 アホらしいことに、見たら全員爪が長い。この時点で少しおびえた表情をした女が数人いた。

「そうだな、あとその汚らしい髪色も視界に入れたくないんだ、どうにかしてくれよ」
「……ひどいよ、ディエゴ」
「なにがひどいんだ?人が握り飯を味わってるときに品のない香水の匂いを撒き散らす方が、ひどいんじゃあないか? 前から思っていたが、君たちは学校にファッションショーでもしに来ているのかい?」

 紳士な振る舞いというのは、実に難しい。ディエゴには装うことはできるが、根っからのそれになるなんてことは到底出来るわけがなかった。全く同じ顔をしたDIOの顔が何故か脳裏をちらつき、今だけは彼の作り装った紳士に共感できた。
 平等な優しさを見せるだなんて、お人好しにもほどがある。本当に必要とする女性に対してだけ、紳士でいればいいというのがディエゴの考えだった。
 休み時間も終わり間近、ゼミ生がほとんどいる教室で普段は穏やかに笑みを浮かべるだけのディエゴの荒げた声に教室は静まり返っていた。それから啜り泣く女の声が聞こえて、そのうち数人は出て行ってしまった。
 ラップを捨てるために教室から出ると、扉の目の前に沙希がいた。いま、あの子たち泣きながら出てったけど、とディエゴの顔を不安そうに見上げる沙希の顔を見ると、なんとなく心がホッとした気がして、小さく丸めたラップを見せてごちそうさま、うまかったと伝えると同時に、思わず沙希の頭に手が伸びた。

「わ、え、なに?」
「……沙希、おまえ、髪染める予定あるのか?」
「え?んー、維持するの面倒臭そうだし…プリンになるの嫌だし、しないかな。なんで?」
「そうか、お前はそのままが一番いい」

 ディエゴくん、恥ずかしいよ頭撫でられるのと言われて沙希の顔を見れば、先日吉良に手の甲にキスされたときのように顔を赤く染めた沙希が目を泳がせていた。からかうつもりはない、あんな場所に越してきて、一人だというのに規則正しい生活と自炊をしっかりする、自立した彼女にディエゴは感心していたのだ。目立つような沙希ではないし、今まで自分の周りにいたような女と比べると確かに地味かもしれないが、中身は誰よりも興味深い。
 教室に残っていた残りの女もふて腐れた様子で出てきた。少しばかり雰囲気の良さ気なディエゴと沙希を睨みつける。ディエゴに促され、沙希は先に教室に戻った。

「え、なにー、ディエゴああいう子がいいわけ?」
「……さぁな、君たちに言う義理はない」
「なんであんな地味な子…」

 頼むからこれ以上、沙希を蔑むような言葉を言わないでくれとディエゴが思ったのは少なからず沙希を擁護する気持ちはあるものの、今は目の前の女たちを危険に脅かさないためであった。
 今まで覚えたこともない感情は、少なくとも良いものではなかった。沙希は自分のものではない。しかし、プライドの高いディエゴが認め尊敬した女を、汚らしい女たちが糾弾するのは非常に気分が悪かった。
 まずい、俺としたことが。ディエゴがそう気づいた頃には遅かった。口元が徐々に裂け、頬の一部が硬化しひび割れ始める。思わず手で口を覆うが、おそらく目も変わってきているだろう。

「ヒッ?!」
「なぁ、これ以上俺に関わらないと約束してくれるか」

 高いヒールも構わず逃げ出した女たちを尻目に、壁を背にズルズルと腰を下ろす。落ち着く頃には授業開始のチャイムが鳴り、戻るかと腰をあげればジョニィがディエゴの荷物を持って出てくる。それからバラバラと沙希も含め中にいた生徒が全員荷物を持って出てきた。

「昼休み中に教授貧血起こして帰ったみたい、休講」
「……すまないな」
「……やるじゃん、他の奴らも迷惑してたんだよあの子達に。くっさいし」
「珍しいな、ジョースターくんがそんなこと言うなんて」
「いいから荷物早く持ってよ、重い」

 ジョニィから荷物を受け取り、相変わらずディエゴに対する不満を延々と連ねるジョニィをホット・パンツと挟みながら教室を後にする。友人と先を行く沙希の後ろ姿をぼんやり眺めていると沙希は不意に振り返り、こちらに近づいてきた。

「ディエゴくん、あの、私余計なことしちゃった気がして」
「……? ああ、あの女たちか?気にするな」
「それより足立さん、こいつには近づかないほうがいいよ」
「二人とも仲良いよね」
「「よくない!!!」」

 ほらやっぱり、と破顔させてから友達待ってるからまたねと駆けていく沙希の後姿を三人で見守る。そうしてほぼ同時にディエゴとジョニィが顔を向かい合わせて睨み合うのを止めるのが、この世界でのホット・パンツの役目であった。
 吐き気がするほど平和で、死をもって闘った相手たちとの学生生活に加え、利用するなんてことも考えない興味深い女が出来た。この世界もそんなに悪くはないのかもしれない、そうディエゴは思うのだった。

(2016/11/30)

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