早朝五時半。身支度をしている間にだんだんと日が昇り、日の出を迎えてから朝食をとるなんていう大学二年生にして健康的すぎる規則的な生活をしてきたおかげか、大学まで数分で行ける荒木荘に越してきたものの相変わらず早起きは継続していた。
 隣人たちとの一件があってからは特に関わることやカーズが寝ぼけて壁と同化したりも特になく、沙希が彼らと出会ってから浮かんだ数々の不安や心配はただの杞憂に終わった。
 少なからず働きに出ている吉良とプッチには近辺で何回か会うこともあったが、当たり障りのない会話をするだけであった。ディエゴに関しても学校では相変わらず、学科とゼミが被っているだけのまれに話すような友達とも言えぬ関係が続いていて、あれだけ波紋だのスタンドだのと教え込まれた時間は必要だったのかと思わざるを得ないのだが、よく考えてみればこの当たり前のような日常が何より大切であり、隣人は存在そのものが非日常なのだと、あの日から徐々に元の感性を取り戻しつつあることに安堵している気持ちもありつつ、どこか気になる、という状態だったのである。
 今日の授業は三限からだったので、例え十時に起きても優雅に食事をとり遅刻することなく大学に行ける。昨夜はレポートもあり夜更かしをしてしまったので、九時頃に起きようとアラームを設置していたのだが、まさか隣人があんなでこのまま安寧が卒業まで続くなんてことは到底あり得ないという事実を、七時半に叩きつけられることになる。

「キラークイーン!!カーズ!!何度言ったら分かるんだッッッ!!」
「吉良さん!!落ち着いてください!!」

 アラームが鳴る予定の一時間半前のことである。
 日常生活を送る上ではまず聞くことがないような爆発音と、吉良吉影の怒声が薄い壁から筒抜けで飛び込んできて沙希は目を覚ました。未だに先ほどよりは小さくなったが爆発音が鳴り響き、恐らくドッピオと思しき声まで聞こえてきたと思ったら急に静かになる。大声と爆発音に叩き起こされ、やっと頭が動いたと思ったら何事もなかったかのように静寂が訪れるのは最早恐怖でしかない。
 一体何が起きたのか、よく喧嘩をする人たちだという印象はあったが今のは確実に誰かしらが大怪我をしたに違いないと思った沙希は反射的にその薄い壁に耳を寄せ、唾を飲んでいた。微かに話す声が聞こえる。

「吉良、……だから、……沙希にはまだ……」
「悪かった……そのうち……おい、カーズ!」

 寄せた耳を壁から急いで離す。何故自分の名前がこんな状態で出てくるのか分からず、急に冷や汗と動悸を沙希は感じた。朝っぱらから心臓に悪い。あの日以来詳しい話は聞いておらず、そもそも先に挙げたメンバー以外とは会っていないのだ。
 思い返してみれば、何故体躯のいい年齢も産まれたお国もバラバラであろう男たちがあんなところに固まって住んでいるのかも不明である。恐らく全員不思議な能力を持っているのだろう。麻痺していたのだ、隣人たちはかなり危険な人物たちに違いない。
 すぐに引っ越しなんて到底できるわけがないのだ。それでは、自分の身は自分で守らなければならない。隣人たちとは、最低限のコミュニティの中で生活していくのがベストだ。

「聞き耳など趣味が悪いではないか、沙希よ」
「ひぇっ!!!カ、カーズさん!き、聞き耳なんて、その、えっと……」
「ン〜〜?まあよい、こっちに来るのだ。玄関から入ってこい」

 あくまでこの部屋は沙希が契約したものだ。頼むから音もなくいきなり壁から出てこないでくれだなんて文句は喉まで出かけたところで、美しすぎる顔を見ては飲み込まざるをえない。
 拒否権はない。どう考えてもなかった。優雅にご飯を食べようと思っていたというのに、ついていないにも程がある。
 寝巻きにスッピンなんだけどなぁ、と思いながらもあの言い方ではすぐに来いということなのだろうと考えた沙希は、重い腰を上げて申し訳程度に洗顔と髪に櫛を通し、サンダルを数本ペタペタと鳴らし、自分の部屋と全く同じ造りの部屋に足を踏み入れた。

「おはようございます、お邪魔し…?」
「おはよう沙希、すまなかったね朝早くから」
「いえ、何かあったんですか…ドッピオくんにディエゴくんも、おはよう」
「おはようございます!あの、この前は驚かせちゃって…」

 ドッピオの突然の謝罪になんのことかと思った沙希だが、理由は彼のいたって普通な服装を見たらすぐにわかった。この前は、直前までボスだったんです、それに僕の服洗濯しちゃってて……いやあの、ボスの服が嫌なわけじゃないんですよ!と忙しなく身振り手振りを困り顔でしているドッピオを見て、沙希は気にしないでと返す。確かに先日網状の服を着たこの少年を見たとき、なんて格好をしてるんだとは思ったがそれ以前にカーズがほぼ裸というスタイルだし、DIOもなかなかオシャレ上級者といった格好で、子供の半裸はまだみれる範囲だったのだが、それが突然ディアボロになってしまった、あの件のことだ。

「びっくりしたけど、もう気にしてないよ!」
「よかったです…」

 安堵するドッピオの姿を見ると、先日ひどく取り乱した自分のことを思い出し多少の羞恥を覚えるが、あの状況にいたら誰もがそうなるだろう。

「沙希、学校はいいのか?俺は三限からだけど」
「私も三限から、で、す」
「何故よそよそしくなるんだいきなり……じゃあ一緒に行かないか?」

 朝からブロンドの髪が眩しすぎるし、こんなイケメンの隣なんか歩けるわけがないと思っていた沙希にとってディエゴの提案は畏れ多かった。大学の最寄駅まではいいとして、通学路から学校までも一緒にいたら彼を贔屓にしてる女子たちになんて顔をされるかを考えるだけで気が沈む。
 しかしディエゴの提案を断れるわけもなく、この後出勤の支度をしている吉良に話しかけられるまで沙希はドッピオとディエゴと三人で取り留めもない話をしつつ、吉良が朝からスタンドを使った理由を聞いたのだった。

「朝はだいたい僕と吉良さんで支度をするんですけど、朝起きたら、昨日大量に買いだした食材がほぼ無くなってて…」
「誰かが二人がいない間にご飯作ったとかじゃなくて?」
「この二人以外はまともに料理なんかしないからな。問い詰めたらカーズだった」

 ということは、要するにあの壁の原理と同じということは沙希にもすぐに分かった。あの体躯を考えればどんな量でも食べる─吸収といったか─事はできるだろう。以前なんで壁を吸収しているにも関わらず元に戻るのかと沙希が聞くと、カーズは訝しげな顔をしながら「吸収などしていない、お前たちの感覚で言うと口の中に入れただけだ」と言われたことをふと思い出した。

「沙希、私はもう行くよ。朝からすまなかったね、理由は二人から聞いたみたいだね」
「はい、カーズさんは逃げちゃったって感じですね。吉良さん行ってらっしゃい、です」
「ああ、沙希も気をつけるんだよ、ディエゴがいるなら安心かな。……そうだ」

 徐に沙希の手を取り、恍惚といった表情で手の甲を自身の唇に近づける吉良。軽く触れる程度の挨拶をしてから名残惜しそうに親指で手の甲をさすり、玄関を後にした背中を見て、沙希は完全に固まっていた。
 そうして何をされたのか把握するまで時間はかからず一気に顔から火が出るような感覚に思わず顔を手で覆う。吉良とて年相応な色気と秀でた容姿をしているのだ。ここの住人は総じて変わり者だが同様に顔面のレベルが高いと改めて気付き、やはり心臓に悪いと人たちだと項垂れる。

「吉良は異常な手フェチだ」
「うん…」
「挨拶みたいなもんだから気にするな。それより、腹が減って仕方がない」
「うん…」
「申し訳ないが沙希、飯を作ってくれ」
「うん…………えっ?!」

 そのために呼んだんだぜ、と笑顔で腹を鳴らすディエゴの隣でドッピオまでもが腹を控えめに鳴らした。ごめんなさい沙希さん、昨日DIOさんが相当お腹を空かせていたみたいで食事中に何度も時間止められちゃってほとんどご飯独り占めだったんですと悲しそうな顔をするドッピオを見ては知らんぷりなんて出来るわけがなかった。だからカーズは食糧を食べてしまったのだろうし、吉良もそれでイライラしていたのだろうという察しがついた。話を聞くに、ディエゴは夕方過ぎまで乗馬をしたあとに夜遅くまで次のレースに関する情報収集を乗馬仲間とご飯も食べずしていたらしく、普段は帰ったら一人分のご飯があるので何も買わずに帰宅したら吉良に説教をされているDIOと何もない机を確認し、不貞腐れたように先程まで寝ていたらしい。
 不幸中の幸い、沙希の冷蔵庫は潤っていた。一人暮らしでは消化しきれないほどの野菜を先日越してきた頃に持たされ、そろそろ消費しないとまずいと思っていたのだ。米も冷凍したストックがあるし、いくら近寄りがたい隣人とはいえ自分にとって害悪を及ぼすわけではないし、腹が減っている人間に関わっておいて放っておくなんてことは沙希には出来なかった。

「うーんと、布団も片付けてないから、作ってこっちに持ってくるでもいいかな?」
「ああ、助かるぜ」

 嫌いな食べ物もなさそうなのでひとまず自分の部屋に戻ってきたが、和食で大丈夫だろうかと思うも何でも食べられるという言葉を信じてまずは多めに米をレンジで解凍する。朝食の定番の味噌汁に豆腐と油揚げ、大根と白菜が中途半端に残っていたのでひどい喧嘩はしないだろうとそれも入れた。食べ盛りの学生と少年だから、おかずも多いほうがいいだろう。玉子焼きも作り、鮭の切り身は一切れしか無かったので二人で仲良く食べてもらうことにした。それから昨夜の夕飯に、芽が出始めたじゃがいもに気づいて作った肉じゃがのあまりで事足りそうだ。
 人のために食事の支度をするのはひさびさだと沙希は思った。
 少し前までは父と母と三人で食事を囲み、会話は多くは無かったし父とは母を交えないとあまり話せなかったが、それでも現状と比べれば断然いい。幼い頃から台所に立つ母親を見てだんだんと手伝いをするようになり、此処に越してくる数年前からは母と交代でご飯を作ることも多かった。沙希に料理を教えてくれたのは沙希の母だが、自分が作るものとはまた味付けが少し変わるもので、家庭の味を思い出す。そうこうしているうちに鮭も焼けたのでお皿に盛り付けた。おぼんにお皿が乗り気らないので、壁越しに声をかけてみる。

「ディエゴくんドッピオくん、支度できたんだけど、そっちにおぼんあるかなぁ?」
「ありますよ!今持って行きますね!」
「あと二人のお茶碗もね!」

 結局、玄関付近にいたらしいディエゴがおぼんを持ってやってきた。男の人なので、味噌汁の入った小鍋もおぼんに乗せさせてもらう。上がっていいよと言ったが、ディエゴは布団のことを気にしているのかそれには同意しなかったので急いで温めたご飯をそれぞれの茶碗に移し替えてそれもディエゴのおぼんに託した。
 ディエゴのあとに続き、再び隣人の部屋に戻ってきた。これぐらいしか準備できなくて、とドッピオが淹れてくれたお茶と一緒に持ってきた食事を机に並べる。味は問題ないと思うんだけど、足りなかったらご飯まだあるからと付け加えると心なしか二人の目がキラキラしているように見えた。三人分のいただきますを受けた料理たちは、速やかに彼らの胃袋に消えていく。

「沙希、一人なのにこんなにちゃんと作ってるのか?」
「料理は結構好きなんだよね。野菜にも旬があるからそれに合わせて料理するのが好きなの」
「沙希さん、本当に美味しかったです!」
「ああ、正直驚いた。また作ってくれるとありがたいな」

 久々に人と食事を取り、それも自分の作った料理を美味しいと食べてもらえたのは素直に嬉しかった。それにドッピオの屈託のない笑顔に、ディエゴの爽やかな笑顔でまた作ってくれなんて言われて嫌だと思う人はいないだろう。
 洗い物くらいはさせてというドッピオの言葉に甘えることにし、アラームの鳴り響くスマホを見れば本来起きる予定の十時らしかった。
 あくびを一つ。やはりまだ寝不足のようだ。

「十二時前に起こしに行くから、それまで仮眠とったらどうだ?」
「んん…食器とお鍋持って帰らなきゃ」
「それもあとで持ってってやる」
「じゃあ、お言葉に甘えて…」

 隣の部屋に移動するだけだというのに、わざわざ送り届けるあたりディエゴは紳士なのだろう。じゃあまたあとでと会話をしてから、十一時半にアラームをかけ直し布団に入り、たまにはこんな慌ただしい朝も悪くないのかもしれないと思い始める頃にはすっかり夢の中であった。
 そうして十二時過ぎに結局沙希がディエゴを叩き起こしに行くのは、二時間後の話である。

(2016/11/29)

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