「……思ったより、狭い!!」

 一年間我慢した通学二時間の道のりも昨日までのことで、今日からは夢にまで見た一人暮らし。若い田舎者が、都会とまではいかないもののある程度栄えている大学の近くのこの街に越してきたのは、何より通学費の削減と睡眠確保のためと、あともろもろの理由のためであった。大学一年の時は、田舎者が都会に出るって言うんでとにかく両親に心配された。周りを見渡せば田園風景、突き刺さるかかし、熟した野菜が太陽の光を浴びてキラキラ艶々と輝く、そんなど田舎で、足立沙希は育ってきた。
 越してきたのは駅からそこまで遠くもなく、かと言って贅沢はできない六畳一間。申し訳程度のトイレと風呂は備え付けになっているみたいだが、正直この狭すぎる浴室で日頃の疲れを癒せるとは考えにくかった。近くに銭湯があることも既に確認済みで、入浴料も結構安かったため、そこに今後世話になることと思われる。

「あ、れ。キッチン用品どの箱だ……」

 土曜の昼過ぎに引越しを済ませてから約三時間。田舎暮らしの強い味方の軽トラと農家の男手はあるので引越し業者は雇わず、父親と、沙希が幼い頃から可愛がってくれていた近所のおじさんが家具の搬入などを手伝ってくれた。沙希ちゃんがいなくなって、寂しくなるなぁなんて苦笑いをしながらおじさんは沙希の頭をポンポンし、それに定期的に帰りますよなんて返事を口にして、それからもうずいぶん時間が経った。最後に食べ物を口にしたのは朝なので、腹がすいてもおかしくはない。米と野菜は持たせてくれて、道中スーパーに寄って肉と調味料なども買ったのでなんでも作れる状態なのだが、いかんせん包丁やらまな板を突っ込んだ段ボールがどれなのかがわからない。
 仕方ない、今日はコンビニで済ませるか。沙希はスマホと財布を片手に玄関へ向かった。何だか取れそうで心許ないドアノブを捻り少し歩いたところで、スマホのバイブと着信音が鳴り響く。母親からだ。

『……あ、もしもしお母さん?うん、だいたい終わったんだけど……』

『そう、キッチン用品!見当たらなくて、疲れたし今日はコンビニで……え?そっちでもご飯つくってたしコンビニには頼らないよ』

『お父さん、なんか言ってた……?そっか、あ、うん明日隣の人には挨拶行くつもり。うん、じゃあまた連絡するね』

 母親と通話をしている最中に沙希は、さきほど父親に手伝ってもらったときにした会話の内容を思い出していた。とはいうものの、それこっち、そこ、ありがとう、を繰り返していただけである。ひどく仲違いをしていたわけではないのだが、お互い譲れないものがあり、半ば逃げる形で一人暮らしをしたというのも一つの事実であった。
 つけ麺と明日の朝ごはんを片手に、帰路につく。街灯はあまりないものの、田舎に比べれば断然マシだ。そこまで人は住んでいなさそうな気配ではあるが、仮にも一応住宅街だから、何かあったら助けてくれるだろうと沙希は考えていた。荒木荘から少し歩いたところに、大きなお屋敷があったことも確認済みである。少しずつご近所さんというものを増やしいけられればいいなと考えていると、あっという間に荒木荘に戻ってきた。

「ただいまー……」

 帰宅しても、朝起きても誰もいなくて返事がないのは多少寂しくもあるが、どちらにしろいつまでも実家に寄生するつもりはなかった。きっといい経験になるだろうから、前向きな門出を祝いながら今日は早めに寝ようと考え、部屋の真ん中に置いたテーブルに荷物を置いたところで、沙希は左側から気配を感じた。

 人が、壁にめり込んでいる。

「…………は……?」

 彫刻のように美しく、しかしながらほぼほぼ裸の男が壁と一体化していた。一瞬頭がフリーズして、うちの壁こんなんだったけ?なんてことも考えたがそんなことあってたまるものか。
 男だ、全く知らない大男がいて、それでいて壁にめり込んでいる。めり込むというより、身体が一体化しているように見える。さらに、男の顔は美しいとしか言いようがないのだ。教科書に載っているローマ時代の彫刻のような、洗練された、かつ聡明そうな顔立ちでどことなく人を惹きつける雰囲気がある。
 あまりの恐怖と、あまりの美しさは身の毛もよだつレベルである。が、しかしだ。ここはなんてことないアパートの一室であり、沙希の部屋だ。

「……んん〜〜?何だァ、貴様」

 その彫刻が口を開いたと同時に、沙希の意識は飛んだ。

(16/10/06)

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